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    itono_pi1ka1

    @itono_pi1ka1
    だいたい🕊️師弟の話。ここは捏造CP二次創作(リバテバリバ)も含むので閲覧注意。

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    itono_pi1ka1

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    pixivより引っ越し。英傑リーバルの話

    #ゼルダの伝説
    theLegendOfZelda
    #リーバル
    revel
    ##リ

    英傑リーバルの事情諸注意英傑リーバルの事情諸注意
    ※捏造200%。
    ※大筋がDLC以前に書いたものなので色々と設定・解釈違い。【2017.8.18】加筆修正【2018.12.6】修正【2019.1.15】加筆修正【2020.7.5】加筆修正
    ※主だったネタバレはありませんが神獣ヴァ・メドークリア後の閲覧を推奨。


    彼は高く飛んだ。
    誰よりも何よりも高く。
    空の、そのまた上を目指して。
    振り返れば、きっと丸く広がった青い目が見えると。

    得意気に笑うはずだった。
    細めた翡翠は懐かしげだった。

    彼は高く空を見上げる。
    きっと辿り着くと信じて。


     弓に長けるリト族を超えるほどの腕前を持つハイリア人の戦士がいるらしい。あらゆる武器を使いこなし、理想の騎士と皮肉げに尊ばれると聞くそいつに、僕は少しばかりの期待をしていたんだ。
     気づきたくもなかった。あいつは剣にも人にも、技も心も認められていて、なお、その自分自身を認めてなんていなかった。
     気づきたくなかった。あいつは欲しい全てを持っていても、僕よりもずっとずっと先をみていた。
     気づいてしまった。あいつが妬み嫉みを集めては、聞こえる不愉快な歌に。聞いたあいつが黙って呑み込んで気にも留めないフリをすることに。不愉快な歌の主はついさっき、近衛騎士から親切を受けたばかりの、愚か者だったことに。
     ──手にした弓矢に射抜けぬものはなく、広げた両翼で飛び越えられぬ空はない。空の支配者の名に相応しき真の英雄、その名をリーバル、と。人々がそう褒めそやすよりもずっと前から、自分自身でそう確信していた。 
     物心がつき目を開けて最初に見た風景は、回る風車、はためく布、揺れる草木、湖面のさざ波。“風”が縦横無尽に世界を動かす様が最初からはっきり目に見えた。
     初めて弓を手にして矢を放ったとき。弦から伝う振動、空を裂き飛んでいく矢の唸り、矢が手を離れた瞬間に身体に走り抜ける必中の確信。どんな詩よりもそれらの織り成す調べが胸を躍らせた。 
     ──僕は、自分が英雄になる人間だと、確信していた。 
     英傑リーバルは鬼才の子。昔はあれこれ随分と目を付けられたものだった。良くも悪くも耳目を集める特技は、今も昔も変わらない。だってどちらかだけ、なんてつまらない。弓の腕も飛行技術も、両方を完璧に上手くやってみせた方がカッコいいに決まっている。今まで死んでいった戦士の誰よりも。これから先に現れる戦士の誰よりも。戦士になるっていうのに、一番を目指さずにどうする。
     ──そう、僕は、誰より強くなりたかった。
     言い訳を囀る暇があるならば、自分の果て無い可能性を追いかける方が面白い。たとえば翼が引きちぎれるような痛みだって。たとえば絶対の自信を誇る空で風に裏切られる恐怖だって。越えられる、と自分を信じてやるのは自分自身をおいて他にない。不可能だなんてあり得ない。誰かが信じなくとも、僕だけは僕自身を認めて、信じてやる。それは、一族の誇りとは別の、僕だけのプライドだ。
     そして身に着けた力は全てを証明してくれる。吹き荒ぶ嵐の暴虐に人々が抵抗できないのと同じに、鍛えた翼は真実を引きずり出す。勝った負けた、ハッキリ分かれたその瞬間、ぱたりと雑音が止み、人々から湧き上がる称賛の声が好きだった。勝利の興奮が、絶対的な確信が僕を満たして、もっとずっと高い空へと意識が開けていく、あの瞬間が。越える壁が自分自身だけになっても、終わりの無い挑戦に覚えたのは飢えるような高揚感だった。満たして、また求めて、また満たして、求めて。貪欲に強さを目指し続けて、自分を疑ったことは一度も無い。血が滲むほどに弦を引き絞った感覚を、無様に地に落ちては大空を睨み付けた永遠の一瞬を、僕だけは確かに覚えているのだから。
     ──誰もが認める強さがある、と自分を信じ抜くことが僕のプライドだった。
     そして為し得た一族最高の戦士の銘、続いて、転がるように手に入ってきた世界を救う英雄の銘──英傑。主役でないというのはちょっと不満だが、権威だの、肩書きだのに興味はない。けれど、その銘が、力を認められた選ばれし者である事実を示す証であるならばこそ、僕は「英傑」の銘を自らの誇りに加えたのだ。
     ──囀りの中にも時折あたたかな声音が混じっていたことを知っていた。
     ──向けられる視線が奇異だけではない期待を宿していたことに気づいていた。
     ──そういうものたちに応えられる自分が、そういうものたちを守れるならば、それは誇りだった。
     英傑であるからこそ、英傑の銘にふさわしく振る舞うべきだ。
     賞賛を集めるのは当然だ。羨望を集めるのは当然だ。
     故に呼び掛けられる声に気取った笑顔を返しては人々の安寧を守る。
     嫉妬を集めるのは仕方ない。悪意を向けられるのも仕方ない。
     故にぼそりと聞こえた無粋な声に余裕綽々と声をかけて、びくりと揺れた肩に、にこりと笑ってやるくらいで丁度いい。
     それでさらなる悪意を集めたのなら、また、仕方ない。そいつには英雄は必要ないということだ。本当に気に留める必要のない些事だったということだ。
     間違っても、根の無い勝手な言い分に素直に傷ついて、況してや気に留めないフリをして抱え込んで、善意を向けてやるお人好しは英雄の振る舞いではない。
     英雄が英雄らしく振る舞うことは、義務であり、権利なのだから。
     ──あいつが技術を鼻にかけるような嫌なヤツなら良かった。少しの羨望と嫌悪で固められたなら、よかったのだ。
     しかしあいつの着込んだ鎧は、騎士の名に恥じない高潔さと一線を駕した実力と、それだけ。地位も名誉も虚飾の言葉さえあいつは振りかざすことはない。それを人々はますます褒めそやし、理想の騎士だ、伝承の通りの救世主だ、と囃し立てるのだ。それと同じ口で、剣と生まれに頼った卑怯者、と謗るのだ。 
     そして、あいつは何も言わない。ふっと目をそらして、何も映さない。
     僕はあいつの何ものをも映さない目が嫌いだ。いつだったか、騎士に護られ安穏と生きる城下町のハイリア人の民衆が、最強の騎士と呼ばれたアイツを指してこう言った。
    「──騎士さまの瞳は天空におわします女神さまの祝福を受けた、空の色。」と。
     僕は認めない。あの瞳が翼の民リトの愛し敬う空の色だなどと。あんなものが空の色なわけがあるか。あんな虚を凝り固めた石ころのような目玉が。空はもっと気まぐれで、凄惨で、不条理で、無常だからこそ美しい。
     そう真正面から言ってやったって、あいつは何も言わないのだろう。人々が優しさだと、理性的だと称える腑抜けさで、その言葉を何処か遠くへ追いやるフリ。
      怒りを見せないのは構わない。冷静さは戦うモノの要だ。
     悲しみを隠すのは構わない。君の弱さに興味はない。
     喜びを明かさないのは構わない。君の好きにすればいい。 
     ──だが、その誇りを声にしないのは、どうしてだ!
     ──この誇り高きリトの戦士に、同じだけの誇りを示して見せないのは、どうしてだ!
