素直じゃない虎ほかほかと湯上がり特有の火照りを感じながら場地は家とは違う柔軟剤の香りのするタオルで頭の水滴をガシガシと拭う。
同じく脱衣所ではTシャツと半パンを身に付けた一虎が場地のものとは違うサラサラとした黒髪を白いタオルで無造作に拭いていた。
「あっちぃ…」
ある程度水滴をタオルに吸収させた後一虎はペタペタと脱衣所から出ていってしまう。
場地はそれを尻目に慣れた動作で洗面台に併設された棚からドライヤーを勝手に拝借し髪を乾かし始める。
どこのメーカーか分からない黒いドライヤーは勢いよく風を吐き出し場地の癖のある髪の毛をなびかせる。
その様子を隣の部屋のリビングから椅子に座り一虎が眺めていた。
一虎には髪をドライヤーで乾かす習慣がない。これは一虎んちで一緒に風呂に入って知った事だ。
一虎の髪の毛は比較的細い猫っ毛だ。だからドライヤーなしのタオルドライだけでも確かに問題ないっちゃないのかもしれない。しかし、昔からこしのあるしっかりとした癖っ毛の場地からするとそれは有り得ない事だった。
昔、まだ幼く髪の毛を乾かす為のドライヤーから逃げ惑う場地に母親がよく言ったものだ。「あんた!髪の毛ちゃんと乾かさないと頭からカビ生えてくるわよ!!?」
そんな母親の脅しとも取れる言葉は幼い頃の場地には効果覿面で、自分の頭に食い物に生えてるようなカビがふわふわ生えてくるのを想像しては恐怖に戦き母親から当てられるドライヤーに必死に耐えたものだ。
流石にこの歳になってあの時の母親の言葉が子供じみたただの脅しだったという事は理解しているが、習慣付けられた場地は時間がある時は未だにドライヤーを使って髪を乾かすようにしている。
粗方髪が乾いたのを確認し場地はドライヤーのスイッチを切り、風であっちこっち行った髪を手ぐしで適当に整える。
そこら辺で隣の部屋にいる一虎がそわそわきょろきょろしだすのを場地は感覚で感じた。
「一虎ぁ」
名前を呼ぶと一虎は小動物のようにピクッと反応しこちらを見つめてくる。名前に虎という漢字が入ってるくせにまるで猫みたいな反応をする一虎に向かって、おらっと洗面所に備え付けで置かれている椅子を引き、こっちに来るように促す。すると一瞬パッと顔を綻ばしたのを場地は見逃さなかった。しかし直ぐになんでもないですとばかりにふいっと視線を反らし場地と顔を合わせないようにしながらこちらへとやってくる。
目の前の椅子に一虎がすとんと座ったのを確認するとそれと同時に場地はドライヤーの電源を再び入れた。
一虎は自分ではドライヤーで髪を乾かさないくせにこうして人に髪を乾かしてもらうのは好きだった。
一虎がドライヤーを使う習慣がないと知ったその日、場地はその意外性に目を丸くした。こう言っちゃなんだが場地とは違いちょっとお坊っちゃん然とした一虎の事だからてっきり髪の毛をちゃんと乾かす習慣を持ってるもんだと思い込んでいた。しかし蓋を開けてみればドライヤーを使ったことも使われた記憶もないと言われてしまい、その癖家にドライヤーはちゃんとあるのだから場地は違和感に首を傾げながら、そうなんか…と言葉を漏らした。
少し肌寒い季節に足を突っ込み始めていたその日、いくら一虎の髪質と言えど見てるこっちが寒々しいと感じてしまい、髪を乾かせと促す為に昔自分が言われた言葉をさもそれらしく一虎にも言ってみた。
しかし場地の言葉を聞いた一虎は、はぁ?カビ?んな訳ねぇじゃんバカじゃねぇの?だってよ。全くもってビビる様子も可愛さの欠片のない一虎に、別に信じるとも思ってなかった場地だったが思わずカチンときてしまい、その呆れた目をした一虎の腕を無理やり掴み洗面台の椅子へと座らせた。
慌てた様子でアレコレ言ってくる一虎にいいから大人しくしとけと場地はドライヤーのスイッチを入れた。一虎は最初本当に面倒だったのか別にこれくらいすぐ乾くのに…だりぃ…などとぶつぶつ文句を言っていた。しかし場地の指が一虎の髪をほぐす為にその髪に通された途端一虎の態度が急に大人しくなった。
ぶつぶつと言っていた小言が消え、どうした?と思った場地が鏡越しに確認するとそこには気持ち良さそうに目を細める一虎の姿があった。
ドライヤーの風に当てられた髪をふわふわと漂わせながらわしゃわしゃと髪を撫でられている一虎は本当に猫みたいで、場地は野良猫を手懐けた時と同じような気持ちになった。
普段見せない親友の姿にちょっと気恥ずかしい気持ちを感じると共にふつふつと何とも言えない満足感が場地の頭を占領する。
一虎が文句を言わなくなったのを良いことにゆっくり時間を掛けて髪を乾かした場地はスイッチを切った後手ぐしで髪を整えてやりながら、ほら終わったぞと声を掛ける。
よほど気持ちよかったのかうつらうつらとし始めていた一虎は場地の言葉にハッとしたかと思うと気まずげに顔を下げながらおぅ…と返事した。
その日から一虎と一緒に風呂に入った時にはこうして髪を乾かしてやるようになった。
一虎はいつも風呂から上がると今までもそうしてたのか、タオルでガシガシと適当に頭を拭きながら洗面所を出ていってしまう。場地がちゃんと髪乾かせよと言ってもめんどくせぇ…とぼやくばかりで自分でドライヤーを用意しようとする様子は微塵もみられない。
そのくせ場地がドライヤーを使い始めるとその姿をじっと眺めてくる。椅子の背もたれに置いた腕に小さな顎を乗せてじっと見つめてくる視線にももう大分慣れてしまった。
場地の髪が段々乾いていくに従って視界の端に映る一虎が少しそわそわしだすのもいつもの事だ。
乾かして欲しいなら、乾かして欲しいって素直に言やいいのに…。
一虎の向ける物欲しそうな目を思い出しながら場地は思う。
甘えたいのに素直に甘えられない子供のような一虎の態度に場地はしょうがねぇやつだな…と思いながらいつも名前を呼ぶ。
名前を呼ばれた一虎はいつも必死に嬉しそうな態度を隠しながら場地の元へとやってくる。伏せた目線とは裏腹に一虎の頭と尻にぴょこんと立った耳とふわふわ揺れる尻尾が見えるようだった。
「きもちーか?」
わしゃわしゃと水分を飛ばすように髪を散らしながらドライヤーにかき消されないように大きな声で目の前にいる一虎にたずねる。
「………おぅ」
ドライヤーをかけてる時の一虎はちょっと素直だ。
頭を撫でるように髪に指を通す度に一虎の口からは、ん…と気持ち良さそうな声が漏れる。鏡越しに映る一虎はちょっとぽやんとしててちょっとかわいい。
なんとなくの流れで始まったこの風呂上がりの時間を場地は嫌いじゃないな…と思うのだった。