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    #キラ門
    Kirawus/Kadokura

    あつくてくすぐったい/キラ門 カドクラ、とドアの向こうから声を掛けられて返事をするも、シャワーの音に掻き消されて聞こえていないようだった。水の勢いを弱め、ドアノブを捻って隙間を開ける。脱衣所にはキラウㇱが立っていて、着古したTシャツの袖から片腕を抜いたところだった。
    「俺も入る」
     門倉の返事も聞かないままTシャツの襟元を掴んで頭を抜き、次いでジーンズ、靴下、と脱ぎ捨てていく。空気に晒された脇腹の柔らかい皮膚が粟立つのが見えた。刺繍の入った鉢巻を外せば、日に焼けていない額が現れる。鉢巻で押さえられていた眉が皮膚に張り付いている。すっかり裸になってしまったキラウㇱがドアの隙間に滑り込んでくると、二人分の重みを受けてすのこがぎしぎし鳴った。

     シャワーヘッドを手渡して、どうした、と問えばどうもしないと言う。湯を張っている間にベランダの窓越しに手を振り合ったのがたった十五分ほど前なので、もうとっくに夕飯の支度も終えてしまって、単に手持ち無沙汰なのかもしれなかった。身体に染み付いている煙草と汗の匂いが洗い流されていく。広くない浴室に二人でいるのは随分と久しぶりだった。夏の盛りに暑さに喘ぎ揃って水風呂へ飛び込んだのが最後の記憶で、それももう半年以上前のことになる。顔を見れば触れたくなるような若さも衝動も失って久しく、裸を、ましてやこんな明るい場所で目にするのは、なんだか気恥ずかしい思いがした。
     夏の間には筋肉の隆起が目立つ身体は、気温が下がってくると自然と脂肪を纏う。元々骨が太く筋肉も脂肪も付きやすい体質なのだろう。背がとりわけ高いわけではないが、胸や腰周りの厚さが力強い印象を与えていた。鍛えたのではない、山から海、町までを駆け回る生活によって作られた精悍さ。太腿などは特にがっしりしていて、それを体毛がまばらに覆っている様は野生動物を思い起こさせた。成熟した男の身体だ。男の機能を失いつつある身としては羨ましさを感じないこともない。
     キラウㇱは「あんまりじろじろ見るな」と少し笑って、シャワーヘッドを門倉へ返すとそのまま湯船に身体を沈めた。浴槽の縁で今にも溢れそうに湯が揺れている。
    「今夜は鴨だぞ。田中さんがくれたんだ」
    「田中さん?」
    「店の向かいの蕎麦屋の田中さんだ」
    「ああ、大将ね……」
    「わさびを仕入れている農家が放してた真鴨を絞めて持ってきたらしい。でもあの店の鴨南蛮は合鴨だから、店では使えないって、くれた」
    「わさび農家が? 鴨を?」
    「わさびは水の中で育てるだろ」
     そこで言葉が途切れたので振り返ると、キラウㇱは口元まで湯に浸かり、気持ち良さそうに目を閉じていた。どうやら説明は終わりらしい。追及するほどの関心はなく、また僅かな悔しさもあって、門倉は口の中でもごもごと、ああ、そうね、と言っておいた。
     シャワーへ向き直り、緑色のボトルへ手を伸ばす。共有しているリンスインシャンプーはキラウㇱの選んできたものだ。こういったものについてはお互いさっぱり明るくなく、どちらかが何となく買ってきたものをやはり何となく使っている。ここ数年で黒髪の割合はぐっと減り、眉にまで白い毛が見える始末だ。いっそ真っ白になってくれりゃあ格好も付くのにと懐かしい人を思い出して零したこともあるが、どんなでもモユクはモユクだ、とキラウㇱは笑った。顔にまで垂れてくる泡を洗い流す。数本の黒い髪が泡に混ざって排水溝へ吸い込まれていった。確実に老いていっている。定年退職という言葉が現実味を帯びて迫ってきている。

