尻尾の先まで恋してる 放課後の玄関、あの人が一人でいるのを見かけた。
これはチャンスだ。俺は急いで後を追いかけ考えるより先に声を掛けていた。
「あの! 今夜のお祭りに一緒に行きませんか?」
ぴんと尖った黄金色の耳、姿勢良くすらりとした夏服姿、そしてふっさりした黄金色の尻尾の毛先は純白。
これまで見つめるだけだった一学年上の憧れの先輩、きつね族の煉獄さんに自分から話しかけるのは今日が初めてだ。
覚悟を決めた俺を煉獄さんは丸い瞳でじっと見つめた。
紅玉を縁取る金環。綺麗だけれど強い眼差しと無表情にちょっと怯む。
一言のもとに振られるかもしれない。
その可能性は引き受けた上でけれど俺は一歩先に進みたいのだ。
「君は」
と言われてはっと気付いた。礼儀としてまず名乗らなくてはいけなかった。
「俺の名前は竈門炭治郎です! 煉獄さんの一学年後輩のたぬきです!」
食い気味に言い切ると煉獄さんはふわっと笑った。
「君とは春にここで会った事があるな!」
ああ覚えていてくれたのか。嬉しさと笑顔の可愛らしさに胸がギュンとなる。
「そう、です、入学式の時……あの時はお世話になりました」
春、キメツ学園。
入学式早々通りすがりのかわうそのおばあさんを助けて遅刻した俺は玄関で受付係をしていた煉獄さんのサポートを受けて講堂に直接案内してもらった。
短い時間に君の所属教室はここ、荷物は一旦預かる、まず君は最短ルートで入場の列に入れ!と的確な指示をしてくれたおかげでギリギリ式に間に合ったのだ。
ずっと御礼を言いたかったがなかなか機会がなく、校内で見かけては目で追っていた。
そうして見ているとこの人はいつもたくさんの人に囲まれている人気者で、剣道部と生徒会をしていて忙しいようだった。御礼なんかで話しかけるのはなんだか気後れしてしまって。
ためらう間にけっこう時間が経ってしまったのでもう忘れられているかと思っていた。
「君はよく俺を見ていただろう。その視線には気づいていた!」
爽やかにそんな事を暴かれて俺は慌てた。
「すっすみません! 最初はその御礼を言いたくて」
「祭りか!」
この人のペースで話がぽんぽん飛ぶ。ついていくのが精一杯だ。
「そうです、今夜の産屋敷神社のお祭りです。俺、あなたと話がしてみたくて」
「いいだろう! どうすればいい?」
首を傾けて言われた。
えっ、いいのか。驚きながらも咄嗟に言った。
「鳥居の前に午後七時でどうでしょう!」
「あいわかった!」
勢いよく約束が交わされる。
「では後でな!」
認識が追いつく前に片手を上げて、憧れの人は背を向けて去って行った。白い夏の制服の後ろに黄金色の尻尾がゆらゆら揺れる。
信じられない。憧れの人とお祭りデートを約束してしまった。
嬉しいよりも現実感がないふわふわした気持ちのままに俺は帰宅して母さんに夜に出かける事を伝えた。
友達と祭りに行くと言ったらたまには楽しんでいらっしゃいと多めにお小遣いをもらってしまった。
いつもよくうちの手伝いで働いてくれているから今日は気にせずゆっくりしておいで、と。
俺のうちは自営業でパン屋を営んでいるのだ。
優しい笑顔がありがたく、出かける前になるべく多くやれる手伝いをこなしているうちにあっという間に時間になった。
産屋敷神社は街の高台にある。
まだ明るいけれどすでに道はいろんな獣人で混み始めていた。
浴衣を見せ合うねこ族の女の子達。小さい子を肩車したおおかみ族の親子。友達と待ち合わせの種族雑多な学生たち。みんな同じ方向に向かっている。
こんなうきうきした空気は嫌いじゃない。
あちこちに施されたお祭りの飾り付けにそわそわしながら俺も鳥居を目指す。
目印の赤い鳥居のすぐそばに煉獄さんはもう来ていた。
なんと浴衣姿だ。
濃い紺地のシンプルな生地が男前を引き立てていてかっこいい。明るい色の耳と尻尾に映えている。
