有情たちの夜.6「枠の中4_7」 クロードは一気に杯を空けるようなことはせず、一口ずつ味わって飲んだ。喉を潤せた礼のつもりか両手首をヒューベルトに差し出している。
「結構です」
どうせ尋問が終わったら解放するのだ。親指に鎖を巻き直すより聞き取りを再開したい。ロナート卿の事件の後、ベレスが天帝の剣を手にした。あれこそが淀んだ空気が入れ替わる予兆だったのかもしれない。ガルグ=マクに潜入していた自分に何の断りもなく手を突っ込んできた者たちが失敗したのは愉快だった。
「水の礼をしたいが今は手持ちがなくてね」
「憶測で構いません」
クロードが帝国の者に直接語りかける機会は当分訪れない。ヒューベルトに回答を用意する義務はないが、彼が英雄の遺産についてどんなことを考えているのかは知りたかった。それに統一後はパルミラとも国交を樹立することになる。クロードの考えを把握しておくのは必要なことだ。
「俺たちは天帝の剣にしてやられたわけだが……」
緑の瞳は己の手のひらを見つめている。こぼれ落ちた命を惜しんでいるようにも見えた。ベレスの気まぐれに救われたのは学友のみで後見人であったジュディッドを失っている。
「英雄の遺産について答え合わせは出来ましたかな?」
「まともな推論すら立てられなかったのは誰のせいだ?まあ良いさ。周知の事実だがあれは形状がなんであれ、弓だ。つまり矢と射手が必要な代物だ」
弓は矢がなければ使用できない。弓が遺産、矢が紋章石、射手が紋章保持者、というわけだ。凡庸な例えだがよくまとまっていて分かりやすい。
「天帝の剣には紋章石がはまっていません」
「だからフレンだけでなく先生も誘拐すべきだったのさ」
「それなら同盟は今も健在であったかもしれませんな」
もしベレスが黒鷲優撃軍に合流していなかったら東回りで王国を目指すことは叶わず、アランデル公が地均しした西回りの経路で進軍していただろう。だがそれでは戦後の争いで不利になってしまう。ヒューベルトたちにとって本当の戦いはそこから始まるのだ。
戦争という営為は実に複雑なので現実にはたった一人にしてやられることなどあり得ない。ただもう少し時間が稼げればエーデルガルトが諦めて西から北上する、クロードはそう思っていた。だが事態がこうなってしまってはグロスタール伯たちがうまく後始末をしてくれるよう願うしかない。
「そうかもな。この後は東回りで北上するんだろう?ガスパール領やコナン塔の件はいい予行演習になったな」
もし自分が父のように強い力を持っていたらミルディン大橋を通行不可能になるまで破壊させた。輜重隊の兵も食べねば移動出来ないので補給路が延びれば延びるほど必要な物資が増加していく。そういったことを考えると帝国はミルディン大橋を再建せざるをえないのだ。戦争はただでさえ金がかかる。大橋の再建を妨害しながら時間稼ぎをしているうちに帝国の国庫から戦費が尽きるのではないか───クロードはそう考えたが諸侯たちの理解は得られなかった。
「破裂の槍が射手を選ぶさまは実におぞましかったですよ」
「ローレンツから聞いたよ。神罰、なんていう奴もいたな」
もし天罰というなら神はたまにひどく悪趣味になるらしい。当時の噂話を思い出したのかヒューベルトは失笑している。
「貴殿はどうお考えですか」
クロードは意図的に国を二分して茶番を続けたが王国は本当に国が二分されている。一見エーデルガルトが全権を握っているように見えるが、帝国にはエーデルガルトと敵対する勢力が存在するのだろう。ヒューベルトは彼らを出し抜く手がかりを探すため、打てる手は全て打っている最中なのだ。そうでなければクロードの意見など聞く必要がない。
「陳腐なら単なる願望だし、再現性があるなら神罰と言う印象は受けないな。うまく言えないがもっと神罰ってやつは稀なんじゃないのか?ほら、アリルみたいな」
ガルグ=マクにいた頃、マリアンヌが教えてくれたが女神の怒りに触れたためアリルはあのような土地になったのだと言う。あれこそ、どうすれば人の手で再現できるのかクロードにとって全く見当がつかない事象だった。