     洗髪を終え、固形石鹸を手に取ったところでキラウㇱの手が背中に触れた。そのまま風呂椅子を掴まれ、がたがたと引き寄せられる。されるがままになっていると浴槽の縁でぴたりと止まって、温かい腕が腹部に回された。
    「なに、洗ってくれんの?」
    「ん〜……自分でやれ」
     湯船から腕だけを伸ばして門倉の身体を抱きしめている。湯で温められた腕は熱いほどなのに、背中に触れるタイルの角がひりひりと冷たい。脇腹と左腕の間に顔を埋めたと思えば、そのまま鼻先と唇とで背骨をなぞって、肩甲骨へと辿り着く。肌をくすぐるもみあげの感触に肩が揺れそうになったところで、背中の肉を軽く噛まれた。まだ洗ってないんだからやめなさいよと咎めてもさっぱり無視して、左肩甲骨の端の方に唇を押し付けられる。微かに感じる湿り気は唇の内側の粘膜だろう。そのまま呼吸を繰り返すので、その箇所だけが丸く、熱い。すうっと鼻から空気を吸い込んだ次の瞬間、あまりに強く吐くので、背中と唇の隙間が震えてぶぶぶと音が鳴った。キラウㇱの笑い声が背中に響く。僅かに感じていた色気は子供のような仕草の前に容易く散ってしまう。なんなんだと思いながら、こういう時、門倉はキラウㇱが可愛くて仕方がない。節くれだった大きな手が門倉の腹をぺちぺちと叩いた。
    「カドクラはジジイだな〜」
    「会ったときからジジイだったろ」
    「背中にも白い毛が生えてるぞ」
    「えっ、嘘」
    「嘘じゃない。生えてる」
     ここにある、とまた鼻先を押しつけられる。寄る年波を思い、ひとつ溜息を吐いた。
    「お前さんはなかなか老けないね」
    「俺だってジジイになってる。この間、白髪が生えてたぞ」
    「へえ、見せてよ」
    「門倉に見せたくて抜いたらどっかいった」
     また生えてきたら見せてやる、とやはり子供の約束のように言って、キラウㇱは背中に頬を擦り寄せてくる。突然、訳もなく涙が出そうになって、門倉の喉がぐうと鳴った。誤魔化すように声を絞り出す。
    「他にもあるか、そういうの」
    「年取ったなって思うことか?」
    「うん」
    「あるぞ。勃起の角度が甘い」
     今度は門倉が笑う番だった。久しくお目にかかっていないが、キラウㇱがそう言うのならそうなのだろう。抑えきれない笑いに腹筋が引き攣れそうになる。余った腹の肉をキラウㇱが苛立たしげに掴んだ。
     
     

     出会って七年、寝食を共にするようになってから四年が過ぎた。キラウㇱは「俺と一緒にいたほうがいい」と言ったのだ。
     二階の角部屋、息も凍るような古いアパートの一室で、煎餅布団に包まれたまま、一緒に住むか、とキラウㇱは言った。視線は天井の、夏場の雨漏りで出来てしまった酷い染みを捉えていた。世界で門倉だけが知らないでいる事実を教えてくれているような声音の「門倉は俺と一緒にいたほうが、絶対に、良い」だった。
     曖昧な返事で先延ばしにして、数日後にキラウㇱの店へ足を運んだ時点ではすっかり断るつもりでいたのだ。
    「お前さんは男前だし働き者だし、何よりまだ三十代だし……今からでも嫁さん貰って子供を作って、そういう生活をした方がいいんじゃないか」
    「俺は男が好きだから、門倉と一緒に住まなくても嫁は貰わない。それに」込み上げてくる笑いを隠そうともせずキラウㇱは続けた。「昨日で四十歳になった」
     誕生日おめでとうとか、お前ってそうなのとか、その時、咄嗟に何と返事をしたのか門倉はよく覚えていない。なんだか拍子抜けしてしまって、その後の事ははとんとん拍子で進んだ。そうして四年間、門倉は雨漏りに困ってはいないし、引越し初日に転んで頭を強かに打った浴室には、次の日にはすのこが敷かれていた。そういうことだ。
     
     
     
     無遠慮に腹の肉を揉んでいた手が動き回り、胸を通り、二の腕に触れる。エカシみたいだ、とキラウㇱは言う。エカシも腕の皮が弛んでて、触ると気持ち良かったんだ。老いていくのを当然の事として受け入れているキラウㇱを、門倉は好いていた。一緒にいて安らげる、ということは、この年齢になるとなによりも重要なことだった。
    「俺がいるから安心してジジイになっていいぞ、門倉」と彼は言う。喜びとも悲しみとも知れない感情に掌が痺れるような気がして、身体に回されたままの腕を取り、指を絡めた。また背中に唇が押し付けられる。今度は右肩甲骨のすぐ下だった。強く息を吹き付けられて、ぶぶぶという音にキラウㇱの笑い声が続いた。
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