幸村君を煽る身の程知らずな赤也の話.
「そんじゃ、夕飯はいらないんで!」
「はいはい、楽しんで来てね」
今日……いや、もう昨日の夕方になるのか。
赤也は白石と飲みに行くと言って出かけて行った。
なんでも白石が仕事でこっちに来ているらしく久しぶりに会うことになったんだとか。
赤也にとって彼は立海の先輩と同じくらい大好きな先輩だからね。
それはもう嬉しそうで数日前から楽しみで仕方がないといった様子だった。
恋人を他の男──ましてや、赤也が憧憬を抱く白石と飲みに行かせることに不安がないかといえば嘘になるけど、俺はそういった束縛はしたくない。
赤也にも付き合いはあるし、俺だって真田と二人で飲みに行くこともあるからね。
お互いに信頼していれば何かを制限する必要なんてないんだ。
それに、出かける前に赤也は約束してくれたから。
「あんまりお酒強くないんだから羽目を外して飲み過ぎないようにね。それと、遅くならないうちに帰ってくるんだよ?」
「わかってますって! 明日も仕事だし、俺だってもう大人なんだからそんくらい弁えてるっすよ」
「それならいいんだ。少し心配だっただけだよ」
赤也とは先輩として接してきた時間が長いせいか、ついこうして口煩いことを言ってしまう。
あまり心配しても鬱陶しく思われるだけなのにね。
機嫌を損ねる前に話を切り上げようとすると、赤也は意外にも嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「そんなに心配しないでくださいよ! 俺、幸村さんとの約束破ったことないんだからさ」
そうだよね。赤也はだらしないところもあるけど俺との約束を破ったことはない。
だから今回も安心して見送ったんだ。
それなのに……
「幸村クン、すまんなぁ。飲み過ぎひんように注意したんやけど……」
白石は申し訳なさそうに眉を下げると自身の背中で眠るワカメ頭に視線を向けた。
結局、赤也が帰宅したのは終電もなくなった深夜。それも酷く酔い潰れているのか白石におぶられて帰って来た。
「久しぶりに白石さんに会えて嬉しいー、やなんて可愛らしいこと言うてくれてなぁ。つい俺も気ぃ緩んでしもて切原クンのこと止めれんかったわ」
なにそれ。切原クンは俺のことが大好きなんです、とでも言いたいのか? ……まぁ否定はしないけどさ。
赤也も赤也だよ。安心しきったような顔しちゃって。あぁ、本当に腹が立つ。
「ほんまに堪忍な。その、今回は俺の責任でもあるし、あんまり切原クンのこと怒らんでやってな?」
「……わかったよ。こっちこそ、わざわざ送り届けてもらって悪かったね。うちの赤也が苦労をかけた」
“うちの”だなんてわざとらしく強調して形ばかりの礼を口にすると白石の背中で眠り続ける赤也を腕の中に腕閉じ込めるようにして抱きかかえた。
あからさまな態度を取る俺に思うことがあったのだろう。白石は僅かに目を細めると静かに呟いた。
「……切原クンは随分と愛されてるんやなぁ」
「当たり前じゃないか」
「はは、せやな。相変わらず仲ようて羨ましいわ」
「……」
「ほな、俺はこれで。次は幸村クンも一緒に飲もな」
「あぁ、そうだね。今度じっくり話を聞かせてもらうとするよ」
扉が閉まる直前に見た幸村は笑みこそ浮かべているものの、その瞳はどこまでも冷やかで白石は背中に冷たい汗が伝っていくのを感じた。
幸村クンも案外不器用な人やな。その有り余る愛情を少しでも見せてやれば切原クンは悪魔になんてならんかったかもしれへんのに。
***
「幸村さん」
扉が閉まると同時にずしりとした重みが背中にのしかかる。振り返るとさっきまで眠りこけていたはずの赤也が腰に腕を回して抱きついていた。
「もしかして、白石さんに嫉妬した?」
「……別に、嫉妬なんて」
「俺は嬉しかったっすよ」
「アンタ、いつも余裕そうだから」なんて呟く赤也に俺は心底驚いた。余裕そう? なんだよそれ。こっちがどれだけ我慢していると思ってるんだか。
「それで、俺を試すためにわざと酔い潰れたふりをしたのかい?」
こくりと頷く赤也の顔は楽しげで悪戯が成功した子供のように悪びれる様子がない。
ほらね、白石は天使だなんて言うけどやっぱりこの子は悪魔だ。俺のことを散々振り回して笑ってるんだから。
「ふふ、幸村さんも案外可愛いとこあるんすね」
「うるさいよ」
「そんなこと言って、白石さんの前であんな態度取っちゃうくらい俺のこと好きなくせに」
「……」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる小生意気な顔さえも可愛く見えるんだから、赤也の言う通り俺は相当惚れ込んでいるに違いない。
だけど、やられっぱなしは面白くないな。
「赤也、あんまり調子に乗るなよ」
「え? ちょっ、や……ッ!」
俺は赤也の肩を掴むとそのまま壁に押しつけた。ドン、と鈍い音が響いたけど今は気遣ってやらない。
突然のことに驚く赤也を無視して小さな顎を強引に掴むと噛み付くように唇を重ねた。
「んんっ、ふ……ぁ……」
酸素を求めて開いた隙間から舌を差し込み執拗に責め立てる。綺麗に並んだ歯列をなぞって上顎を舐めてやれば赤也は鼻にかかったような甘い喘ぎを漏らした。
「っ、はぁ…ぁ…ゆき、むらさ……」
上気した頰、乱れたシャツから覗く抜けるように白い肌。目に映る全てのものが煽情的で理性は簡単に崩れ去る。
一方で赤也も乱暴なまでの口付けに興奮しているのか、強請るように俺の首に腕を回してきた。
「……んっ、ぁ……」
ゆっくりと唇を離すと二人の間に銀色の糸が伝い、ぷつりと途切れる。
荒い呼吸を整える赤也の顔はすっかり蕩けていて翠色の瞳が期待するように揺れていた。
「……不味い」
「はぁ? キスの感想がそれって、いくらなんでも失礼過ぎるっしょ」
そう言いながらも赤也は気分を悪くした様子もなく可笑しそうに笑う。そして熱の篭った瞳で俺を真っ直ぐに見つめて囁いた。
「ねぇ、幸村さん。俺、アンタになら何されたっていいっすよ」
そんな安っぽい言葉で俺が絆されると思ってるんだとしたら赤也は本当に馬鹿だね。
さて、この身の程知らずの悪魔をどうやって躾けていこうか。
「お前が煽ったんだから覚悟しなよ」