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    出会って初めての年末、12月29日の夜

    #キラ門
    Kirawus/Kadokura

    はじまりにはまだ遠い/キラ門 がらがらと扉が横に引かれ、冷気と共に門倉が入ってきた。肩にうっすら積もった雪を叩いて落とし、慣れた様子でカウンター席の一番奥の椅子を引く。今日はきっと熱燗がいいだろう。水を張った小鍋を火にかけてからいらっしゃいと湯気の立つおしぼりを手渡せば、ああとかうんとか言いながら手を拭き、ついでに顔まで拭いている。軽く吹雪いている中を歩いてきた耳が切れそうなほど赤い。この男が店に来るようになってそろそろ四ヶ月になる。食の好みもなんとなくわかってきた。イカの煮付けあるぞ、好きだろ、と言ってやると「あとは任せるわ」と口の端だけで笑った。今夜は特に疲れている。
    「納めたか?」
    「なんとかな」
     本当なら昨日で仕事納めだった筈なのに、ぎりぎりになってトラブルが続き出社になったと聞いていた。いつものこの時間ならそこそこ賑わっている店内も、他の常連客は既に帰省してしまっているので誰もいない。店も明日からは休みだ。門倉が今年最後の客だろう。疲れ切った目を閉じて背を丸めている姿を視界に入れながら、沸いた小鍋の火を止めて徳利を浸す。いくつかの惣菜を見繕って小鉢によそい、門倉の前に並べる。
    「キラウㇱくんは帰省すんの」
     箸を握った門倉が顎で店の入り口を指した。貼り紙に「勝手ながら十二月三十日から一月三日までお休みさせていただきます」と書いた事を思い出し、帰省はしない、こっちでのんびり過ごす、と返した。今年は引っ越して店を開いてと忙しかったので、少し休みが欲しかったのだ。
    「門倉は正月はこっちにいるのか」
    「もう帰る場所もねえからなあ」
     出身は青森だといつだったか聞いた。話ぶりからすると両親はもう亡くなっているのかもしれなかった。徳利の口まで酒が上がってきたのを確認し、小鍋から下ろす。猪口と共に置きながら、ちらと門倉の左手の薬指を確かめる。二十数年前にはここに指輪が嵌っていたらしい。天涯孤独、というやつなんだろうか。人数も多く、仲の良い家族に囲まれて育ったキラウㇱには上手く想像できなかった。よく入ったまま寝てしまうという炬燵は、一時期は門倉の妻だった女の人が買ってきた物らしかった。「二十年もすると家電がどんどん壊れていって、今じゃ炬燵とアイロンくらいしか残ってねえよ」と言っていたのを思い出す。その会話から出身地の話になったのだった。北海道の人間はあまり炬燵を使わないので、珍しいな、とキラウㇱが言ったのだ。
     
    「んじゃ、良いお年を」
     眠そうにしながらも徳利を空にして、会計を済ませ、門倉は席を立った。柔らかい針のような寂しさが心臓を貫いて、追いかけるように話しかける。
    「店は閉めてるけどこっちにいるんだ、新年明けたら奥の座敷で一緒に飲まないか」
     声が上擦っていないか心配になった。門倉がのそりと振り返って目を眇める。
    「キラウㇱくんよお」
    「なんだ」
    「同情ならいらねえぞ」
    「そういうのじゃない。俺も暇だからどうかと思っただけだ」
    「そうかい」
     口の端を歪めるみたいに笑う、その表情がなんとなく気に入っていた。
    「店まで来るのが面倒だったら、門倉が嫌じゃなければ、門倉の家でもいい。炬燵あるんだろ」
    「炬燵が珍しいか? まあいいけどよ……」
     連絡するからとスマートフォンを取り出すと、ぽちぽちやるのわかんねえから電話でいいか、と言われた。ジジイだ、と思う。このジジイと友達になりたかった。キラウㇱ、と呼び捨てられてみたいのだ。伝えられた電話番号をワンコールだけ鳴らして履歴を残す。これ以上引き止める理由は思い付かなかった。
     門倉の背中を見送りながら扉を閉める。冷たい雪風を浴びたはずなのに、頬はしばらく熱いままだった。
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    calabash_ic

    MOURNING
    早く家に帰りたい/キラ門 昨年の言葉が耳に残ったまま新年を迎えた。葉の落ちた枝に雪が重く積もっている。長く真っ直ぐな道の両脇の林から時折エゾシカが顔を覗かせるので、その度に軽くブレーキを踏む。峠が吹雪いていなければ無事に帰り着けるだろう。自然と気が急くのを落ち着けようと冷めてしまった缶コーヒーを啜る。今夜帰ると伝えておいた。冷蔵庫の中身は減っただろうか。酒ばかり飲んでなければいいが。そんな事ばかり考えている。アパートから運んできた炬燵のある我が家。きっと今も門倉が背中を丸め、テレビを見るか、本を読むかしているのだろう。我が家、と心の中で思う時、キラウㇱは切ないような誇らしいような気持ちになる。
     初めて好きだと言われた。門倉は帰省に着いてこなかったからだ。その心苦しげな、まるで謝罪のような響きが頭から離れないでいる。申し訳ない、と直ぐにも言い出しそうに眉根に寄せて「キラウㇱくん、好きだよ」と言った。これから長距離の運転だとキラウㇱが玄関の扉を開けたところだった。振り返ると半纏を羽織った門倉が壁にもたれかかるようにして立っていた。まだ眠たげで、目の端が少し汚れていた。うん。俺も好きだ。澱みなく溢れるように返事をしながら、そうか、俺はすっかりこの人が好きになってしまったのか、と頭の端で考えた。キラウㇱから言葉にしたのもおそらくこれが初めてだった。それから、本当に一人でいいのかとここ数日で何度もした質問を繰り返そうとして、口を噤んだ。寂しさはキラウㇱのものだった。門倉を置いていくキラウㇱが寂しいのであって、けれどそれがこんな表情をさせてしまっているのなら、それこそ本意ではなかった。代わりに「そのうち一緒に行こう」と言って、膨らんだ鞄を肩に掛けた。結局いつまでもどこか寂しいのだ。一人でも生きていける人間が二人、一緒にいようとする事はきっとそうなのだろう。キラウㇱは別にそれで良かった。ただ、あの朝、わざわざ寝床から出て見送ってくれた人のいる我が家に、少しでも早く帰りたいだけだった。
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