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    calabash_ic

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    calabash_ic

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    ※アジラフェルが無断でベントレーを運転します
    ※S3後設定

    ひとつの心臓/アジラフェルとクロウリー(左右不定)「少し寝る」
     静かだった隣から声を掛けられて、アジラフェルは本から顔を上げた。悪魔は頭をカウチの肘掛けに凭れさせ、足はもう一方の側に乗せて、あまりに自由に寛いでいる。
    「いつまで?」
    「半年くらいだな」
     窓の外へ視線をやり、今が何月か思い出す。半年。半年か。
    「だめだ、クリスマスがある。せめて十二月までには起きて準備を手伝ってくれないと」
    「オーケイ、起こしてくれ」
    「ありがとう」
     しかしちょっと寂しくなるな、と天使は思った。愛おしいこの本屋へ帰ってきてしばらく、ほとんど毎日クロウリーと顔を合わせていたものだから。何十年、何百年と会わなかった頃もあるのに。なんだかおかしくて口角が上がっていくのを感じながら本へ視線を戻し、また一行読んで、かすかな違和感に振り返る。
    「クロウリー! 君、まさか、そこで寝るつもりなのか」
     壁に向いていた首がこちらを向き、蛇の目が再びアジラフェルを捉えた。
    「アー……何か問題あるか?」
    「問題は、ない。ないけれど、誰かが君の姿を見たら驚くだろうね。それに身体を悪くするかもしれない。君はたしかベッドを持っていたはずだろう。フラットには帰らないのかい」
     クロウリーはしばらく首を回したり眇めたり、空気のどこかから適切な言葉を探すような仕草をして、結局「お前の近くで寝たい」と視線を戻す。早く寝かせてくれと言わんばかりの顔をしてそんな風に言うので、天使は目を瞬かせた。ああ、そう、そうなら、それは構わないけれど、と落ち着きのない気持ちになる。けれどそこで寝るのは、やっぱり、どうだろうね。
    「ガブリエルの部屋は」
    「私のいない間にムリエルが倉庫にしていたらしくて、その……すごく散らかっている」
     ふん、と鼻を鳴らすと、クロウリーは長い脚で部屋を横切り、さっさと階段を上っていってしまう。しばらく物音が聞こえ、それからすっと静かになった。どうやら悪魔は本当に寝てしまったようだった。
     
     クロウリーが眠っていてもアジラフェルの日々は楽しい。この世に美味しい物は尽きないし、活字に没頭すれば時間なんて忘れてしまう。ベントレーを運転してクロウリーのフラットへ出掛けた。知られたら怒られるかもしれないと一瞬頭をよぎったが、クロウリー自身が可愛がっている植物の世話をしなければいけないのだ。きっと理解してくれるだろう。水をやり、穴の開いた葉を撫で、ついでに家の中をぐるりと見て回った。晴れていれば公園を散歩したし、本屋から一歩も出ずに過ごした日もある。ケーキやアイスクリームは変わらず美味しくアジラフェルを満たされた心地にさせた。新しく出来た角のカフェに、次はクロウリーを連れて行きたい。
     時折気になって二階へ上がり、悪魔が眠っているのを覗く事もある。奇跡を使ったのだろう、小さな部屋はいつのまにか広くなり、ムリエルの持ち物は可哀想に部屋の隅っこへ追いやられて、代わりに大きなベッドが鎮座していた。アジラフェルはこういった奇跡は使わない。わざわざ服を買ったりケーキを焼いたりするのと同じように、限られた空間を整理し、手を入れて暮らす方が人間の生活らしさというものを感じられる気がするからだ。
     一ヶ月が過ぎ、気温の下がる日が増えたので早めにコートを出した。五十年ほど前に買ったばかりで、まだ毛玉のひとつもない。アジラフェルは古くからあるものを愛している。蝋燭を除いて。だからクリスマスの電気飾りも早々にLEDのものへ取り替えた。悪魔が入れなくなっては困るので、古書店のクリスマス飾りはこれだけだ。フラットへは二度訪れた。クロウリーは否定するだろうけれど、こうやって私も世話をしているのだから、この植物だって「私達の」植物だ。アジラフェルはそう思っている。
     クロウリーが眠りについてから二ヶ月が過ぎた頃、公園の水辺で鴨が一羽息絶えていた。くったりと首を投げ出し、不思議な事に、遠くからでも心臓が止まっているのがわかった。洪水に呑まれたユニコーンの片割れ、磔になった神の子、混乱の中で死んだボーマン、可哀想なモーラグ。時の王達。天使としての特性なのか、死について強い感情はない。悪魔の方がよほど感傷的だ。万物は天使の瞬きの間に生まれ、死んでいく。神がそう造られた。けれどそのひとつひとつの顔を覚えているような気がした。死に顔は寝顔と似ているのに、なぜかすぐに死んでいるのだとわかってしまう。
     アジラフェルは天使の死体を見た事がない。もちろん悪魔のものも。器であるこの肉体は強い衝撃を受けると光の粒や塵となって霧散し、死体と呼べるような物質は残らないからだ。
     
