てまりばな その狐がふらりと訪ねて来たのは秋空が高くなった季節のころ。熨斗のかけられた酒瓶を抱え、銀時はやけに上機嫌だった。
たまにテメーのツラでも見ておこうかと思ってさ。白と黒の着物を着た九尾の狐は突然土方の塒にやってきて、ひとばん、酒を飲んでいった。
よく晴れた良い月の夜のこと。中天に浮かぶまあるい月と、アケビやナツメやヤマメを肴にふたりで酒を酌み交わした。話すことは他愛もないことばかり。何処そこの山の主が隣山の狒々と掴み合いの喧嘩をしたとか、この春、小物妖怪の小競り合いで山間の桜の園が荒らされたとか、麓の里の祭に忍び込んで齧った鼈甲飴が美味かったとか。
銀時はよく喋り、よく飲み、少しだけうたた寝をして明け方に帰っていった。
九尾の狐との腐れ縁は、もう年を数えるのも忘れるほど。烏天狗の土方が守護する山と、九尾の狐が住まう山は大きな中の湖を挟んで隣り合っていて、土方が銀時を初めて見たのは明け方の湖のほとり。偶然、朝日の中、水浴びをする男を杉の木の梢から垣間見た。白い肌に銀の髪。絵のように美しいその人間は、岸に上がるやポンと転変し、豪奢な尻尾を揺らしながら梢の土方を流し目でねめつけた。そこのカラス野郎、覗きは高いぞ、とからかわれ、売り言葉に買い言葉で口喧嘩になった。
その時、土方は彼を見染めた。
以来、くだらない喧嘩をしながら日々を過ごして幾年月。時折、人の姿に化け共に人里で酒を飲んだこともあるが、銀時が土方のもとを訪ねてきたのはこれが初めてのこと。少し戸惑い、だが嬉しさが勝り、銀の狐が傍で眠るその姿を飽かず眺めた。手にすら触れず、髪すら撫でず、己の恋心を告げることもせず。
そうして秋が深まり冬が来て、春の芽吹きが山を覆う頃、悲劇が訪れた。
銀時の山が、焼かれたのだ。
その時、土方は塒からは遠い山で開かれていた烏天狗の顔寄せに出ていた。報せを聞いたのは、その山から逃れた妖のひとりが、顔寄せの場に助けを求めに訪れたからだ。里の子供が神隠しに遭った。それを狐のせいだと怨み、人間たちは山の社に火をかけた。火は燃え広がりどうしようもない、と聞いたその瞬間、土方は空を駆けた。
駆けて駆けてたどり着いたそこで待っていたのは、燃え盛る九尾の住まう山と、その麓に、ある筈のない湖。麓の里を飲み込んだ水は暗い暗い色を湛えていた。
その湖のほとりに佇んでいたのは、大蛇の尾を持つ黒髪の蛟。片眼のその妖は中の湖の守護の古蛟。
足下には人間の子がひとり泣きじゃくっており、そして彼の腕には狐尾の子どもが静かに抱かれていた。よく見れば狐尾の子どもは銀の毛色。ところどころ焼け焦げ火傷を負い、無事な姿とは言い難かった。
『人間の餓鬼を探してこのバカが無理をした。山を焼きやがった奴らの里は水に沈めてやったまで。そこの目障りな餓鬼をどこへなりとも連れて行け』
そう言い、立ち去ろうとした蛟を土方は呼び止め、食い下がった。
その子はもしや九尾の狐か。だったら俺に手当てをさせて欲しい、と。
蛟は土方をじろりと睨め付け、随分と長い間を置いて、フン、と鼻先で嗤い、
『百日だ』
と唐突に言った。
『百日の間、毎日テメェがコレの元に通って来られたら、コイツをテメェにくれてやらぁ』
その間に手当は俺がする、と蛟はそう言い、腕の中で眠る銀時の焦げた前髪をやさしい手つきでそうっと払った。
『コイツは水の中では生きられねェ。山の気じゃねえと生き永らえられねえ。テメェんところのショボい山でもこの際、無いよりゃマシだ』
いいか烏、忘れるな、とそう言い蛟は中の湖に去った。
それから土方は毎日、蛟の元へと通い続けた。
春のつくし、蕗の薹。辛夷が咲けば花をひと枝。桜が咲いたらやはりひと枝。菜の花に、水仙、撫子。移ろう季節の種々を、うつらうつらと眠り続ける銀時の元に運び続け──百日を数える今日、土方が選んだのは白い紫陽花の花だった。
塒近くに群生する白いその花は、明け方の雨に濡れ瑞々しく、どことなく彼を思わせた。
花を腕に抱えて土方が訪れたのは、蛟の湖にある中の島。銀時が眠っているのは古い木の洞の寝床の中。火傷は癒え、焦げた髪も伸び、白い頬には血の気も戻った。未だ姿は子どものままだ。
木の洞の前に膝をつき、土方は静かにその顔を覗き込む。
「銀時、紫陽花が咲いたぞ」
そっと話しかけると、閉じられていた銀時の瞼がぴくりと動き、やがてゆっくりと瞼が開く。
現れたのは、深い深い柘榴の瞳。
ぼうっと空を眺めたその瞳が、やがて土方を認めるや、うっすらと潤んだ。
「迎えに来た」
「う、ん」
紫陽花の花を地面へと置き、木の洞に手を差し入れると、銀時の細い子どもの腕もまた、土方を求めて伸ばされてきた。
その手を掴み、洞から引き出し、胸にしっかりと抱きしめる。
初めて触れた想い人の身体は、かぼそく、あたたかく、枯葉の匂いがした。
その身体を抱きしめ、土方は飛んだ。
新たに銀時を迎える己の塒へと。
湖の上を通り過ぎる時、泥棒烏めが、という蛟の囁きが耳に届いたが、その声は存外、嬉しげであるようにも思えた。
後に土方は銀時から、百日通うのは俺らの嫁取りの儀式なんだけどと聞き、飲んでいた酒を吹き出す羽目になるのだが、それはまた、別のお話。