     なぜ。どうして。なんで。何故。なぜ!
     自分ばかりが、尋ねたがりの子どものように滑稽に空回る。手を差し出してみせたって、鏃の先を突きつけたって、歯牙にかけるどころか、視界にすら入らない。これじゃまるで道化だ。ハイラルの伝説の勇者にとって、リトの英雄なぞ伝承の勇者様の前座に過ぎないとでも思っているのかと邪推さえした。
     そんな陳腐な推量に当てはまるような男であれば、僕はここまで憤りはしなかっただろう。
     その目に映るものが侮りであれば、怒ることもできた。
     その目が訴えるものが憐憫であれば、蔑むこともできた。
     その目に、怒りの一つでも宿ったものなら、きっと僕は正面から大笑してやった。
     だがどうだ、あの両眼が此方に何かを求めることなどありはしなかった。
     何も無い。
     何も映っていない。
     此方が踏み込んでも、何も、返ってくるものがない。
     たとえ目の前に立って喉元に手をかけたって、あの男の思惑の先にリトの戦士の宣戦布告の声は届きもしていないのだ。
     そんな筈が無い。あってはならない。
     空の支配者が、リトの英雄が、この僕が、“勝負の舞台にすら上がることが出来ない”なんて!
     だが事実、あの男の目は磨り硝子のように奥を見せない。僕はあの目と同じ色の名を思い出せないままでいる。
     ああ、イケ好かない、気に入らない、理解ができない!
     だから──“このまま”では終われない。
     突き放して終わってしまったら、不愉快な愚か者たちと同じだ。
     理解を諦めてしまったら、あいつの不戦勝で僕の負けだ。
     ──そんなことは僕の誇りが許さない。
     あいつの瞳の奥が何色なのかを引きずり出して、その顔に感情を塗りたくって、そうして必ずあいつ自身の口から答えさせてやるのだ。
    空色 >そら ]]だというなら、そこに[[rb:空の支配者_ぼく_るのか?』
     思い出せない青の答えを、あいつ自身から聞き出してやる。 
     僕には、それが必要なことだった。
     空の支配者、誇り高きリトの戦士として。きっと同じ戦場に立ち、未来を勝ち取る筈の仲間として。
     僕が取るべき選択は今とこれから、ずっとこの先まで変わらない。
     僕が僕であるために。・・・・・・・・・
     僕は、あの地上の空色と決着をつけることが必要だった。
     そう。僕が変わりなく空へと飛び立つ未来のためには、必要だったのだ。
     ──故に、僕は彼にまつわる幾つかの記憶をこう断じておこうと思う。
    「リトの英傑リーバルは、姫の近衛騎士が嫌い“だった”のだ」と。
    英傑リーバルの事情
     爽やかな空、長閑な村、なのに目の前にはあの男。リーバルは嘴を歪めた。ほんの一瞬前まで確かに自分は、陽気な空にふさわしく、かろやかに音を立てて、巨石に螺旋階段を描くように作られた村の、木張りの階段をきいころと軋ませていたのに。
     天気は晴れ。雲一つない青空に風が少々。上空には神獣ヴァ・メドーがリトの村を守るようゆっくりと旋回している。この時期の陽射しは柔らかく、絶好の飛行日和に朝から機嫌がいい、はずだった。
     英傑のリーダーであることを示す青色を目にして、リーバルは一気に自分の心に錘を付けられた心地がした。艶めく赤と白の隈取りを施された翡翠の瞳は物憂げに空を仰ぎ、太く雄々しい金色の眉は潜められ。嘴の隙間からは息が洩れる。真っ白な羽毛が覗く腹部以下から伸びる、その先、前に二つ後ろに一つの鋭利なけづめが地面をひっかいた。肩から肘は人のそれに近いが、肘から大きく広がる、み空色の羽毛に白く模様の入った翼は腕のように自然と組まれる。戦士を象徴する肩の羽飾りと、胸元の鎧がカチリと音を立てた。
     鳥がそのまま人の形を為したような異形の人。空の支配者リトの民。一見して鳥らしくない、と思うのは後頭部に幾つも編み込まれた三つ編みだろうか。羽毛ではなく、丁度人の髪の毛に近いような青い束に薄黄色と碧の飾り紐を織り込んで三つ編みされた束が大きな翡翠の髪留めで留められている。几帳面に皆同じ太さで編まれた三つ編みが風に揺れては翡翠の髪留めをぶつけ合い、からころと涼しげな音を立てる。
     ゾーラ、ゴロン、ハイリア、ゲルド、その他様々な種族の混在するこのハイラルにおいて、リーバルは、男は弓に秀で、女は唄に秀でると名高い空の支配者、リト族と称される種族の若者であった。男の蒼い服と揃いの布で作られた英傑の証である首元のスカーフを今ばかりは忌々しげに睨んだ。ため息をつくか舌打ちをするか迷っている間に視線が合ってしまう。心の内で、本当についてない、と悪態を吐いた。
    「おはよう、リーバル」
    「やぁ。おはよう、というには少し遅すぎるんじゃないか。とはいえ、絶好の飛行日和だ。……と言っても“ハイリア人”の君は飛べないんだから分からないかな。ごめんごめん!」
     ハイリア人。この世で一番栄える国、世界の名をそのまま冠するハイラル王国を統べる種族である。尖った耳と毛の薄いつるっとした脆弱な肌。紅葉のような両手に鍬のような足。飛べない代わりに手先は器用。上から下まで布を着込む習性がある。よく似た種族にシーカー族とゲルド族がおり、長年ハイリア王家に仕えると聞くシーカー族は特に細かな機械作りに秀でているらしい。シーカー族は耳が丸く、若い者も老人のような白髪を持つ。
     しかしながらリト族のリーバルからすれば人間種族など、城に仕えるようになって漸く知識の上での区別がついたくらいだ。唯一ゲルド族だけは砂漠に住まう所以か浅黒い肌、燃えるような髪、たくましく鍛えられた肉体を持つ女ばかりなので見分けがつく程度。
    (こいつやあの姫はまあ、見分けられるけどさ)
     目の前に佇む男はハイリア人の中でも特に誂えたように目立つ出で立ちだ。日差しが透ける金の髪、空を写したような青い瞳。英傑の自分が仕えるハイラルの姫君と同じ、ハイリア人の中でも珍しい色合いの男は、あからさまに嫌味を込められた挨拶にも表情を変えることなく、確かにいい天気だなどと返してくる。すかしたような態度が気に入らない、とリーバルは眉を潜めた。
    「それで?君は何しにここに来たんだい。お姫様の近衛騎士殿がまさか物見遊山に来た訳じゃないだろ」
    これしきのことで腹を立てるのも度量の狭さを晒すようで、きまり悪い。この男が鈍いのはいつものことだ、と思い直して舌打ちをしそうになるのをぐっと堪えた。代わりに尋ねると青い瞳の服の男は言葉少なに遺跡調査のついでに寄ったというようなことを述べた。姫は買い物をしているらしい。現在ハイラル王家に姫君は自分と蒼い男とが仕えるゼルダ姫のみである。唯一の姫が何故このような雪山近くの辺境への放蕩を許されているのか。その答えは痛ましき姫の境遇と、この男の素性に因果を持つ。
    「護衛がこんなところで油を売っていていいいのかい………って、ああ、置いてかれちゃったんだ。君は相変わらず、あのお姫様に嫌われてるみたいだね」
     ご苦労様なことだ、とリーバルは軽蔑を隠さずに笑った。蒼い服の男はリーバルが無意識に揺らしているであろう脚の鋭利な爪先が、コツコツと木張りの段を叩くのに困ったように眉を下げた。現騎士団長の嫡子であり、幼少から剣の腕に冴え、あらゆる武器を使いこなす技量を見込まれてハイラル王直々の命で姫の近衛騎士となったのが目の前の男である。騎士さまはもっと柔らかなお顔をなさったら素敵なのに、と噂をしていたのは城の侍女かはたまたリトの女だったか。
     引き結ばれたままの男の唇を見て、リーバルは記憶を追うのを止めた。今から確認すればいい。この男の欠点は、仏頂面だけでなく、女神に愛されたかのように成功した生を送っていることだ。あくまで端から見ればの話だが。
    「まぁ、姫の気持ちを考えれば、無理もないことだよ。ねえ」
    「……ああ」
     リーバルはわざと相手のカンに障るように一言ずつ、間延びした声で問いかけた。
