前日「俺さ、明日までに彼女が欲しいんだよね」
俺が神妙な面持ちでそう口にすれば、兄貴は勉強机から顔を上げることなくそうかと答える。
「そうかじゃないんだよ!兄貴!」
それが気に食わなくて声を荒げれば、なんなんだとやっと兄貴は振り向いてくれた。
「明日、エイプリルフールだろ?だから、彼女ができたって嘘をつきたい」
今日は三月最後の日。つまり、エイプリルフールの前日だ。春休みで中々会えないクラスの友達に、とっておきの嘘をつきたいと思っている。そして、みんなが信じそうなギリギリのラインで思いついたのが、俺に彼女ができたというものだ。
「事情はわかった。だが、そんなことをして虚しくないか?」
そう諭してくる兄貴に、虚しくないと大声で反論してしまう。虚しいわけがない。そうだ、虚しくなんてない。
「というわけで、兄貴には彼女のふりを」
「断る」
食い気味に出る拒否の言葉に、ケチと頰を膨らませる。相変わらず兄貴はノリが悪い。
「ミユか母さんに頼め」
「ミユと母さんは、ばあちゃんの家だろ」
「そうだったな」
昨日からミユと母さんは、ばあちゃんの家にお泊まりだ。明日帰ってくるから、エイプリルフールには間に合わない。頼れるのは兄貴しかいなかった。
話は終わりとばかりに、勉強机に向き直した兄貴の肩を掴む。頼むよーお願いだよーとしつこく肩を揺らしていれば、わかったからやめろと手をはたき落とされた。さすが兄貴と感謝の気持ちも込めて飛びつこうとしたが、さっと避けられてしまった。
「それで、どうやって彼女のフリなんてするんだ?」
さっさと終わらせたいのだろう。すぐに話は進められる。兄貴にお願いする以上、ちゃんと作戦は考えてある。
「そりゃ、兄貴が女装してって、痛ってー!」
それだけ言ったところで、兄貴のチョップが俺の脳天に叩き込まれた。
「却下だ」
そして、ものすごい形相で睨まれた。怒らせては、協力してもらえなくなる。多少は妥協をしなければ。
「わかった!じゃあ、匂わせるだけでいいから!」
「匂わせるだけ?」
「そうだな…。マニキュアとか塗ってさ、手だけ写真に写すとかどうだ?」
女装は無理なら、少しだけ女の子っぽいところを写した写真にすればいい。むしろ、それくらいのほうがリアリティが出るかもしれない。
「俺の手なんてすぐに男ってバレるぞ」
「大丈夫だって!兄貴の手綺麗だし!」
「そうか?」
兄貴が訝しげに言うから、咄嗟にそうフォローをする。そりゃあ女の子の手に比べたら、空手をやっていた兄貴の手はゴツい。でも、スラっと長い指と整った爪は綺麗だと思う。
「それに、マニキュアの塗り方なんて知らないぞ」
それに関しては問題ない。
「俺が塗るって」
「タツミが?」
「たまにミユと塗って遊んでたからな」
ミユが塗っているのを見て、面白半分で一緒に塗ったことが何度かあった。俺は中々塗るのが上手いらしく、ミユのを塗ってやることすらあるのだ。
「ちょっくら、拝借してくるわ」
そう言い残して、俺はミユの部屋に侵入する。何度も使ったことがあるから、どこにしまってあるかはバッチリ把握していた。机の横の棚の引き出しを開ければ、マニキュアが入った箱が出てくる。それを持って、兄貴の部屋に戻った。
「怒られないか?」
「バレなきゃ大丈夫だって」
心配そうにしている兄貴を尻目に、手を出すように指示すれば、素直に手を差し出してくれた。
まずは爪磨きで兄貴の爪を磨き、トップコートを塗っていく。
「ずいぶん本格的にやるんだな」
「そうかな?」
