いい子 兄上、僕はちっとも「いい子」ではないのです。「いい子だ」と手放しで褒めてもらえるような子ではないのです。
だっていつも兄上のことを考えているんです。兄上がある日いきなりお嫁さんを連れてきたらどうしようとか、おまえが一番だって言ってくれなくなる日が来たらどうしようって。そんな心配ばかりして、そのくせ兄上にいい子だって言ってもらえるように兄上の好物ばかり作ったり、兄上のお洗濯物をことさら丁寧に畳んだり、そんな姑息なことばかりして、いい子だなって言ってもらえるのを待ってるんです。
だから「いい子」ではないんです。
だって本当の「いい子」はそんなことなど考えないでしょう。いい子と言ってもらえなくてもちゃんとするのが当たり前でしょう。たとえ一番と言われなくとも、人には人の考え方があるものだと納得するでしょう。兄上がお嫁さんを連れてこようものなら、とても佳い報せだと心から喜ぶものでしょう。
でも僕はそれができないんです。だから「いい子」ではないんです。
色の変わるほど唇を噛み締め、堪えていた涙を指の背で乱暴に拭って千寿郎は顔を上げた。もうそろそろ兄が帰ってくる。三ヶ月ぶりの帰省だ。それをきちんと「いい子」として出迎えなければ。
思ってゆったり門へと向かう。潤んだ瞳はまだ乾きはしない。涙のかけらはそのままだ。
それを認めれば、きっと兄はこう言うだろう。
「寂しい思いをさせてすまない」
「お前はよくやってくれている」
「本当にいい子だ」
そう言って、大きな懐に掻き抱いてくれるだろう。
それが兄弟の情からだとしても、千寿郎には頬の熱くなるほど嬉しかった。たとえ今だけの所作だとしても、これを生涯胸に刻んで生きていけるほど愛おしいものだった。
そう、道ならぬ恋をしている。実の兄に対して。
だからどだい「いい子」ではないのだと喉の奥に押し込めて外を覗く。
ちょうど家の角に現れた兄が、嬉しそうに手を振ってきた。