     しかし男の声の平淡さに何か心の揺らぎが見える様子はなかった。この声まで鉛のような鉄面皮を人々は理知と称え、仕える姫君は不信と怯えるというのに。
     ハイラルの姫。ハイリア人が、女神の末裔と信奉する王家の血を引く娘。期を熟する度に、聖なる剣を携えし勇者と協力して、宿敵ガノンの脅威から人々を守る姫巫女。今世の勇者が完璧な騎士であるに対して、姫巫女は、我ら英傑がお仕えする姫君は、若くに母を亡くし、未だに祈りの力の訪わぬ第17代目のゼルダ。付いた呼び名は“無才の姫”。学者気質のかの姫は書に学び理を計ることに関しては非常に、むしろ褒め称えるべき程に優れているのだが、世に求められる“ゼルダ”の役割は伝承に倣い祈りの力を奮う姫であった。
    「伝承伝承って皆、盲信しすぎだ。厄災を討ち滅ぼすのが女神の寵愛を受ける姫と剣に選ばれるとかいう勇者に決まったわけでもないのに。ここに、最高の戦士がいるんだからね」
    「……あの方は、懸命に努力をなさっている。民を憂い国を見据え、視線を落とさずに」
    「そうだね。彼女の綺麗すぎる理想の眩しさは、誇り高きリトの民も認めるところだ。そこに気高さを見たからこそ、この僕が翼を貸している」
    「感謝、している」
    「……だから、気に入らないんだよ」
      何が、とは言わなかった。
     何が、とも問われなかった。
     問われても答えることは難しかっただろう。英傑、などという面倒に嘴を突っ込んで以来、リーバルには“気に入らない”出来事が並べきることに飽きるほど多かった。
     それでも戦士リーバルを動かした、姫君の理想。守る筈の人々に蔑まれながらも「世界を、生きる人々を救わなければならない」と真っ直ぐに語る瞳。一向に成果の出ない、伝承に準じた祈りの力を得るための修行を続ける固い意志。それらの愚直さは、かつてのリーバルに“伝承”に対する考えを改めさせたのだ。良くにも、悪くにも。
     ハイラルに伝わる“伝承”。1万年よりさらに遥か昔、ハイラル創成から始まり脈々と続く姫と勇者の伝承。魔の王ガノンドロフとの戦いの歴史。ハイラルを蹂躙せんとする魔王ガノンドロフが暴れる度に、どのような時代にも女神の力を継ぐ姫君と退魔の剣に選ばれし勇者が現れ、手を取り、ガノンドロフを封印せしめたという。女神の力はハイラル王家の姫君に、受け継がれると詠われるが、さもありなん。当代は先の通りである。
    「苛まれるのも伝承なら、縋るのもまた伝承とは、皮肉なものだよ。誰かさんのせいで、余計に、ね」
    「……」
     男は返事を返さなかった。ここで大人しく頷くようなら、リーバルは素直にこの男を愚かだと断ずることができたのだが。
     姫君を苛む伝承と、姫君が縋った伝承。リーバルから見れば、どちらも似たり寄ったりの、頼るには信用し難い御伽噺であることは変わらなかった。しかし姫君が縋った伝承──古代兵器には実効があった。百の兵隊よりも魔物を素早く確実に倒す絡繰りの兵に、リト族でさえ届かない夜の空を悠々と飛んで見せる巨大兵器。目に見えるものとして成果を見せられたリーバルは姫君の選択に素直に感心した。あの城の中で、最も厄災に脅かされる世界に心を砕き、現実的な判断をしているのは間違いなくあの姫君だろう、と。
     訪わぬ祈りの力に苛まれ、姫巫女が縋りついたのは物言わぬ伝承の遺物。一向に気配を見せない祈りの力を信じきれない姫君が最後に縋ったのは、ハイラルに語り継がれるおよそ1万年前の伝承と、古代兵器・ガーディアンである。
     1万年前、ハイラル王国は盛りに栄え、長年争いを続けた魔の王を追い詰めるに至った。高度な科学技術を確立し兵器をそろえ、魔の軍勢を圧倒し、何度でも甦るという魔の王をほぼ完全に滅するのではないか、という際まで。そのときに活躍したのが、自立式戦闘人形ガーディアンや神獣と呼ばれる古代兵器たちだ。もちろん光あるかぎり魔の王との戦いは終わらずに今までも続いてきたのだが、1万年前のこの大戦を語る伝承の詩は、魔の王との戦いの伝承の中でも一際その武勇と栄華の程を称えている。
     その大戦後、深く傷を負った魔の王は力を弱め、ハイラルは長らく続く平穏な時代を迎えた。恒常的な平和な時代のうちに、過ぎるほどに優れた技術たちは大地に埋もれてしまった。それでも時が満ちては、つつがなく退魔の剣を持つ勇者と女神の力を継ぐ姫巫女による魔王封印の儀式が行われてきた。少なくとも、今までは。
    (元々形骸的になっていた儀式とやらが少し滞った程度で、“無才の姫”と呼ぶ。そんなたわ言ばかりのハイリア人たちよりは、あの姫の方が信用できるに決まってる。)
     発現しない力に涙を飲んで前を向く当代の姫君は、魔の王を圧倒したという1万年前の機械兵器に目を向けた。人ならざる様な祈りの力が足りぬなら、限りなく人による力で、魔に対抗する。学者気質で理論家の姫君には祈りの力などというよりも余程機械の方が信用できたのだろう。1万年前の詩に倣い、ガーディアンと呼ばれる自立兵器を発掘、整備し。シーカー族の研究者の力を借りて、古代同様の力を取り戻した機械兵を数多く従え。さらには大型の超兵器、神獣を繰るため、類い希なる力を持つ4人の者が集められた。
     かつての戦いでは、あらゆる者が協力しあったという縁起を込めて4つの種族から。北東の火山に住まうゴロン族からは誰にも扱えぬ岩砕きを自在に振り回し、不可視の防壁を張る力を持つ豪傑が。東の湖に住まうゾーラ族からは治癒の力を持ち、ゾーラでも有数の槍の達人であるゾーラ王家の王女が。南西の砂漠に住まうゲルド族からは指先ひとつで雷を繰る、ゲルドの族長を務めていた女戦士が。北西の雪山のリト族からはリト史上最高の戦士、芸術品とまで言われた飛行テクニックを持つと讃えられる、このリーバルが英傑に選ばれた。
     そして英傑とは別な形で、英傑を取りまとめる者として選ばれたのが、“伝説の剣”とやらを携える目の前の金と青の男だ。
    「ああ!近衛騎士の君なら分かってると思うけど……。何も言わない君にも問題が無いわけじゃないんだよ」
    「……ああ」
     男は今度は返事を返した。絞るような声にリーバルは再び胃の腑が収まる場所を間違えたような苛立ちを覚えて、怜悧な目をさらに鋭くした。
    (分かっているくせに、踏み出さないのか。その背の“剣”に選ばれた勇者のくせして。それとも、本当はあの姫のことが分かっていないから、くすぶっているのか)
     伝説の剣。聖剣マスターソード。人の世を脅かす魔を打ち払うべく、創世の女神によって作られた剣。神秘ととして隠匿された遠き神殿の台座にて、聖剣を抜くに足る“勇者”が現れるのを待っているとされる、意志持つ剣。今代の“勇者”は目の前の男と、神だか剣だかは決めたらしいのだ。技術、人望、伝説の御証。心身ともに鍛えられ、時も月も誂えたように追い風を浴びせる、騎士の鑑。姫よりもこの男の方が余程女神の寵愛を受けている、と僻みにも似た対抗心と自尊心が、姫と騎士の一方的な溝を深めているのだ。否が応でもこの男の努力の半生を感じ取ってしまうが故に、なおさら。
     そして、自分も。
     最後のは余計な考えだと、軽くかぶりを振って、リーバルは挑発的に相手の顔を覗きこんだ。
    「少しは言い返さないのかい?君が侮辱されることは、少なからず君を近衛騎士にしている姫にも影響があると思うけど」
     先ほどの自分の発言を侮辱と認めてでも、リーバルが姫のことを引っ張り出すと、少しだけ男の顔付きが変わった。それでも、何か否定の言葉が返ってくることはない。これだからハイリア人は。リーバルは些かに不遜とも思われる感想を持った。リトの民は種族柄、相手の表情に聡いのだ。視力の良さだけでなく、リトの民はみな、相手が誇り高きリトの民が信用するに足るかどうかを見定める。視線の動き、手の仕草、呼吸のリズム、あらゆる挙動を注視して相手の裏を看破するのだ。曖昧に目を逸らして、無益な誤魔化し合いが効くと思うなら大間違いだ。全くもって、つまらない。今度こそ本当に舌打ちがもれる。
    「僕は君の、そういうところが気に入らないんだ」

