クロロレワンドロワンライ第41回「さくらんぼ」 レスターにおいて弓術が盛んなのは隣国の者たちが飛竜に乗って攻めてくるからだ。大量の飛竜部隊を維持出来る豊かさがあると言うのにさらに領地を欲するなど強欲にも程がある。緑色の布を被ったローレンツはパルミラ兵が詰めている砦に掲げられた彼らの軍旗を睨みつけた。
「髪の毛がはみ出てるぜ。ここらの森の中に紫のものはないしお前の白い肌は目立つからしっかり隠せ」
「すまないな」
同じく緑の布を被っているクロードが褐色の手でローレンツが被っている布を軽く引っ張る。国境地帯に拠点を築いているのはレスター諸侯同盟だけではない。当然パルミラ側もフォドラの首飾りには劣るが首飾りを監視するためいくつかの砦を築いている。ローレンツたちは斥候としてその砦の様子を窺っていた。
掲げてある軍旗の柄を解析すれば率いている将軍の身分がわかる。身分が高い将軍であれば打ち損じた時に将軍を取り戻すための決死隊が結成されるので可能ならば知っておきたい。それに煮炊きで上がる煙の本数や人の出入りの有無を知るだけでも今回の侵攻作戦でこの砦がどのように使用されているのかがよく分かる。故に首飾りの周りにあるパルミラ側の砦全てを調べねばならない。集中力と視力に自信のある者が担当するようにとホルストに言われローレンツは迷うことなく挙手をした。
不本意だったのは一番乗りだと思ったのに二人同時に挙手していたことでもっと不本意だったのはそれがクロードだったことだ。弟妹がいるローレンツはともかく彼はたった一人しかいないリーガン家の後継者でリーガンの紋章も持っている。ぎりぎりまで安全な要塞に篭っていれば良いものを何故危険な前線に出ようとするのだろう。
砦の四方には遠眼鏡を持った遠見が立っており斥候は彼らから身を隠すため光るようなものは身につけられない。様子を伺うための遠眼鏡も身を守る鎧も武器も無しで敵の足元に潜むのだ。砦を管理する者たちは身を隠せる木陰を数箇所わざと残してある。そこに矢か魔法の雨を降らせれば斥候を始末することができるからだ。風さえ吹いていれば多少は木陰がこちらの動きを誤魔化してくれるが不運なことに今日は無風だった。
塀の上にいる遠見の兵から聞こえるわけがないのだがなんとなく声すら潜めてしまう。だがそんな状況でも腹は減る。ローレンツは懐に忍ばせておいた干し肉を口に含んだ。栄養が取れるようにわざと脂っこく作ってあるのだが十代の胃袋は貪欲なので余計に空腹を意識させられてしまう。腹の虫が鳴ったらクロードにどんな弄られ方をするのかわかったものではない。
気を紛らわすように顔をあげ木の枝の隙間から砦を睨みつけていると口に小さな丸い物がねじ込まれた。反射的に吐き出しクロードの手首をきつく掴む。怒鳴りつけるわけにいかないので紫の瞳で睨みつけるとクロードはもう片方の手にも摘んでいた小さな丸い物、を自らの口に含んだ。咀嚼するたびにクロードから甘い香りが漂う。小さな丸い物、の正体がわかったのでローレンツは彼の手首を離した。ローレンツが砦ばかり見ている間にクロードは自分たちが潜んでいる木もよく観察していたらしい。
「物足りなそうな顔をしてたから」
「一言声をかけてくれればあんな不躾なことはしなかった!」
小声で言い返した途端に再び自生していたさくらんぼの赤黒い実を口に捩じ込まれる。種を齧って歯を傷めないように軽く噛むと酸味と甘みが口の中に広がり胸中には疑問が広がった。斥候は痕跡を残してはならない。種を吐き捨てていけば人間がここにいたことが発覚してしまう。動物ならば種を吐き出さず丸ごと食べてしまうからだ。どうすべきだろうか。
ローレンツはクロードの口元に手巾を押し付けた。だがローレンツはクロードのように説明を怠ることはない。
「種を捨ててここに僕らがいたという痕跡を残すわけにいかない」
小声でローレンツがそう語りかけるとクロードが意図を察したのでローレンツの手巾にはさくらんぼの種がふたつ包まれた。