これまでのこと、これからのこと。 最後の夜はあっけないものだった。
明日にはビリーが郊外を出てしまうというのに、ライトはベッドに座ってふらふらと上体を揺らしている機械人を前に何もできずにいた。
目尻が溶けるように垂れたアイライトの光は弱々しく明滅して、ともすれば今にも消えてしまいそうだ。機械人もニトロフューエルで酔うのか、それともバーニス特製だからなのかはわからないが。
今日は都会へと発つビリーの壮行会だと昼からどんちゃん騒ぎで、とっぷりと陽が落ちてからようやく静かになった。飲み潰れた面々には毛布をかけてやり、かろうじて意識があるらしいビリーは引きずって何とか部屋に押し込んだ。全身金属とあってなかなかの重労働だ。
「大将たちが潰れてるってのに、チャンピオンまで使い物にならなくなるのはどうなんだ?」
誰にともなく独り言ちると、大きな窓から見える星を背にしたビリーのアイライトがへらりと三日月形に歪む。
「へへ、チャンピオンはよぉ、もうお前だからなぁ」
嬉しそうに呟いたビリーが首に巻いていた赤いマフラーをもたもたと外したかと思えば、やけにしっかりした動きでずいとこちらに差し出した。
「ライト。これはお前のもんだぜ」
これを受け取れば本当に彼はここからいなくなってしまうのだ。そう思うと込み上げるもので胸が潰れそうになる。
誰とも打ち解ける努力をしなかったライトに根気強く話しかけてくれたこと。死にたいとしか思っていなかったライトに居場所を与えてくれたこと。自分は食べられないくせにおいしそうだったからと甘い菓子を買ってきて、ライトが食べる様子をただ満足そうに眺めていたこともあった。
走馬灯のようにこれまでのことが頭をよぎり、目の奥がツンと熱くなる。差し出されたマフラーを受け取るどころか指先をわずかに軋ませることしかできないでいるさまは、まるでオイルを差されていない機械のようだ。
動かないライトにしびれを切らしたのか、なめらかに動くよう手入れされた機械の指がドッグタグを包み込むように首元を赤いマフラーで彩る。お前は文句なしにチャンピオンだ、俺が愛した郊外を頼む、そう言いながら抱きしめられて、ライトはせめて涙が零れないようにと、揺れる白髪の後ろに広がる星空を見上げた。
首に巻かれたマフラーは、ふわりとしているくせにとてつもなく重く感じた。
翌朝、目覚めるとライトはビリーの部屋に一人きりで、だというのに窓の外にはいつもと変わらぬ朝が訪れることに驚いた。
ビリーがいなくても朝は来るし、昼には痛いほどの太陽の日差しが照り付けるのだ。そして夜はきっと思い出す。何ひとつ伝えることのできなかった昨夜の自分を。
情けない自分を追い出すように頭を振って、飲み潰れていたメンバーの様子でも見に行くかと立ち上がるとふと目についたのはサイドテーブルの上で綺麗にたたまれている赤いマフラー。そこには昨日はなかったものが付いていた。
「これは……確かパイセンがジャケットにつけてた……?」
燃えるような赤に映える金色のエンブレムが朝日に照らされ輝いている。ライトの記憶が正しければこのエンブレムはビリーが愛用しているジャケットにつけていたものだ。かっこいいだろ、と傷つけないよう優しく撫でていた姿を思い出す。
「パイセン……やっぱ俺、あんたが好きです」
赤いマフラーに顔を埋めてそっと呟く。誰にも聞かれない告白の代わりにわずかに残るオイルの香りがライトの胸を満たした。
「この赤いマフラーが、俺をチャンピオンにしてくれる」
これからは少しでも前を向いて進もう。仲間のところへ行きたい気持ちに変わりはないが今はカリュドーンの子こそが自分の居場所であり、そこに生きる彼女らが何にも代えがたい仲間だ。早く起こしてやらなければ今日の仕事が滞ってしまう。そうなればまたルーシーの愚痴を聞くはめになるだろう。
ライトは金のエンブレムがついたマフラーを身に纏い、部屋のドアを開けた。最後の夜にすら告げられなかった、チャンピオンという居場所を作ってくれた彼への想いだけは死ぬまで秘めておこうと心に決めて。
ただそれも心に決めたその三日後、「遊びに来たぜ!」とビリーが都会の土産を片手に賑やかに顔を出すまでだった。
「あんたねえ! 人の気も知らないで!」
「なんだよ三日ぶりのパイセンだぞ、嬉しくないのか? 何怒ってんだよ??」