春の水晶にヴィオレットは濡れてミモーザの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
「綺麗な歌だね。のんびりしてて、昼寝しながら聞きたい感じ。でもミモーザって黄色じゃない?白いのもあるの?」
「おや、そうだったかな。賢者様の教えてくださった歌と混ざってしまったようだ。ミモーザは黄色だよ、クロエ」
時計の針も仕事を忘れて、白蝶貝の盤面でうたた寝するような昼下がり。
きぃんと澄んだ鉱石の、冬の空にはお別れをして、甘やかな木苺の春風と三拍子のステップを踏むころ。
ラスティカとクロエは森で遊んでいた。
寝不足のクロエは陽だまりの温もりに包まれ、船を漕いでいる。
「ふわぁ……いつの間にかすっかり春になっちゃった。俺、そんなに出てなかったんだ」
「どうだろう?僕は今朝眠っていて、ムルに起こされた時にはもう春だったよ」
「あ、珍しく一人で起きたと思ったらムルだったの?」
「壁の全部を窓にして、春を吹き込んでくれたんだ。小鳥やルチルが入ってきてくれてとても楽しかったな」
「え!?じゃあ今あんたの部屋、野ざらしで葉っぱだらけってこと!?でも、ちょっと楽しそうだな……」
開放的になってしまったラスティカの部屋に思いを馳せつつ、クロエは欠伸をする。
新しいデザインを思いついたのは数日前、それから部屋に籠っていた。
少し狭くて衣装が立ち並ぶ彼のマナエリアには沢山の思い出が詰まっていた。
メッセージの添えられたオレンジペコに、いつの間にか増たお気に入りのリボン、皆がお土産でくれる綺麗な織物。
紅茶の香りが夕日に溶けて、針の銀色さえ冴え冴えと見える不思議な空間。
そうしてボタンの形や襟の刺繍を決めていると魔力が溜まって、クロエの中で毛玉みたいに絡まっていた。
「うぅ……眠いのにやりたいことがたくさんあって、魔力もぐるぐるしてて変な感じ」
「昨日の夜もミシンとお喋りしていたの」
「昨日はサテンとレース、シルクも一緒だよ。それからとっておきの青いビジューも。でも俺、途中で寝ちゃったみたい」
「おや、素敵なパーティーだ。よく眠れた?」
「あんまり眠れなかった。ふかふかのベッドに慣れちゃったから、机は硬くてダメみたい。前は床で眠るのだって平気だったのにね!」
ラスティカはクロエの頭を撫でた。
そして指先にキスをして、そのまま手を取り合う。
「わ!ど、どうしたのラスティカ」
「きみと踊りたくなった」
大きな弧を描くつま先がくる、くると回って目の前の景色が揺れる。
エスコートされるままにステップを踏めば自分の手足は美しく伸び木漏れ日の合間に爪が煌めく。
風を纏うような、風と一体になるような、自然の一部に身体が溶けていく感覚がする。
「きっと僕はクロエの指先を傷付けることなくエスコートするよ。それから、新作が完成したら一番に祝福しよう」
「ありがとう、ラスティカ。一番に見せに行くよ、冬と春を閉じ込めた青いブローチ」
さあ、と音がしてミモーザの花が揺れる。
透明に晴れた瑠璃色の空と銀糸の木漏れ日の中でたくさんの花が春風に乗って螺旋を描いていた。
まるで結婚式のコンフェッティみたいに。
その中でラスティカが微笑む。
ターンの間際、抱きしめられて紅茶とお日様の優しくて懐かしい香りがした。
少し狭い部屋で一瞬の没入感に浸る時と似た感覚。
「さぁ、想いを形にして。クロエ」
「………………スイスピシーボ・ヴォイティンゴーク!」
溢れ出す魔法のひとつひとつが綿やリボン、コットンやボタンの連なり。
それらは行儀よく並んだかと思えば突如旋回して、上下に散らばり、やがて寝具になった。