     ──それが、あいつと話した最後の記憶だった。


     ああ、ついてないったら、ない。リトの誇る英雄であるこの僕が、こんな醜態を晒すなんて。リーバルは舌打ちをした。物陰に転がり込み、飛んでくる光弾をやり過ごす。耳障りな音と、石でも鉄でもない古代の素材でできた地面の焦げ付く匂いが、張り詰めきった神経を逆撫でする。
     “神獣ここ”はとっくに戦場だった。当たり前だ。だって“神獣コレ”は兵器なのだから。リト最高の戦士を捕まえて、兵器を操るだけの任務だなんて、侮られている。そう言ったのは自分の筈だった。だというのに、このザマだ。悪態をつく割に、彼の胸中に浮かぶものは後悔でも弱音でもなく。ただ、息が苦しかった。

     厄災を倒すためにと乗り込んだ古代の超兵器・神獣に突然現れた黒い怪物。泥のように溢れだした怪物は、神獣の中核・メイン制御システムに陣取り、無尽蔵に射撃を飛ばしている。煙を上げて壁面に残る銃痕が、一度あの攻撃に当たれば、あまり頑丈とはいえないリト族の自分ではひとたまりもないだろう、ということを明白に感じさせる。 
     知恵の泉ラネールの地で落胆を隠せないハイラルの姫君を嘲笑うように姿を現した厄災ガノン。夕陽を待っていた空は不吉に紅く染まり、魔物の濁声が響き。一堂に会していた英傑は息巻いた魔物を凪ぎ払い道を空けながら姫を近衛騎士に任せ、各自の神獣の元へと駆けた。
     神獣の中でも唯一、自分と同じく空を駆け、狙撃に特化した能力を持つこのメドーの役割は役不足なことに遊撃。不満はあるが、敵の意識を引き付けては厄災の勢力を蹴散らし味方の称賛を浴びて目立つのだから、花形と言ってもいい役割だと自分を納得させた。そしてもう一つ。誰よりも速く攻勢に転じ、正しく鬨の声を上げるのが、神獣ヴァ・メドーと英傑リーバルの役目。自分達が攻撃を放たなければ、ハイラルの軍は何時までも戦を始められない。このハイラルで、最も自由に、鮮やかに、迅速に!空を駆け弓を引くことができるリーバルだからこそ与えられた役目なのだ。
     こんなところで時間を食ってはいられない。その為に仕える姫を置いて、一番に神獣へ向かうことを託されたというのに。双肩に背負った責務を思い返し、首にかかった青い布がじん、と重く感じる。
    (バリアシステムが陥落したか。逃げることはできない、制空権はあちら……)
     逃げるつもりなぞ毛頭無いが、状況を分析していくにつれて絶望の予感が身に染みて、緊張感なくも溜め息がもれた。普段の穏やかな風はどこへやら、いっそ不気味なまでの無風の空に広げた羽までも重くなりそうな緊迫が蔓延している。どうしたものかな、と血の上った頭で必死に生きる道筋を探す。鬼ごっこを続けていれば自滅するのはこちら。
    (今すぐ特攻しても……)
     ちらと怪物の動きを伺えば目の前を横切る光線。息つく間も無く飛んでは走り、思考がほどけていく。ジリジリと嘴の先が焦げた。べっこうのように煌めき、生命感に輝いていた嘴は、とうに砂埃と血にまみれていた。
     こちらも弓で応戦してはいるが、効いているのか分からない。一気に真正面に躍り出て弦を引き絞る。まとめて放たれた3本の矢は1本が風に吹き飛ばされ、1本が奥の壁に突き刺さり1本が怪物の赤黒い肌を掠めた。
     生物なのか何なのかさえ定かではない怪物は一つ目玉の癖に正確な射撃をしてくる。生意気なことだ。礼とばかりに飛んできた攻撃を避けて奥歯を噛む。
     メドーが翼を傾けた。地面が振動と共に坂を作る。回避のために踏み出していた足が滑り、射撃が頬を掠める。
     じわじわと広がる痛みに苛立ちを煽られてますます冷静さを欠いてしまう。得意の空中戦に持ち込めないのが余計に彼の焦燥感を膨らませた。飛翔すれば怪物が発生させる竜巻の影響をもろに受け、怪物が作り出した不規則に動くビットが余計な風を生む。慣れ親しんだ大空の風ではない無機質な暴威を肌で感じながら戦い続けているもう一人を思う。
    (メドー……)
     相棒が応える気配はない。
     歯車が軋む音が悲鳴のように響き渡り、不自然に足元が揺れる。──厄災に対抗しうる決戦兵器にして、意志持つカラクリ、神獣。この日のために、今この時のために、1万年の眠りから覚め、爪を研ぎ澄まし、心を通わせた相棒は、今やただの空に浮かぶ戦場に過ぎない。
     姫たちと別れた後、一目散にハイラルの空を飛びぬけた英傑リーバルが神獣に辿り着いたとき。既に神獣の心臓コアは怪物の手にかかっていた。普段、蒼く光っている筈の制御装置が異質な緋色をしていた時点で、気付くべきだった。
     不用心に近づいて、どうしたんだと声をかけて、自分の上に被さった影が、赤い光線に滲み始めたときになって、ようやく、リーバルは己の失態を悟った。リーバルが回避しようと脚が動くよりも早く怪物の銃口が火を噴いた。
     しかし、そのとき放たれた光弾は、リーバルを焼き尽くすことはなかったのだ。 
     意志持つカラクリ。神獣。その最後の意思のあがきが、リーバルを救ったのだった。
     神獣メドーは自分のコアが傷つくと分かっていてなお、自身の機体を傾けて制御盤近くにいたリーバルを放り出した。
     結果、怪物の一撃は、緋色に呑まれて揺らめいていた最後の蒼い焔を貫いた。
     故に、リーバルは今なお戦場に立っている。メドーの心臓部は完全に怪物に乗っ取られ、心を洗うように蒼く透き通っていた焔は見る者を不安にさせる暗黒に輝きを奪われた。
     本当なら神獣メドーは今すぐ失墜してもおかしくない。封印を阻もうとする怪物の支配下で、世界を救う使命感ひとつで崩壊を辿る自身に耐えながら、出来うる限り、リーバルにとって最善の状況を保っている。上出来だろう。情に応えて何とかしてやると言いたいところだが、生憎とハッピーエンドが望めそうな妙案もない。戦況は明らかに劣勢。残っている矢は少ない。元々神獣を操ることがメインだったから余り量を持ってきていなかったのだけれど。相棒とも呼べるメドーを乗っ取られているのは心理的にも戦力的にも大きく不利だ。
     少しは離れやしないかと怪物に向けて威嚇じみた射を放つも、生命とは真っ向から対立するように底冷えする闇を身体に持つ怪物には、まるで効果がないようだ。親しんだ蒼い焔は影も見えず、依然として禍々しさを増している。
    (バリアシステムのおかげでアレも出ることができない。アレが姫の元に行くことは無い。だけど……)
     姿を捕捉されたことに焦りを感じながら駆け出そうとすると、怪物の動きが止まった。
     不自然な隙に、何か大きな攻撃が来るかもしれないと身構え、位置を確認しようとして──青い目玉と目が合った。
     その瞬間、足が竦んだ。
     今さら戦うのが、死ぬのが怖いだなんてそんな理由じゃない。ヤツの目が、鏡にうつったいつかの自分と同じ目をしていた。
     嫉妬に狂った緑の目。
     嫉妬に狂ったはずの翡翠いろ。
     ──知りもしない“嫉妬”に狂っていたかった、あのときの。
     ただ、目が合っただけなのに、こちらの全てを覗き込まれるような恐怖が消えない。
     見間違いだ、ヤツの目は青い。緑ではなく、あの妬ましい騎士殿と同じ青色だ。……──青、?
    (まてよ、おかしいじゃないか……)
     がんがんと割れんばかりに頭の中の警鐘が止まない。
     考えるな、と喉を締めあげる声がする。
     気付くな、と心臓を握りつぶす声がする。
     けれどリーバルはもう見てしまった。青い目を。今も、そして、あのとき・・・・も。
    (……あれが“青”だって?) 
     青。青い騎士。女神に選ばれ、剣に選ばれ、世界に選ばれたヒト。
     この翼でも届かない女神の伝承に、初めから名を刻まれている人間。
     空を飛ぶ翼は退魔の剣を引き抜けない。
     翡翠の瞳に祈りの力は訪わない。
     リトの英傑リーバルに、世界を救うことはできない。
     ──ハイラルを救うのは、ハイリア人でしか在り得ない。
    (僕は、それを、知っていた。僕はあれが青だと、知っていた筈なのに──)
     思い出せなかった色の名前。認めたくなかった色の正体。
     わかりきった現実を知らないふりをして、忘れ去ったつもりで。言葉にしなければ、そんな無駄な行動をする理由なんて。
    (僕は、“これ”から目を背けたことがある──)
     脚を地に引き摺り下ろされ、否応にも見上げさせられた光に目を焼かれる痛み──それを、ヒトは“挫折ぜつぼう”と呼ぶ。
     ざあっと全身から血の気が引く思いがした。この瞬間、リーバルは初めて、自分を疑った・・・・・・
     自分の記憶を。自分の感情を。 
     ──自分の、可能性を、疑った。
     不自然に息が荒ぎ、足元が不確かになり、世界がぐらりと揺れる。
     僕はまだ終わらない。まだ始まってもいない──すなわち、認めるわけにはいかない。
     英傑リーバルに限界があるなどと、認めてはならない。それは怪物だ。今までの全てを食らいつくしてしまう怪物だ。
     だから、あのとき・・・・、僕はそれを嫉妬と断じた筈だった。
     恐れる必要はない、そこには誰も、何もいない、この翼に不可能を突きつけ得る物など存在しない、と。
    挫折それは嫉妬なのだと、吐き捨てて、自信の向こうに捨て去ってしまった筈だ。
     嫉妬、嫉妬、嫉妬。
     それ以外に、答えを作りたくない、だから──……
    だから・・・?)
     はっと気が付いたときにはもう遅かった。
     その一瞬の隙に光弾が撃ち込まれる。
    「ぐぅ……ッ!」
     反射的に直撃は避けたが腹部をやられた。
     衝撃に吹き飛ばされてメドーの内部まで転がった。全身を打ったが痛みは気にならなかった。
    「くそッ……!」
     点々と続く自身の血痕を現実感なく眺める。ただ焦りが恐怖に変わっていき、身体が凍り付くのが恐ろしくてたまらない。先程までは渇望さえしていた冷えた思考が冷水を被ったように頭を占領する。嬉しくない。流れる血が止まらない。止血を試みるものの、長くはもたないだろうことが見てとれた。英傑の証である青い布が自分の血で紅く染まっていく。
      青。青い布。青の瞳。僕はあれに怒っていたのか?悲しんでいたのか?羨んでいたのか?
     分からない。冷めた思考を以てしても答えは出ない。答えを聞く相手もここにはいない。
    (ああ、英傑の衣が……)
     美しい青い色に染め上げられていた布が、少しずつ少しずつ自分の血を吸って変色していく。その様子は、まるで今に敗北に呑まれようとする自分達を嘲笑うかのようだ。くやしい。不甲斐ない。……死にたくない、と叫ぶかのように早まる心拍数に対して、頭の隅で手詰まりだと冷静に判断する自分がいる。──死にたくない?
    (いいや違う……もっと、シンプルだ)
     突きつけられた“青”に、恐怖はなかった。たちはだかった“青”に、憎悪はなかった。
     あるのは、静かに燃え盛る高揚だ。決してたどり着けない空の果てを追い続ける熱情だ。
     生まれて初めて美しいと理解した風の強靭さ、初めて弓を手にしたときに感じた確信。
     ──それらと同じ、魂を奮い立たせるプライド。
    (そうだ、死にたくないんじゃない……負けたくない・・・・・・んだ。)
     リーバルはきつく目蓋を閉じて、
    (だって……僕はリトの英雄、リーバルなんだぜ?)
    すぐ次の瞬間には、魔を打ち払う翡翠に違わぬ輝きを宿した瞳が大きく見開く。
    「ただで、死んでやるわけには、いかないんだ」
     ぐしゃぐしゃになった青色をきつく結び直して立ち上がる。するりと弓を括っていた紐を解いて、メドーの翼に空いた丸窓からそのまま空に放り出した。余計な荷物は少ない方がいい。下は湖だ、あの弓は頑丈だから下界に落ちても完全に壊れることは無いだろう。リトの村に届きさえすれば腕のいい弓職人が直してくれるはずだ。何だか死に仕度をしているみたいだ等と考えて、正しくその状況であることを思い直し、我がことながら少し滑稽に思われた。失われるには惜しい稀代の名弓を誰かが見つけて拾ってくれることを祈って、矢筒の下に隠れていた短剣を取り出す。まさか自分が弓を捨てて短剣を抜く羽目になるなんて思いもしなかった。かすかに笑みを浮かべながらリーバルはくるくると持ち慣れぬ短剣を弄び、血痕を辿ってくる怪物の気配に息を潜めた。
     ──リトの男は弓に秀でリトの女は歌に秀でるという謳い文句通り、リトには弓を扱う戦士が多い。衛兵など槍を持つ者もそれなりにいるが、やはり多いのは弓だ。空を戦場とする分、装備は最低限に。大剣はおろか、片手剣でも飛行の妨げになるので扱うことはごく稀だ。ただし、短剣においてはその限りではない。弓の細工や、ちょっとした採集に、武器ではなくツールとして、短剣を携帯する者は多い。それでなくともリトの戦士は地上での立ち回りや近接戦闘にも対応できるよう、弓の修練と同時に軽器の扱い方を教育される。
     しかし、弓を扱う戦士が持つ剣には、特別な意味が込められる。ほとんどの弓を扱う戦士が同時に短剣を持つが、彼らが短剣を抜くことはまず無いと言っていいだろう。なぜなら、剣を抜くなんて、弓で敵を仕留められぬ二流の戦士であると自ら証明するようなものなのだから。逆に言えば、一度も抜いたことのない短剣を身に付けている戦士は、優れた戦士として、皆からの誉れを集めるということだ。
     “射る矢 細を穿ち 天駆けること 疾風のごとし”
     リトの戦士としてこれ以上ない文句で謳われる英傑リーバルが、剣を抜く。
     あまりの屈辱感に手が震える。強がりでかっこつけて剣を取り落とし、最後のチャンスをみすみすダメにするなんて、無様もいいところだ。呼吸は一定にテンポを保って、薄く、けれど素早く小刻みに。──こんな小さな剣では、きっと大したダメージにはならないんだろう。
     それでも、何かあがき続けなければ。
     英傑リーバルは戦い抜かなければ。
     ただ──僕が僕であるために!
    「僕は、たとえ死んだって負けたくない!」
     最後に、息を止めるように息をした。短剣を嘴で咥えて、ただ、速く飛ぶことだけを考える。全身を以て弾丸のように青い一点に突っ込む。
     “射るは己の全て。穿つは虚悪、駆けゆく疾風はその身さえも切り刻む──”
     最後の一矢は自分自身、なんて。ちょっと王道が過ぎるんじゃないかな。
     誰に向けての言葉かも分からないまま、眩しい光が視界を焼いていった。妙な高揚に満たされた心に影を落とす何かを見ないふりをして、無心で空を駆けた。目前に迫った青と全てを奪い去るような熱量に全身をひっつかまれて。
    (ああ、あの青は──…… )
     掴みかけた何かは、言葉になる前に溶け落ち。すべてが青に消える。
     ──そこで、彼の意識は途切れた。


