クロロレワンドロワンライ第39回「くちびる」 ローレンツたちはクロードが指示した通り北極星を目印に少人数の集団を作ってガルグ=マクの方へと撤退していった。夜に人が走れる道というのは例えそれが複数あったとしても数はたかが知れていてそれらの道は行き止まるか他の道と合流していく。自然と学生たちは再び合流していた。
木に軽く寄りかかって小さく爆ぜる火を眺める余裕が出てくると先ほどまでとは違う焦りがローレンツを苛む。自分たちと逆方向に駆け出し結果として賊の大半を引きつけたクロードたちは今どこにいるのか。先刻、彼に耳打ちされた時とは違う悪寒が走る。誤魔化すために組んだ腕をほどけばローレンツの身体は震え出すだろう。物音に気を配っていると遠くからクロードたちの話し声が聞こえてきた。
「よお、ローレンツ。状況は?紹介したいやつがいるから後で寄越すよ」
クロードに連れられた青い髪に赤尽くしの派手な格好の女傭兵はシェズと名乗り彼女のおかげでローレンツはようやく組んだ腕をほどくことが出来た。この緊張は気取られてはならない。
ローレンツが朝の光を浴びながらガルグ=マクに向かって歩いているとシェズと共に先頭にいたはずのクロードがやってきた。
「察してもらえて助かったよ」
翠玉のような瞳が朝の光の下で煌めいているが本心なのだろうか。
「あの単純な説明が分からないような愚か者が士官学校に入れるわけがないだろう」
こんな憎まれ口を叩きたい訳ではないのに頭のどこかがクロードを警戒せよと命じる。そんなローレンツの葛藤を知ってか知らずかクロードは目を細めながら制服の胸元に手を入れた。
「学生の質に関する議論は後日やろうぜ。でもな、ローレンツはきちんと俺の意図を察したよ」
取り出された小さな蓋物の中身をもうローレンツは知っている。褐色の指が半透明の膏薬を掬い取りローレンツの口角から下唇をなぞっていく。
「回復魔法はもっと酷い怪我をしたやつに譲ったんだろ?」
他の学級ではシルヴァンやヒューベルトが率先してやっていたが金鹿の学級ではローレンツが火を起こし状況を確認して怪我が重い順に回復魔法の心得がある学生に回復魔法をかけるよう取り計らっていた。だが唇が切れているのは一度賊の拳を避け損ねたからなのかクロードたちを案じている時に無意識のうちに唇をきつく噛んでいたからなのかは正直言ってローレンツにはわからない。
口元から立ち上るキンセンカの甘い香りを感じながらローレンツはクロードをじっと見つめた。血の気が引いているのか頭に血が上っているのか自分ではもはやよく分からないがクロードはこちらを動揺させ完全に優位に立ったと思い込んでいる。踏み込ませてばかりなのは性に合わない。
「当然だろう!何せこの僕はローレンツ=ヘルマン=グロスタールなのだからね!」
高らかに笑ったおかげか気分も晴れやかになった。口角は再び切れたが軟膏のあてはある。
学生たちの命を救った礼として学費を免除され金鹿の学級に加わることになったシェズは二刀流の使い手で驚くほど腕が立つ。賊の頭目をあっさり切り捨てたことからもわかるように腕は立つのだが驚くほど道に迷う。修道院の中でもガルグ=マクの街中でも砦の中でもそれは変わらない。
能力が歪なところはどこかクロードに似ていた。しかしシェズはクロードと違ってローレンツの心を掻き乱さない。
何もない空間から刀を取り出す力や肌に浮き上がる模様は謎めいているが盗賊の残党を討伐せよという課題にはちょうど良かった。現にシェズの妖しい力は砦の最深部に囚われていたモニカと名乗る女子学生を救出するのに役立っている。彼女の力がなければ砦に住み着いていたクロニエと名乗る女や彼女が召喚した恐ろしい魔獣を撃退できなかった筈だ。ただし傭兵は雇い主に全てを左右される。彼女が良き雇い主に恵まれるようローレンツは望んでいる。