二人は顔を見合わせ、寝具を眺める。
どこかから飛んできた蝶がひらりと舞ってクッションのタッセルにとまる。
柔らかそうな綿の詰まった大きなクッションに、花の中で眠るような刺繍のブランケット。
「あれ?」
「おや?」
もう一度顔を見合わせて、そのままクッションへ倒れ込んだ。
気持ち良い、ふかふかの綿が柔らかくて一生ここから動きたくない。
クロエは呆然として、深呼吸をひとつした。
「あは、あはははは!」
「素晴らしい。こんな素敵な日に外で眠れるなんて夢のような体験だ。僕はこの感動をどう表現したらいいのだろう、今すぐチェンバロを弾きたいのにここから起き上がれなくて…………うーん、眠くなってきたな……」
「えっもう!?早いよラスティカ、でも俺も眠い、あはは、あはははは───」
ひとしきり笑い転げて、笑い疲れたら紅茶を飲んでたくさん眠って。
頭に葉っぱをつけて、クローバーの向こう側で微笑むラスティカの瞳が綺麗な水色をしている。
遠くの空から零れた薔薇色の朝焼けと、偏光性の流れ星を閉じ込めた水晶の欠片の瞳。
暖かい春の日に見たそれは、なぜか冬の寂しさを残していた。
雪解けを惜しむのに紅玉の木苺の綺麗な実を見つけると嬉しくなる、淡い寂しさとパステルカラーの喜びが混ざった若葉色の時間。
ハープを弾くみたいにクロエを撫でるラスティカが生まれたのはそんな季節だった。
「…………あのね、ラスティカ。俺、しばらく部屋にいて思ったんだけど」
白いコートの裾を摘んで、離して、空いた左手は自分の胸に。
もう片方の、左手はラスティカの胸に添えた。
真っ白なコートと、引っ張ると伸びてしまうニットの奥に僅かな温もりを感じる。
「部屋に一人でいても、寂しくないんだ。ラスティカがプレゼントしてくれたミシンや、みんなとお揃いの服に囲まれてて、たまに紅茶の香りもする」
「そうなのかい?」
「もう、あんたが紅茶を置いてくれるのに!さっきラスティカに抱きしめられた時、マナエリアにいる時と似た感じがしたんだ」
「僕達はいつも一緒に魔法の練習をしていたから混ざったのかも。どこでもクロエのマナエリアになれるなんて光栄だな、衣装を作るきみの姿を一番傍で見られる」
初めて会った時から変わらないきらきらした真っ直ぐな瞳でリボンを選ぶ姿や、曲線で布を断つ鋏のきらめきにビジューを縫い付ける時の笑顔。
ラスティカは服を作っている時のクロエがいっとう好きだった。
眩しくて色鮮やかな時間を積み重ねて服を作る様子は一瞬の芸術のように綺麗に感じた。
夜風が冷たく頬を撫でる。
重ねられたクロエの手にラスティカ心音が届いて安心する。
でもそろそろ、温かいスープが恋しい。
「ねぇ、魔法舎に戻ったら何をしよう?」
「ムルとシャイロックを誘って、ナイトパーティーはどうだろう」
「やったー!」
春の香りをいっぱいに纏った二人は箒で空を滑る。
窓辺に置かれたミシンが青白い満月に照らされ、かけっぱなしの糸がきらきら光る。
作りかけのブローチは星屑に微笑みかけていた。
それから数百年、或いは数千年後。
エレベーターの扉が開く。
溢れる光の中から出てきた人間は混乱を満面に浮かべていた。
「やったー、召喚の儀式は成功したんだ!初めまして、賢者様。俺はクロエ!西の魔法使いだよ」
新たな賢者を迎えたのはルビー色の髪をした、紳士的な青年だった。
瀟洒なジャケットの彼の胸に、変わったブローチが輝いていた。
それは微睡みの朝焼けと遠くの春の夜空で流星が絶えず煌めいている不思議な青い宝石だった。
空には大きな満月が浮かぶ。