こうやって兄貴の手に触れるのは初めてで、なんだか妙にドキドキする。
「何色がいい?」
それを誤魔化すように、極力いつものトーンで話しかければ、好きな色にしろと素気なく返される。俺はなんだか変なのに、兄貴はいつもの兄貴で悔しい。
兄貴には、なんとなく黄色のイメージがある。きっとドクターイエローに乗っていた影響だろう。でも、そんな兄貴は俺だけのものにしたくて、無難に赤を選択した。それを丁寧に兄貴の爪に塗っていく。
チラリと兄貴へ視線を送れば、興味深げに俺の作業を見つめていた。その顔も可愛いと思ってしまうから、俺はやっぱり変だ。
「乾くまで待ってて」
やっとの思いで作業を終え、俺は一息つく。ミユにやってやるときの倍ほどの時間がかかったんじゃないかと思う。
「どれくらいで乾くんだ?」
「10〜15分くらい」
「暇だな」
確かに両手が使えない状況で待たされるのは暇だろう。ならばと俺は兄貴を後ろから抱き込んだ。
「タ、タツミっ!」
俺の突然の行動に兄貴はギョッとする。すぐに逃げ出そうと身体をひねるが、暴れたらマニキュアが剥がれちゃうよと有る事無い事を口にすれば大人しくなった。
「暇つぶしに付き合ってやるよ」
「これのどこが暇つぶしなんだ」
呆れる兄貴の耳元に、ふっと息を吹きかける。そうすれば、ビクリと兄貴の身体は跳ねる。
「タツミっ!」
すぐに非難の声を上げた兄貴に、暇つぶしだってと笑ってやる。そして、耳をぺろりと舐める。そうすれば、何かを耐えるように兄貴は唇を噛み締める。
これは仕返しだ。さっき散々俺を変な気持ちにさせた仕返しなのだ。少し兄貴で遊んでやらねば気が済まない。
そのまま耳を舐め回していると、気づけば兄貴がぐったりと俺に寄りかかっていた。少しやりすぎたかもしれない。
「あっ、えーと、ごめん…」
そろそろ爪も乾いた頃であるから解放してやれば、無言で兄貴は立ち上がる。流石に怒らせてしまったかなと様子を伺っていれば、俺と向かい合うように目の前に座った。
「それで、どうやって写真を撮るんだ?」
今までのことがなかったかのように、兄貴はそう問いかけてくる。怒っていないのだろうか。兄貴には特に表情がなくて、どういう感情なのかわからない。とりあえず、まだやる気はあるようなので、このまま続けることにする。
「うーん。手とか繋いでみる?」
何気なく手を差し出せば、わかったと兄貴は俺の手を取ってくれた。これでどうやって匂わせ写真を撮ろうかと考えていると、兄貴が指を絡ませてきた。
「彼女のフリなんだろ?指くらい絡ませたほうがいい」
そう言って、兄貴は俺の手を撫でまわす。爪に赤いマニキュアを塗っていることもあり、なんだか色っぽく見えて、ゴクリと息を呑む。それをいいことに、今度は兄貴が俺の指をパクリと咥え込んだ。
「えっ?」
そして、丹念に舐め始める。指の付け根から先までしごくように舐められたかと思うと、今度は指の間もしつこく舐めてくる。時折、挑発する様に俺を見つめてくるその姿は妖艶で、俺の身体に熱を溜め込ませていく。
「や、やめろって」
手を引き抜こうにも、兄貴は離してはくれない。これはおそらくさっきの行為への仕返しだ。兄貴も兄貴で負けず嫌いだから、倍返しにされている。
どうしたって反応する俺の昂りに、泣きそうになる。だって、まさか兄貴で勃つなんて思わない。それに気がついたのか、兄貴はやっと手を解放してくれた。
「抜いてやろうか?」
勝ち誇ったように言う兄貴に、結構ですと叫んで俺は自室に逃げ込んだ。