     ぼんやりとたゆたうような意識に呪いの渦が取り巻いてくる。怨嗟の声が止むことはない。嘆き、怒り、憎しみ、蔑み、ありとあらゆる心が醜く澱み暗澹とした思念が、自分を呑み込むようにどろどろと張り付く。
    (はなしてくれよ、羽が重くなって飛べなくなるだろ。……ああ、もう飛べないんだっけ?)
     あるはずもない耳を塞いでも何も映らない目を閉じても呪いが頭のなかを揺らし嘲笑うような声が鼓膜を刺し、からだのそこから何か暗いものに変えられてしまいそうな感覚に吐きそうだ。リトの民は死んだら空に還るのでは無かったか。雛鳥時分に聞いたお伽噺を恨めしく思い出しては意識がぼやける。明確に自覚できるのは自分が死んでいること。自分の意識が存在しているのはこの世ではないこと。
    (……暗いなァ)
     お世辞にも居心地がいいとは言えない暗闇は死後の世界とでもいうべきか、どうにも鳥目にやさしくないようだ。なかなか憎まれ口を叩くのも辛くなってくる。
     なんで僕はこんなところにいるんだろう。
     形のない何かに首を絞められるように苦しい。
     鈍器で殴られ続けるようにがんがんと頭が痛む。呼吸なんてもうできないはずなのに息が詰まる。
     からだのなかを何度も何度も怨念がぬるりと通り抜けていくのがおぞましい。
     己の存在をふとすれば飲み込まれるような恐怖にせっつかれて、嘴を閉じることは恐ろしかった。
     歩いているのか、止まっているのか。浮いているのか、飛んでいるのか。
     境界も何も曖昧に闇に呑まれる。苦し紛れに虚空を睨み付けて、とうとう力を抜いた。そうして何時間が経ったのか。何年?何日?瞬きの間かもしれない。
     もう死んでいるのに死んでしまいたいだなんて、まったくおかしな話だけれど、全てを投げ出してしまいたくなった。感じられる全てが煩わしく、記憶に残る全てが疎ましい。
    (それでも、一歩を踏み出さないでいるのは、責務を果たせなかったからだろうか。)
     笑おうとして、闇に呑まれる。思考が黒く塗りつぶされる。それでもぽつぽつと言葉を紡ぎだして、泡のように消されて。泣き言を叫んだのか、怒りを呟いたのか、自分が言葉を紡げているかも分からなくなっても、ただ一つ執着だけが残っていた。
     (消えれば、負ける。止まってしまえば、負けてしまう。戦うことすらできずに、負けが決まる。)
     それだけは、身体中の血を苦痛の炎に入れ替えたって、許せない。
     魂に刻み込まれたプライドが、ただそれだけがそうして闇の淵で抗っている。
     (──そう思ってなきゃ、この終わりの無い停滞に堪えられない。)
     何のために堪えるのか、どうして抗うのか。意識が次から次へと零れ落ちていく。何を失っているのかも分からないのに、焦燥と絶望感だけが積み上がっていく。自分の行いが、何も実を結ばないことの苦しみ。抗うことすら、足掻くことすら叶わない恐ろしさ。そんなもの、嫌と言うほど知っている筈だったのに。 
     たすけてくれ、と言葉にしたような気がした。闇に塗りつぶされるより早く、自分で消した。
     足掻く無意味さに自嘲する気力さえ湧かない暗闇にひとつ、光が差し込んだ。他にできることもなくじっと光を見つめていると少しずつ光が近づいて同時に声が響く。
    「き………ぇ、…か……聞こえ 、ますか?」
     聞き覚えのある声だ、とリーバルはふっと意識が浮き上がるのを感じた。高く透き通った、少女の声。
     あのお姫様の声だ。自分が敗北し、計画が崩れたということは向こうにも大きく影響が出ただろうに彼女は無事だったのだろうか。無事だったのなら、あいつは僕と違って一つは仕事をやり通したということか。響く声に思考を取り戻しながら耳を傾けていく。
    「私です。ゼルダです。……どうか、私の話を聞いてください」
     これは祈りの力によるものだろうか。頭上からとも胸の内からとも、何処とも言えない場所から響いてくる声は、夜明けの目覚めに耳をくすぐる小夜啼鳥のさえずりのように美しく、心地よかった。
     返事もできない自分はただ、彼女の声を聞くだけだ。光を見つめ、声を聞いている間は暗い感情が鳴りを潜めるようだった。
    「お願いです、……リーバル」
     闇以外が存在しない視界の中で、光と共に現れた碧い瞳がひどく鮮烈に思われて。どうにも気に入らない男の顔を思い出してしまった。