     冷え切った空気が部屋に溜まっていた。起こしてしまわぬよう静かにカーテンを開けてから、ベッドの端へ腰掛ける。太陽の光が床に歪んだ長方形を作っている。僅かに呼吸音が聞こえた。髪が少し伸びたように思える。そっと布団をめくり、本や映画で見たように胸に耳を押し当ててみる。どく、どく、と確かに心臓が動いていた。僧帽弁、三尖弁、大動脈弁、肺動脈弁。鼓動の仕組みなら読んで知っている。支給品の身体に本来不要なはずの臓器が備わっているのはどういったわけだろう。なんだか妙な事をしてしまっている。
     そのままクロウリーの隣へ身体を滑り込ませる。ベッドへ入る時のマナーがわからず、一度起きてジャケットを脱ぎ、それから少し悩んでウェストコートも脱いで、もう一度横になった。額から落ちた赤毛の一房へ指を絡める。起きない。そのまま指を滑らせて顔に触れる。眉を辿り、頬骨から下瞼を通って、また眉間へ。つるりとした鼻の感触を楽しむ。唇に指が引っ掛かり、ぺこんと音を立てた。クロウリーの瞼に力が入ったのがわかる。
    「クロウリー?」
     起こしてしまっただろうか。子を宥めるように、恋人を慈しむように、もしくはただ、この大切な友人が完全に眠りから覚めてしまわぬように、耳にかかる髪を撫でる。寝惚けた瞳は天使の最も好む色をしている。
    「私の悪魔」
     たっぷり三回、時間をかけて、悪魔はまばたきをした。それからいつものように唇の片側だけを引き上げようとして、失敗したように見えた。代わりに瞼がきつく閉じられる。間近でなければ気付かないほどじわりと睫毛の根元が濡れ(そう、だからアジラフェルはそれを見逃さなかった)少し苦しそうに鼻から空気を吸い込んだ。次いで、骨張った腕がシーツの下を這い、躊躇いがちにアジラフェルの背中へ回された。ほんの一瞬縋るようにシャツの背中を掴まれ、皺になるのを気にしたのか離される。ほら、君はこんなに優しい。眠りの際ですら悪魔はアジラフェルに優しいのだった。たまらなくなって引き寄せると、形の良い鼻先がアジラフェルの襟と枕の隙間へと潜り込んでくる。それから、吐く息に織り込まれた自分の名前を聞いた。
     二ヶ月ぶりの声はひどく掠れていて、始まりのAはほとんど聞こえなかったし、phaの音も濁っていた。leなど子音のなりかけだった。眠気に邪魔をされて、きっと舌先はどこにも触れなかったに違いない。けれど愛の気配があった。クロウリー。再び眠りに落ちようとしているのか弛緩する身体が離れていかぬよう背中を抱き込む。低い体温と鼓動。クロウリー、クロウリー。なんだか泣いてしまいそうだ。クロウリーの鼓動がアジラフェルの体内に反響する。耳を澄ませたいのに、自分の心臓の音が邪魔をした。知らず知らずに唇が震え、静かに目を閉じる。
     
     眠ったのだろうか。それとも長い瞬きをしていたのか。次に目を開いた時、アジラフェルは柔らかな霞の中にいるようだった。クロウリーはまだ眠っている。窓から見える空は白く、時間の感覚を失わせた。さっきまでの続きのような気もすれば、クリスマスなどとうに過ぎて、もしかしたら何千年も抱き合っていたのかもしれなかった。植物の水やりも扉を叩いたかもしれない客の事もすっかり頭から消え去っていた。それより、身体が溶けて混ざってしまっていない事の方がよほど不思議に思われた。体温の境目は失われ、ふたつの心臓すら、もうすっかりひとつの鼓動を刻んでいたというのに。
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    calabash_ic

    MOURNING出会って初めての年末、12月29日の夜
    はじまりにはまだ遠い/キラ門 がらがらと扉が横に引かれ、冷気と共に門倉が入ってきた。肩にうっすら積もった雪を叩いて落とし、慣れた様子でカウンター席の一番奥の椅子を引く。今日はきっと熱燗がいいだろう。水を張った小鍋を火にかけてからいらっしゃいと湯気の立つおしぼりを手渡せば、ああとかうんとか言いながら手を拭き、ついでに顔まで拭いている。軽く吹雪いている中を歩いてきた耳が切れそうなほど赤い。この男が店に来るようになってそろそろ四ヶ月になる。食の好みもなんとなくわかってきた。イカの煮付けあるぞ、好きだろ、と言ってやると「あとは任せるわ」と口の端だけで笑った。今夜は特に疲れている。
    「納めたか?」
    「なんとかな」
     本当なら昨日で仕事納めだった筈なのに、ぎりぎりになってトラブルが続き出社になったと聞いていた。いつものこの時間ならそこそこ賑わっている店内も、他の常連客は既に帰省してしまっているので誰もいない。店も明日からは休みだ。門倉が今年最後の客だろう。疲れ切った目を閉じて背を丸めている姿を視界に入れながら、沸いた小鍋の火を止めて徳利を浸す。いくつかの惣菜を見繕って小鉢によそい、門倉の前に並べる。
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