俺は普通にTシャツとジーンズで、もっとお洒落してくればよかった。でももうどうしようもない。
「煉獄さん!」
声をかけると煉獄さんはこちらを見た。
「やあ!」
ニコッと笑ってくれてまた心臓が飛び跳ねる。
笑うと急にあどけなくなってかわいいのだ。ずっと遠くから見ていただけだから自分に向けられる笑顔に慣れていない。
「ごめんなさいお待たせしましたか」
「いやまだ約束の時間には少し早いだろう! 俺が早く来すぎただけだ、問題ない」
「あのっ、浴衣がとてもお似合いで素敵です」
これは伝えねば、と思って言うとまた彼の目が丸くなる。それから柔らかく微笑んだ。
「うん、ありがとう。うちではけっこうよく着るんだ」
「そうなんですか。あ、剣道をされていますよね」
「知っていたのか。それもあるが、母が和服派で」
「へえ」
「まあ、歩きながら話そう!」
さっきよりさらに混んだ屋台の並ぶ通りへゆるゆると移動する。俺はずっと密かにどきどきしている。
「なぜ今日は俺を誘ってくれたんだ?」
予告なく煉獄さんに真っ直ぐに訊かれて俺は何も取り繕えず正直に答えた。
「入学式で助けてもらってからずっとあなたに憧れていて、一度お話をしてみたくて。今日、一人でいらしたのでチャンス! って思ったんです。
煉獄さんこそよく知らない俺なんかとなぜ急に約束してくれたんですか?」
「俺も君を覚えていたし、君が見つめてくるのにはずっと気づいていた。
君はよくいのししとねずみの獣人と一緒にいるだろう」
確かにそれは俺の友人達だった。俺の事を認識してくれていたんだ。
「俺も君と話がしてみたかったから嬉しかった!」
「そうなんですか。ありがとうございます」
「ところで何か食べないか! せっかくの祭りだ。俺はよく食べるぞ」
「はい! 負けません!」
この返事に煉獄さんは楽しそうに笑ったが、結局想定以上によく食べる煉獄さんに俺は全然敵わなかった。
学食で見かけて食べっぷりがいいのは知っていたけれど。そんなところもかっこいいと思っていたりもしたけれど。
焼き鳥、チョコバナナ、イカ焼き、フランクフルト。おでん、はしまき、焼きそば、りんご飴。たこ焼きに東京カステラ。ひと通りフードファイトして俺は根を上げた。
「もう満腹です煉獄さん!」
「そうか!」
煉獄さんは美味しそうに食べては楽しそうによく笑った。どんなに食べてもすっとした細腰はそのままで、一体どこに食べた物が消えているのか不思議だ。
俺が音を上げてからは射的や輪投げ、かたぬきなどで遊んだ。
煉獄さんは射的と輪投げはすごく上手だったのにかたぬきは苦手ですぐに割ってしまって、耳を伏せてしょげる姿も可愛らしかった。
そして自分のが早く終わってしまったので俺がかたぬきをするのをじっと見守ってくれた。
ライトに照らされた木の板の上で緊張しながらゆっくりと爪楊枝を使って飛行機の柄のかたぬきをする。
半分くらいは上手にできた。
焦らず地道にやるものは得意だ。成功したら景品がゲットできる。
真剣に取り組んだけれど難しい細いパーツのところでぴしりと割れてしまって結局は失敗に終わってしまった。
「ああ〜……」
今日とくにいいところを見せられていなかったので、せめてここでは成功したかったのに。
「まあなかなか頑張ったさ」
耳を伏せてがっくりする俺の背中をぽんぽん叩いて煉獄さんは慰めてくれた。
「俺よりずっと上手だった!」
「うーん、悔しいです」
席を立ち移動する。けっこう長居してしまった。
「まだ満腹か?遊んだら喉が乾いたな。かき氷はどうだろうか!」
「あ、いいですね」
目についたのぼりに惹かれて俺達は並んでそれぞれかき氷を手に入れた。煉獄さんがメロン、俺はいちご。
少し屋台を離れたところにあるベンチに移動して並んで食べた。