     姫の言葉によれば全ての神獣が厄災に奪われ他の英傑も皆死んだらしい。毅然とした態度を崩さずに仲間たちが死んだと話す彼女が不思議だった。あいつは姫を護りきり、瀕死の状態になったらしい。そして傷を癒すために長き眠りについた。武器を失い、軍を失い、伝承を失い、心さえもきりつけられて、それでも彼女の心は折れていない。
    ──彼女はとても残酷なことを言う。
    「どうか……わたしと共に、厄災を倒すその日まで戦ってはくれませんか」
     リーバルはこの言葉を二度聞いた。今より少し前、まだこの首に青い布がかかっていなかった頃と、今と。一度目のときのリーバルは、余裕を持った笑みをつくって、その真剣すぎるまなざしを興味ぶかそうに覗き込んだ。今は、自分がどんな顔をしているかが分からなかった。
     彼女は、いつ回復するかも分からないあいつを待ってこの地獄に耐え続けろと言う。無茶な頼みと分かっていてこちらを気遣って来るわりに、決して断ることを受け入れなさそうな態度には見覚えがある。
     あいつに似ている。
     厄災そのものを抑えながら他人を気遣う余裕などあるはずがないのに、事も無げに、一緒に彼を信じてくれ、などと言うのだ。
     弓の引き方も知らないお姫様が。
     本当に、あいつにそっくりだ。
    「……君は、あいつが嫌いなんじゃなかったかい」
     ずいぶん久し振りに出した気もする声は喉にかさついていて、重たげだった。
    「いいえ、嫌いではありません。苦手だっただけです」
     いえ、違いますね、と姫は小さくかぶりを振った。
    「私は彼が“羨ましかった”」
     知れず、リーバルは息を詰めた。
    「片や、王に選ばれ、剣に選ばれ、生まれながらに精霊や女神の声を聞く完璧な騎士。片や、一向に封印の力を継承できず責務を果たせぬ無才の姫。……理不尽だとすら思いました」
     知っている。何でもないような顔をして、あいつは何でもこなして見せた。そして決まって困ったように目を伏せるのだ。
    「彼は何でも持っているのだと、だから何も持たない私の気持ちなど分からない、私を見下して荷物に思っているのだと、そう思い込んで突き放しました。それでもなお、彼は私を護った。文字通り、命をかけて」
     姫は下を向いた。
    「知っていますか?彼は、彼は誰よりも私を認めていたのです。貴女の努力はきっと報われるべきだ、貴女を護れることが自分の誇りだと、そう言いました」
     なんて、皮肉でしょう!俯いたまま姫は自嘲するように笑った。
    「その時の私の気持ちが……貴方には一番よくわかるでしょう?」
     姫は確信を伴った声でリーバルに問う。そこには同情や嘲りがあるのではなく、ただ事実を確認する透明な問いかけだった。
    「……腹が立って、困惑して、……」
     リーバルは一度言葉を止めて、姫の様子を伺った。分かってはいてもその先は言いたくなかった。だが、姫はいつまでも待つつもりのようだから諦めた。
    「……嬉しかったんだろ」
    「……嫌いになりようが、無かったんです」
     ああ、ちがうな、とリーバルは小さく思った。自分とは違う。天涯孤独の天才、なんてそこまで驕るつもりはないが、僕は自分を信じていた。自分の技術を、才能を、努力を。
     だから、僕は、あいつがイケ好かなかった。
    「だから、私は、彼のことが苦手だった。……だからこそ、私は、彼のことが好きになった」
     貴方だってそうでしょう?とでも言いたげにこちらを見やる姫に対して、リーバルは降参と言わんばかりに両手を挙げた。
    「奇遇だね。僕も今さらそんなに嫌いでもなかったなって思い始めたところ」
    「“そんなに”?」
    「……友人くらいにはなれたかも、なぁんてね」
     ややぶっきらぼうに言い放って肩を竦めて見せる。
    「僕と並べるのはあいつぐらいしかいないし、僕の態度に耐えられる鈍感具合のやつも、そうはいないからね」
    「必ず、伝えます」
     大真面目に頷く姫に苦笑する。
    「やめてくれよ。墓まで持っていくつもりなんだから」
     墓なんてないけど。言いかけた嘴を慌てて閉じて、ちぐはぐな呼吸をした。これは、言わなくてもいい冗談だ。
    「なぁ、神獣は………メドーは、無事かい」
     誤魔化すように話題を探して、神獣のことを引き出す。浅慮が嘴をついて出たようなしどろもどろさ加減だが、そう悪くない選択だろうとリーバルは思った。
    「各地の神獣は、ガノンの支配に抗ってメイン機能を停止しています。幸いにも各種族の集落とは少し離れたところで」
     停止、ということはまだメドーは生きているのだろう。今はまだ、沈黙を保っていても、いつ暴走するか分からないということか。リーバルは淡々と情報を咀嚼した。
    「私が貴方たちの存在に気づけたのも神獣たちが助けを求めて声を上げていたからです」
    「へぇ、聞こえるようになったんだ」
    「はい。貴方に会う前にも、リトの神獣、ヴァ・メドーと話をしました」
    「いいヤツだろ」
     ひとつ頷いた姫は、また少しだけうつむいた。
    「彼らは自身を削ってでも厄災の支配に抗っています。既に負った傷は深い。この先、年月による劣化、風化も免れないでしょう」
    それはつまり。
    「もう一度、厄災ガノンと対峙するとき。その時が、彼らの最期になります」
     姫は長く伸びた睫毛を風に揺れる鈴蘭のように震わせて、白い手を血の気が無くなる迄に強く握りしめて、しかし顔を伏せなかった。
    「そう」
    リーバルは発した自分の声が思ったよりずっと平淡だったことに小さく驚いた。
    「私は……この責は私にあります。共に戦ってくれた皆の全てを奪って、それでもなお、私は貴方たちに戦いを強いようとしている」
     沈痛な面持ちで姫は唇を噛んだ。
    「何も、悔しいのは君だけじゃあないさ。僕らだって戦士としての矜持がある」
     抱え込み過ぎだ。リーバルは少し困って、彼にしては珍しく、素直に思ったことを言うことにした。
    「君は神獣を仲間と呼ぶんだね」
    「当然です」
    「それだけ思われるなら、メドーも喜ぶだろう。心配要らない、僕の相棒だ」
     特に何か考えていた訳ではなく、こぼれるように言葉が出てきた。
    「きっと、僕も一緒にいく」
     心優しい姫君は、泣かなかった。

