忘却の彼方へ.
「赤也が行方不明になった」
その知らせが届いたのは合宿を終えて間もなくのことだった。
まさに青天の霹靂。だって、切原クンとはついこの前まで寝食を共にしていて、合宿が終わってからも頻繁に連絡を取り合ってたんやから。
一昨日だって『今度大阪に遊びに行きたいっす!』なんて可愛らしいメッセージが来て、俺が『切原クンならいつでも大歓迎やで!』って返して……そういえば、そのあと彼から返信はなかった。
いつもなら変なキャラクターのスタンプで会話が終わるはずやのに、あの日に限っては既読がついただけやった。
心臓がどくりと嫌な音を立てる。唖然として言葉が出てこない俺に幸村クンは静かに続けた。
「一昨日の夜から家に帰ってないんだ……俺達も赤也のスマホに連絡してみたけど一切繋がらない」
「……」
「学校にも警察が来て周辺の捜索をしてるんだけど、恐らく、何らかの事件に巻き込まれた可能性が高い」
おとといの、よる。
俺が最後に連絡を取ったのは確か、17時頃だった。
つまり、切原クンはその直後に行方不明になったということになる。
俺があの時、返信がないことを不審に思って一度でも電話をかけていたら……
「……白石、白石!」
「ご、ごめん……なんや、気が動転して……」
「……無理もないよ、俺達もまだ信じられないんだ。赤也のことだから何処かに隠れていて俺達を驚かせようとしてるんじゃないか、なんて考えちゃってさ。そんなはずないのに馬鹿みたいだよね……」
大切な後輩が突然消息を絶ったのだ。幸村クン達のショックは計り知れない。それも事件性があるとなれば尚更だろう。
そんな大変なときに何故、他校生の俺に連絡をくれたんやろか。
俺の心を読んだように幸村クンは言葉を紡ぐ。
「赤也は、君のことをよく話していたんだ。白石さん白石さんって、うるさいくらいにね……」
「……せやったか」
「何か手掛かりになるような話が聞けたらと思ったのもあるけど……それだけじゃなくて、赤也が置かれた状況を君には伝えておきたかったんだ。本当ならもっと早く連絡するべきだったのに、遅くなって申し訳ない……」
幸村クンの声は震えていた。今にも崩れてしまいそうな彼の声に、俺の頬にも涙が伝っていく。
俺は溢れ出そうになる嗚咽を抑えて最後に切原クンと連絡を取ったことを話した。
少しでも彼に繋がる手掛かりになればという一心で、無関係に思えることも全て伝えた。
「……俺に、出来ることがあったらなんでもする。こっちも何か手掛かりになるようなことがないか皆に聞いてみるわ……」
「ありがとう、白石。また何かあればすぐに連絡する」
電話を切ったと同時に手からスマホが滑り落ちる。
「切原、クン……」
うわ言のように彼の名前を呟いた俺は放心状態のまま、その場に立ち尽くしていた。
何が俺に出来ることがあれば何でもする、や。
こんなとき、すぐに駆けつけることも出来ひんくせにカッコつけて……
震えて上手く動かない指でメッセージアプリを開くと切原クンとのやり取りを何度も何度も読み返した。
なんや、俺ら合宿終わってからほぼ毎日メッセージ送り合ってるやん。
たった一度ダブルスを組んだだけの君はこんなにも俺の生活に入り込んでいたんやな。
なぁ、切原クン。今どこに居るん?
お願いやから、もう一度あの眩しい笑顔を見せて。そのためなら、俺は……
そんな願いも虚しく、無情にも時は過ぎて行く。
何の手掛かりもないまま事件から一ヶ月が経過していた。
目撃証言が一切ないことから神隠しだなんて無責任な噂が囁かれていると聞いたときは腑が煮えくり返る思いだった。ご家族や立海の人ら、それに切原クンに関わったたくさんの人間がどれほど必死に探してるかも知らんくせに……。
そう思うとやり場のない怒りと悔しさで息が詰まりそうになるのだった。
気づけばもう12月。街中がイルミネーションで彩られ、どこからともなくクリスマスソングが聴こえてくる。切原クンが大好きな季節になっていた。
「クリスマスまでには必ず見つけ出さないとね。あの子、サンタさんからプレゼント貰いそこねたら拗ねるだろうからさ……」
泣き笑いの声でわざと明るく振る舞う幸村クンの言葉に胸を締め付けられた。そういえば、切原クンはサンタを信じてたんやったな。
合宿中、当たり前のようにサンタの話題を振られたのは少し驚いたけど、キラキラと目を輝かせながら嬉しそうに話す切原クンはほんまに可愛いかった。
『白石さん!今年のクリスマスはサンタさんに何頼みますか?』
『あはは、もうクリスマスの話するんか。まだ何も決めとらんなぁ……切原クンは何が欲しいん?』
『えー、いつ話したっていいじゃないすか!俺はねぇ───』
あのとき、切原クンはなんて言ってたやろか。
事態が急変したのは、その年のクリスマスのことだった。
凍てつくような寒い夜。あれだけ探しても見つからなかった切原クンは初雪の降る街を素足で彷徨っているところを保護されたというのだ。
知らせを受けた俺は簡単な荷造りをすると最終の新幹線に飛び乗った。
とにかく切原クンが生きていてくれて良かった
この時の俺は何も知らず、その事実だけを喜んだ。
更に残酷な現実が待ち受けているとも知らずに。
「XX病院までお願いします」
神奈川に降り立った俺はタクシーを拾うと幸村クンから聞いた病院の名前を運転手に告げた。
警察に保護された切原クンは手当を受けるために病院へ搬送されたらしい。
会ったら、まずなんて声をかけようか。
伝えたいことはたくさんあるはずなのに上手く纏まりそうにない。
「──神奈川県XX署は行方不明になっていた市内在住の14歳の男性が無事発見されたと発表しました」
ラジオからひっきりなしに流れるニュースに耳を傾けているとそれまで無言だった運転手が口を開いた。
「この子、見つかったんですね。うちの子と同い年だからずっと気にしてたんですよ」
「……そうでしたか」
「無事に見つかって本当に良かった」
「……ええ、ほんまに、良かったです」
声を震わせて応える俺に運転手は何かを察したのかそれ以上何も言わなかった。
タクシーを降りると釣りも受け取らずに走り出した。早る気持ちをおさえて病院の長い廊下を歩き進めると夢にまで見た彼の名前がそこにあった。
軽くドアをノックすると中から「どうぞ」と幸村クンの声がする。
ゆっくりと扉を開くと白い部屋にベッドが一つ。
切原クンを囲むようにして立海のレギュラー陣が集まっていた。
ああ、懐かしい光景やな。そう思ったら自然と涙が溢れそうになった。
安堵に頬が緩む。なんやこの中に俺が居るの変な感じするな、なんて冗談を言おうとした俺は彼らの顔を見て言葉を失った。
「よく来てくれたね、白石」
幸村クンの目には一筋の涙が光っていた。よく見ると他の皆も、あの真田クンまでもが静かに泣いていた。その顔は感動の再会には見えへんかった。
「なぁ、何で皆して泣いてるん……?」
怖かった。それでも俺は現実と向き合わなければいけない。
「切原……クン……」
ゆっくりと顔を上げた切原クンを見て俺は息を呑んだ。あんなに輝いていた彼の目からは光が消えていたのだ。
──これは、誰?
名前を呼んでも返事もなく遠くを見つめるだけ。まるで知らない人みたいになってしまった彼がそこに居った。