風呂から上がり自室に戻ると、机に置いたままにしていたスマートフォンが静かに振動していた。こんな時間に電話をかけてくるのは、一人しかいない。名前も確認しないで左手でスマートフォンを取り電話に出ると、起こしちゃったかなと申し訳なさそうなホクトの声が聞こえてきた。それにまだ寝てないですとリュウジが返せば、よかったとホクトは安堵の息をつく。
『身体の調子はどう?』
「足のほうは生活には問題ないです。右手は相変わらずで、左手で生活するのは未だに慣れないです」
ホクトから電話がかかってくると、いの一番にされる質問だった。それに定型文と化した答えを口にする。そのたびに特に進捗のない自分の身体の状態にリュウジはため息が出た。
『そういえば聞いたよ。名古屋支部で臨時指導代理になるんだってね』
「不穏な動きがあるようなので……」
超進化研究所によると、職員が不自然な失踪をしただとか、そのご子息に不思議なメッセージが送られてくるだとか、不穏な動きがあるという。それは、また巨大怪物体が現れる兆候かもしれない。杞憂で済むならそれでいいが、万が一に備えるのも超進化研究所の仕事だった。現に新たな脅威の出現に備えて、次世代のシンカリオンの開発も進んでいる。その為に新たな運転士の選任と育成は急務だった。それに協力して欲しいと、名古屋支部の羽島指令長からリュウジは打診されたのだ。
「もうシンカリオンには乗れませんが、俺の経験が後進の指導に活かせるなら光栄です」
『無理してない?』
努めて前向きに言ったつもりだった。しかし、ホクトの問いかけに、リュウジは思わず言葉が詰まる。無理をしているつもりは毛頭なかった。だが、臨時指導代理として久々に名古屋支部に訪れ、シンカリオンを目の当たりにしたとき、あの出来事が頭に過ぎったのは確かだった。あれは自業自得だ。その代償が自分だけならよかったが、思わぬ結果にリュウジはひどく後悔していた。そんな過去を抱えたまま、またあの場所に戻るのだ。無理などしていないはずがない。それでも、あんな後悔を次世代の運転士たちがしないように戻るのだ。それは自分にしかできないと、リュウジは考えていた。いや、言い聞かせていたと言ったほうがいいかもしれない。
リュウジが自身をそう言い含めていると、そうそうとホクトが次の話題を振ってくる。
『ハヤトが大学に合格したよ』
久々に聞く名前に、リュウジの心がチクリとする。ホクトが気を遣って、リュウジの前でその名前を出はなかったのだ。それなのになぜこのタイミングで、その名を口にするのか。
『名古屋の大学。リュウジくんと同じところだよ』
「えっ?」
続くホクトの言葉に、リュウジはスマートフォンを落としそうになる。
ハヤトは新幹線の運転士を目指していた。わざわざ名古屋の、リュウジと同じ大学に進学しなくても、関東には同等のレベルの大学が五万とあるはずだ。
「俺のこと、ハヤトに話してたんですか?」
自分にはハヤトのハの字も出さないくせにとリュウジが毒づけば、言ってないよとホクトは必死に否定する。
『リュウジくんのことは本当にハヤトに言ってないんだって。だいたい、リュウジくんの話をしたって、今のハヤトにはわからないし。だから、たまたまかな』
そんなたまたまあってたまるかと、リュウジは心の中でさらに毒吐く。
「止めてくれればよかったのに」
『だって、どうしてもリュウジくんの大学に行きたいって言うから』
「だとしてもっ!」
スマートフォンを握るリュウジの手に力が篭もる。
『会うのが怖い?』
「っ……」
ホクトの問いかけに、リュウジは答えられない。
『俺はね、あの出来事に蓋をしたままでいいとは思っていないんだ。ハヤトも大人になった。そろそろ向き合うべきだと思うんだ』
ホクトの言うことは一理ある。しかし、それがハヤトのためになるかは、リュウジにはわからない。
『リュウジくんもね』
続くホクトの言葉が、リュウジを貫くようであった。
あの出来事から次の春で五年だ。ハヤトは十八歳になっており、リュウジにいたっては成人済みである。社会人の一歩手前。モラトリアムを謳歌できる最期の青春。それは、パンドラの箱を開ける最期の機会とも言えた。