     少しの沈黙の間、リーバルは自分が言うべきことを思案し続けた。かつて、あの男と対立を隠さず、負の感情に位置しては誰よりも姫と近い場所にいた自分こそが彼女に伝えなければならないことは何か。懺悔?今さらだ。赦免?以ての外。激励?ちがう。僕より適任がいる。糾弾?何様のつもりだ。いやでも近いかもしれない。
     ひとつ、思い当たった“それ”に、少しの釈然としない気後れを感じて、リーバルは薄く目を閉じた。
    「……ねえ、少し意地悪なことを言うよ」 
     亡霊の戯言と思ってくれていい。と言い訳めいた前置きをしたリーバルは至って真面目な顔で重い嘴を開いた。
    「君の……、貴女の、努力を知っている。貴女の悲壮を知っている。だからこそ貴女の強さを、僕は尊敬しているし、心配してもいる」
     姫は静かに続く言葉を待っている。
    「……目覚めたアイツは同じアイツにはならないかもしれない。貴女を忘れ、英傑としての誇りを忘れ、只人になるやもね。もちろん、目覚めない可能性だってある。……つまりは、アイツが貴女を、ひいてはハイラルを救う確証はどこにもない」
    「ええ」
    「そうなったとき、貴女だけが本当の僕らを背負い、死ぬことになる」
    「……ええ。分かっています」
    「誰も彼も貴女の戦いを知らないままで、貴女の功績による僅かな平穏を貪っておきながら、貴女の犠牲を顧みる者は誰一人いない。一人きりで、ハイラルの国を、民を、貴女を信じて散った英傑の命を背負うんだ」
     リーバルは声を落とした。
    「貴女は、耐えられるのか」
    「私は」姫は目を伏せた。
    「私は一人ではありません」
     はっきりとした声だった。
    「国は、元よりローム・ボスフォレームス・ハイラルの娘として、ハイラル王家の血脈を継ぐ者として、当然に背負わなければならないものです」
     逃げ出してしまいたいと思ったこともありましたが。と姫は何処か懐かしむように笑った。
    「私は一人ではないんです」
     姫は自身に言い聞かせるように繰り返した。
    「母がいた。父がいた。貴方たち英傑がいた。シーカー族の近衛たちがいた。彼がいた。犠牲ではありません。私はようやく私の信じた人たちと共に、大切な彼らのために、戦うことができる、ただそれだけなんです」
     これで、答えになるでしょうか、と呟いた姫にリーバルは沈黙を返す。
    「それに、不思議なことに。私、彼が目覚めない未来はちっとも信じていないんですよ」
     姫は心底不思議そうな顔をしてから、穏やかに言いきる。
    「私は、私を信じてくれた彼を信じます」
    「……貴女を信じたと言う“彼”が、もうどこにもいなくても?」
    「それでも、例え同じでないとしても。“彼”が私を覚えていなくても。“彼”が共にいてくれるなら」
     姫は真っ直ぐに此方を見据えた。
    「私は、大丈夫です」
    「……ふぅん、妬けるねェ」
     素っ気なく返事をして、リーバルは夜空に瞬く星々のごとく、己の鳥目を眩ませる光から目をそらした。
    (……断れる、はずもないんだ)
     あいつが、生きているのなら。
     もう一度あいつに会うならば。
     言ってやらなきゃいけないことが沢山ある。僕の代わりにガノンのやつをぶん殴ってもらわなきゃ死にきれない。
     ああ、そうだよ認めよう。
     僕はあいつにしか頼れないんだ。
     あいつだけが僕の隣に並ぶどころか、翼も無いのに僕を追い越して行くんだから。
     どんな武器も器用に扱うあいつが妬ましい。
     王にも剣にも認められるあいつが羨ましい。
     リトいちと称えられる僕より弓もそれ以外の武器も上手く扱うあいつが気に入らない。
     いつも正しいことをしているくせに本当は周りの反応を気にして模範通りに振る舞うことを後悔しているあいつが気に食わない。
    (なのに、僕は、ずっとあいつの隣に並びたかったんだ)
     僕の方が優れていることを示したかったのではない、僕があいつに劣らないことを示したかった。あいつにしか頼れないけれど、あいつにだけは頼りたくなかった。
     だって頼ってしまえば、あいつは他と同じように僕を護る。
     あいつが僕に頼ることは永久に無くなる。
     ──僕は、あいつに勝てなくなる。
     あいつはそういう奴だ。僕は、周りの者を護るばかりで決して弱さを見せないあいつに、真っ正面から言ってやりたかったのだ。
    『仲間だっていうなら、僕にもきみを護らせろ。僕を護ろうだなんて、100年早いんだよ』
     笑ってしまう、僕は認められないんだ。
     妬ましい妬ましいあいつのことが嫌いじゃないってことを。認めてしまったら、気付いてしまったら、僕は後悔しきれない。僕があいつのせいで涙を流すなんて、それこそ笑えない冗談だ。
    (……本当に、笑えない)
     あいつは最期まであの姫を護り抜いたってのに僕はこんなところでやられて自分の役目も果たさず消えようとして。護られた姫さえも、あいつを信じて戦おうと言うのに、僕は。
     闇の中で囚われ続けて幾星霜。もはや感覚は無くして記憶は朧気に、愛した空の色さえ黒く滲んでいく中でくすぶり続けた問いかけ。
     自分は何がしたかったのだったか。
     何をせねばならなかったか。
     溶ける自我に焼き付いたは双眸の、青。
     空色そら だというなら、そこに空の支配者 ぼく るのか?───すべては、逆だ。
    (ああ……簡単なことだった。そこに空があるならば・・・・・・・、空の支配者が“助けてやる”のが道理だったんだ。)
     何も写していないような茫洋とした青い目が気に入らなかった。
     だから、気付くのが、遅かった。
     あの双眸に、彼処にあったのは確かに空だったのだ。何者をもしばらず、果てはなく、広がり続ける青い空。
     どんなに翼を振るっても理解は満ちず、全てを見やらんと広がる天に“返るもの”を求めたことなど、僕は、一度も無かったじゃないか。
    「……決めたよ」
     手を握った。弓を持つことに慣れすぎた手が、随分と軽く感じることをたしかめた。
     目を開いた。整った顔立ちのわりに、太い眉が幼さを感じさせる姫が、まだ暗い闇に染まりきっていない世界が、見える。
    「姫の御前だというのに失礼したね」
     使い込んだ皮鎧の緒を締め、翡翠の輝きを目に焼き付けて、解れた後ろ髪をまとめ直した。仕上げに肩を少し回して装備を馴染ませる。とん、と脚を付いたところで自分が立っていたことに気が付いた。
    「曲がっていますよ」
    「どこかな」
     ほら、と光と同じくらいに白い指先が示したのはハイラルの英傑の証である蒼い布。
    「どうも」
     大袈裟にお辞儀をしてから、よれた布をぴん、と伸ばして、慣れた手つきで結び直す。青には一点の曇りもなかった。
     似合わない険しい顔をしていた姫は漸く、ちょっと目を細めた。やれやれ、かつての笑顔を取り戻すのは騎士の役割か。自身の嘴の端が上がっているのを感じながらリーバルはひざまづいた。
    「今一度約束しよう。僕は、貴女の臣、ハイラル王家17代目の“ゼルダ”に仕える戦士。リトの英傑リーバルは、ハイラルの姫巫女の導きに従い、退魔の剣に選ばれし勇者の助けとなりましょう。………今度こそ、だ」
    「はい」姫は重々しく頷いた。
    「例えこの身がうつつ を離れても、約定が違うことはない。誓い果たすまで我が意思は砕けず、故に、この忠心は真なれば」
     恭しく、それこそ騎士のように頭を垂れるリーバルに合わせて姫巫女は厳粛な面持ちで応える。
    「しかと、聞き届けました。──リトの英傑よ、あなたに感謝を」
    「あんまり無茶をすると、あいつが顔を真っ青にして悲鳴をあげるぜ?姫」
     それはそれで見物だけどね、とリーバルが小さな儀式の終わりを示すように重厚な雰囲気を茶化す。潮時だった。
    「……さっきの言葉は取り消すよ。あいつは必ず目覚める。何度忘れたって何度でも思い出すだろうよ。君のことを、護るためにね」
    「……ありがとう、リーバル」
     柔らかな声音に顔を上げると、真っ直ぐに開かれた、自分の翡翠の目よりも透き通る水晶のような緑の瞳が、ちょうど向こうを向いて立ち去るところだった。泥と血にまみれた衣、風雨に荒らされた髪、城暮らしの貴人に似つかわしくない傷だらけの脚。“ハイラル王家の姫”を知る者が見たら、無惨に思えるのかもしれない。
     だが、闇に屈せず、光輝にも埋もれることなく、立ち続ける彼女はリーバルには眩しく思えた。
     雲間から差し込む光が途絶えるように遠ざかる後ろ姿を、光の残影が消えるまで見送って、リーバルはゆっくりと立ち上がる。
     ──借りを、返さなくてはならない。
     あいつが眠っている分、僕がここで戦い続ければそれできっと対等だ。無茶なあいつならボロボロになって100年くらい眠りこけることだろう。僕はその間戦い続けられるけど目覚めたあいつはどんなに頑張っても100年は生きられない。あいつがしわしわの爺さんになったとき、リーバルには敵わなかったと言わせてやる。
    (僕は素直じゃないんだよ、よく知っているだろう?)
     それに何より僕は神獣ヴァ・メドーを担うハイラルの英傑リーバル、リトが誇る英雄リーバルだ。リトを護り、来る日に厄災を討ち滅ぼすだろうあいつを助けてやるのが僕の役目だ。あの寝坊助が起きるまで、与えられた責務を果たすまで、この呪いと仲良くやるくらいわけないさ。
     リトの村上空では、姿なき主の思いに応えるかのように厄災に呑まれたはずの神獣が、高く、鳴いた。