しゃくしゃく。色がついた氷は冷たくて甘くて美味しい。プラスチックのスプーンで氷を口に運びながらちらりと煉獄さんを見る。
伏せた睫毛が長い。美人だなあ。
今日は本当に楽しかった。こんなに楽しく一緒に過ごせて幸せだった。頑張ってお誘いして良かった。
けれどたくさん遊んで、もうだいぶ遅くなった。そろそろ帰らなくてはならない時間だ。
離れたくないなあ。
ずっと一緒にいたい。
煉獄さんとする会話は全部楽しくて、並んで歩けるだけで嬉しくて。ただ遠くから見ていた時よりもっとずっと好きになってしまった。
ふと煉獄さんと目が合った。
ふ、と目が細められて名前を呼ばれた。
「炭治郎」
初めて名前を呼ばれた気がする。
「は、はい」
緊張して返事をすると煉獄さんはべっ、といきなり舌を出してイタズラっぽく笑う。
えっえっ。
ドキッとしながら笑顔の意味を察した。
その舌はみどりだ。かき氷の着色料に染まっているのだ。どうだ、とばかりに見せてくれた。
俺も負けずにべえっ、と舌をだした。おそらく俺の舌はいちごの真っ赤に染まっているはず。
煉獄さんはまた目を丸く見開き、それから二人で声を出して笑い合った。
「君の尻尾がいつも揺れているんだ」
笑いが収まって少し近い距離で、煉獄さんが柔らかな声で言った。
尻尾。俺の?
「君の視線に気づくといつも、黒い尻尾が右に左に。君、俺のことをすきだろう」
しびびっ、と電流が走るみたいに俺は震えた。
「す、好きです!」
この正直な口も尻尾も。
多分眼差しも全てが伝えてしまっていたんだろう。
俺は腹を据えて告白した。
「俺はあなたが好きです、煉獄さん」
「……うん、ありがとう」
嬉しそうに目の端を赤く染めて、微笑んだ煉獄さんの黄金色の尻尾もふさふさと揺れていた。
嬉しい。大好き。
俺達イヌ科の正直な感情表現がベンチの上でふさふさ、ふさふさ、喜びを表している。
「あの、これからもまたどこかに誘っていいですか。俺とお付き合い、していただけますか」
勇気を出してそう言うと、
「いいぞ!」
嬉しそうな明瞭な答えについ調子に乗ってしまう。
「じ、じゃあその。キスしていいですか」
踏み込んで訊くと煉獄さんは一瞬口をきゅっと閉じて、照れて困った。
かわいい。
けれど迷いは一瞬で周りに人目がない事を見て取るとかき氷の入れ物をベンチに置いて、ぎゅっと目を閉じて言った。
「いいぞ」
返事の声がさっきより小さい。
判断が早い、無防備な閉じられた目の尊さに心臓が飛び出しそうになる。
俺もかき氷の容器を横に置いて、そっと顔を近づけて目を閉じる。
こわれものにするみたいに丁寧に大事に唇を重ねた。
初めてのあたたかく柔らかい感触。
本当はさっき見た色付きの舌にも触れてみたかったけど、今夜はここまで。
するとほわん、といい匂いが香ってきた。
これが好きな人の恋する匂い、なのか。
なんだか胸がいっぱいだ。
目を開けた俺達は少し無言で見つめ合う。
心臓はずっとドキドキしている。
「あの、これからよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると煉獄さんが微笑んだ。
「うん、俺もよろしく頼む」
ああ可愛い。どうにも幸せだ。
ずっとこうしていたいけれどタイムリミットだろう。
「じゃあ帰りますか」
「そうだな!」
立ち上がってかき氷の容器を見るとすっかり氷は溶けてしまっていた。
二人で甘い色水を飲み干してごみ箱に捨てて、帰り道の短い距離も惜しむように並んで歩くとふと触れた手を握ってみる。
煉獄さんは指先をそっと握り返してくれた。
周りにバレないように視線はそらしたままさりげなく、人混みの中、指先だけで繋がる。
心がほわんと喜びに満たされた。
夜の帰り道、高台からは街の灯りと遠く霞んだ星空が見える。
無言で並んで歩く俺達の尻尾は嬉しさにふさふさと左右に揺れているのだった。