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    calabash_ic

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    諸事情により、続きは書けないと思います

    #キラ門
    Kirawus/Kadokura

    本当に恐れていたもの(未完)/キラ門「キラウㇱくん、ちょっと話があるからこっちおいで」
    「蕎麦を茹で始めてから呼ぶな」
     出鼻を挫かれた。これはキラウㇱが正しい。次いで飛んできた「暇なら柚子の皮でも切ってくれ」という言葉に、門倉は座卓の上を片付けてから台所へ立った。俎板に転がされていた柚子から皮を剥き、細く切る。天麩羅の盛られた皿と箸、七味唐辛子を運んだ。せっかくならと普段は使っていない箸置きも出す。台所へ戻ると、キラウㇱはざるに取った蕎麦の水気を切っているところだった。力強く振り下ろすたびに水滴が飛ぶ。手際良く器に盛り付けられ、こっちが門倉の、と量の少ない方を手渡された。
     蕎麦は知り合いの店から買ってきた手打ちの二八だ。かけつゆには軽く焦げ目を付けた長葱が入っていて、柚子の皮が散らしてある。いただきますと手を合わせて蕎麦を手繰った。数年前には海老やら南瓜やら豪快に並べていた天麩羅も、今年は皿一枚に収まる量を二人で分け合っている。キラウㇱも歳を取ったのだ。その事を考えると、不思議と少し安心感を覚える。
    「それで何だ、話って」
     キラウㇱが天麩羅を摘みながら口を開いた。人参と玉葱、もずくを合わせた掻き揚げは、常連客の一人がキラウㇱに紹介したレシピだ。
    「あー、うん、ちょっと待って」
     箸を置き、床に退けておいた本と書類の間から通帳を三冊抜き出す。口の中の塩分を茶で流し込んでから、別に大した事じゃあねえけど、と前置きをした。
    「こっちが普段使ってるやつな。引き落としとか、給料とか……年金もこの口座で手続きするから。暗証番号はケータイのと同じな。それでこっちが」
     相槌のようにキラウㇱが蕎麦を啜った。
    「定期預金な。それなりにまとまった額が入ってるし、まあ無駄遣いしなけりゃなんとか……」
    「門倉」
     真っ直ぐな視線が門倉に向けられた。唾を飲み込んだのか喉仏が動いている。
    「悪い病気でも見つかったのか?」
     至極真面目な声だった。見つめ合いながら思案し、たしかにそう受け取られてもおかしくはないなと気付く。
    「いや、そういうんじゃなくて……なんというか、俺も腹を括ったといいますか」
    「何の話だ」
    「察してくれたりしない?」
    「無理だ」
     緊張が解けたのか、キラウㇱが安堵の息を吐いた。長葱を掴もうとする箸の先を目で追う。
    「死ぬまでお前といるんだって腹を括ったんだよ」
     気恥ずかしくて顔は見れなかったけれど、その表情は想像できる気がした。箸が動きを止め、暫くの後、きゅっと握り直される。
    「ジジイにしては早かったな」
     照れ隠しなのか、キラウㇱはどんぶりを持ち上げて勢いよく蕎麦を啜る。汁まで飲み切り、どんぶりを下ろす頃にはもうすっかり普段の顔付きだった。
    「それで、何で通帳が出てくるんだ」
    「ジジイの覚悟ってやつよ」
    「わかりにくい」
     そう切り捨てる割に、机の端に置いた通帳をまじまじと見つめている。それから上の二冊をすっと横にずらして、僅かに息を呑んで「これは誰のだ」と訊いた。
     門倉、に続くその名前を、まだキラウㇱには教えた事がない。門倉を過去へと引き戻す、懐かしい字面だった。
    「娘のだよ」
     娘が生まれた時に作った口座だった。当時の貯金の何割かを入金し、暫くは給料の一部も送金していた。それも自動送金期間が終わってからは手付かずになっている。今更渡せるはずもなく、かといって解約にも踏み切れなかったのだ。キラウㇱはしばらく表紙に記された名前を目線だけでなぞっていたけれど、静かに「そうか」とだけ言った。
    「これはそのうち解約してくるよ。どうせこのままじゃ動かせないしな」
    「そのうち会えるかもしれないぞ」
    「ねえよ」
    「そんな事わからない。いつか自分のルーツを知りたくなるかもしれない」
    「いいんだよ」
     どんぶりの中で蕎麦が伸びていく。戻らないものは戻らないまま抱えていくしかないのだ。
    「それでさ、キラウㇱ」
     もう一つ、キラウㇱに伝えておきたい事があった。
    「籍入れてくんない?」
     今度こそ真正面からキラウㇱの顔を見た。鋭い目が見開かれて、ヘアバンドの下で瞬いている。年々増えていく目尻の皺も、夜にだけ生えてくるまばらな髭も、全てが愛おしいものだった。キラウㇱが黙ったままでいるので、箸を持って春菊の天麩羅を取る。衣が汁を吸ってしまう前に口に入れ、残りの蕎麦も食べてしまった。微かな柚子の香りが鼻に抜ける。減塩を迫られているのでつゆは飲まない。もう一度顔を上げてキラウㇱを見る。
    「だめか?」
    「いや、そういうわけじゃ……こういう話をした事なかっただろ。だから」
    「びっくりした?」
    「今更、って感じはあるな」
     確かに今更だった。共に暮らして五年が経っている。癖も好みも知っているし、緊急連絡先はとっくに互いの電話番号だ。
    「籍を入れてないと何かあっても連絡が来ないんだってよ。お前は山行ったりするだろ。そん時に事故に巻き込まれたりして、釧路の家には連絡が行くのにこっちは何も知らされず待ってるしかないなんて俺は嫌だね」
    「それは……俺も困るな。門倉は色々と巻き込まれやすいから」
     どこか他人事のようにキラウㇱは言う。
    「じゃあ、そういう事でいい?」
    「ああ」
     一つ頷いたのを確認して、台所へ蕎麦湯を取りに立つ。戻ってきてもまだキラウㇱはどこか茫然としていた。注いでやった蕎麦湯を飲みながら門倉の指先を目で追っている。門倉がそういう選択肢を持つ事すら、この歳下の男は考えていなかったのかもしれない。
    「今日はキラウㇱくんの部屋で寝ようかな」
     茶化すようにそう言うと、やっと緊張が解けたのか緩やかに口角が上がった。
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