     天気は晴れ。長閑さを強調するような雲がちらほらと点在するも、十分に青い空が見える。風はいつになくご機嫌がいいと言える、飛行日和だ。リーバルは自身の気分が浮かれているのを感じた。こんな空は久しぶりだった。あの男のおかげということを差し引いても、思わず唄い出したくなる陽気だった。そう、あの男。ようやく長い眠りから覚めた勇者殿がとうとうこの神獣メドーにやって来たことを思い返す。
     長く呪いに苛まれて時間の感覚なんてわからなくなっていたけれど、本当に100年も待たされるとはね。リーバルはあくびをしながら長い待ちぼうけの時間に、遠い城を睥睨した。
     呪いに侵された精神ではただ自由に飛び回るだけのリトの民さえも、飛べなくなった自分を嘲笑うようで妬ましく、メドーも引きずって暴走していた。自分でも情けないとは思うが本当にぎりぎりの状態だった。リトの民を傷つけすぎる前にあいつが止めてくれて心底ほっとしたなんてことは死んでいても言ってやる気はない。
     フン、と鼻で笑ってみせたが空を見上げる翡翠は上機嫌だった。
     あいつは飛べもしないのに、記憶もおぼろ気なくせに、姫のため、自分と関係ないリトの村のために無茶を通して、そして、僕の仇討ちを果たした。100年経っても相変わらず、気に入らないヤツだった。とリーバルは久方ぶりの客人を評した。
     呆然と口を開けて、含みの多い自分の言葉を聞いていた間抜けな客人だが、最後にこちらをしっかと見据え、笑って見せた顔は、生きていた頃よりは評価できる、顔だった。折角の、リトの英傑からの評価が貰えるかというところだったのに、死んでしまっていては遅すぎる。やはりあいつは駄目なのではないか?
     リーバルはつい先程下した評価を変えようかと迷って、止めておいた。
    「今も100年前と変わらないな……」
     懐かしい風が自分を通り抜けていく。
     伝えるべき言葉は伝えた。
     託すべきものも手を離れていった。
     もう少し何か言ってやっても良かったが、あまり姫を待たせるのも悪い。あの男が話すべきなのは遥か過去の友人とも呼べぬ誰かではなく、今を精一杯に生きる人々だ。
    「例えば、青色のよく似合うお姫様とかね」
     少し贔屓が過ぎることを自覚してリーバルは何やら笑いが込み上げた。
     空に一番近い神獣の上で、ひとしきり笑ったリーバルは、真昼に月が見えるのに気づいて一息をついた。もうあと何度紅い月を見るだろうか。紅が夜を支配する、風情にかける景色だったが、もう見ることも幾度も無いと思うと少しばかり惜しくなる。次はよく見ておくかな、とまで考えて、どこまでもあの男が厄災を倒すと信じて疑っていない自分が可笑しかった。このままでは笑ってばかりの変人になってしまうな、と今度は気を引き締めて、リーバルは深呼吸をして心を落ち着けた。
     きっと、決戦の日は近いのだろう。もうすぐ自分は100年前の役目を終えて、この世界から消える。ようやく責務を果たすことができる。100年も待った、それなのにどうにもこの世界が名残惜しく感じてしまうのは何故なのか。
     年若いリーバルには、答えの見えない問いだった。
     しかし、ただ一つ、確かに言えることがある。
    「僕は君に……負けたけれど。けど、僕は。僕の戦いは───僕たちの・・・・勝ち、だろう?」
     厄災が渦巻くハイラルの城を見据えながら、水が落ちる音が聴こえて、吹きわたる風がさらっていった。
     活気を取り戻したリトの村の喧騒に、英雄を称える勝利の凱歌が響く日を、彼は確信している。



     うす青く広がる空に独り言でも呟くようにぽつりぽつりと声が落ちる。
    「なあメドー、知ってるかい」
     足元でいつ来るか分からない、必ずやって来るチャンスを待って、主の号令を健気に待つ相棒を撫でてやる。神獣はきゅるきゅると照準を合わせ続けている。
    「あいつの持ってたパラセールは、その昔、リトの民がハイラル王家との親交の証として贈ったものなんだ」
     パラセールに描かれている紋様はリトのシンボルマークとハイラル王家の紋章を組み合わせたものだ。リトの村に残る、英傑の名を冠した広場にも同じ紋様が描かれている。リトと、ハイラルと、双方を背負う英雄をたたえる故に。
    「リト族はこのハイラルで唯一、空を自由に駆ける種族だ。皆、そのことに誇りをもって生きている」
     そんなリト族が他の誰かに自分と同じ空を制する手段を与えるということは、その相手が己の領域に踏み込むことを許すという最上級の敬意、そして親交の証と言える。翼を持たない友人と、共に空を駆ける喜びを分かち合うために、リトの民はハイリアの民に翼を与えたのだ。
    「つまり、リト族にとって、飛べない誰かに飛ぶ力を与えるってことは、とんでもない好意の表れってことさ!」
     小さく笑って吐き捨てた言葉に、厄災を捉え続けているメドーから返事が返ってくることはなかったが、それで良かった。
     僕が、君を飛ばせてあげるんだ。
     他の誰でもない、このリーバルが君に翼を与えてやるんだぜ。
     その意味をようく考えてくれよ、リンク。

     ──リトの村では今日も、穏やかな風が笑っている。


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