竜は行方不明 11月最初の日曜日。
大学構内の、かすかに色づきはじめた欅並木の下を、ヒュンケルは歩いていた。
バイト帰りで、もうすぐ日が暮れようとしている。
休日に教室を使って行われる、様々な資格試験の試験官助手は、結構いいバイトだった。試験用紙の配布と回収、試験時間に通路を歩き見回るだけで、昼の弁当も出るし、日給も当日に受け取れる。
ただし、自分も試験を受けているような疲労感にはおそわれるが……。
受験生が全身から発している緊張感から解放され、ヒュンケルはひんやりとした、 しかしまだ寒いというほどではない、ここちよい空気を吸いこんだ。
あたりの土の匂いを含んだ空気は、どちらかといえば春先のようでもある、とヒュンケルが思ったとき、少し前をひとり歩く人影に見覚えがあることに気づいた。
『ポップ……?』
ポップは同じ敷地内にある高等部に通っているので、時折、制服姿を見かけることはあったが、今日は私服だ。日曜の夕方にどうしたのだろう。
ポップは地面を気にしながら、ゆっくりと歩いている。
何かを探しているように見えた。
速度をあげて数歩を歩き、ヒュンケルはポップに追いついた。
「ポップ、どうしたんだ?」
地面に夢中になっていたのか、急にかけられた声に、ポップは飛び上がった。
「な、なんだ、ヒュンケルか…びっくりした。バイト終わったんだ」
「そうだが……何か落としたのか?」
ポップはうなだれた。
「そうなんだよ。朝には持ってたんだけど、いつ落としたのかわかんなくってさ。今日通ったとこを一応探してんの。ここでラストなんだけどな」
「手伝おう」
並んで歩きながら、ヒュンケルは言った。
「サンキュ。違う目で見るとみつかる、ってこともあるからなー」
「いったい何を落としたんだ?」
「<ドラゴンズゲート>のキャラクターキーチェーンマスコット」
すっかりいつもの元気をなくして、ポップが言った。
ドラゴンズゲートは、いま一番人気のあるRPGだ。ヒュンケルも名前くらいは知っている。
「このくらいの」と、ポップは親指と人さし指で3センチくらいの長さを示した。
「ドラゴンの形でさ。翼を広げてて。小さいけどすごく良くできてんだよな。紫のクリアタイプのやつ」
「………」
話を聞いているうちに、ヒュンケルの眉根がわずかに寄った。
では、ポップの腰の、ちょっと格好をつけているのかやや長めのウォレットチェーンの端に、ひっかかっているあれは何だというのだろうか。
どう見ても、ポップがいま話しているとおりの物体だった。
落としたと思いこんで、気づいていないのか。
確かに、不自然な感じにひっかかってはいるが……。
ヒュンケルが、そう指摘しようとしたとき、ポップが言った。
「この前、アキバであった新作発売イベントで出た限定グッズでさ、ダイがすごい気にいって、記念にお揃いで買おうよっていうから、1時間も並んで買ったんだよなー。なくした、なんて言ったらあいつ怒るよな……」
ヒュンケルは開きかけた口をまたつぐんだ。
ダイとお揃い。
自分が、ポップの言葉のどこにひっかかったのかあきらかで、情けなくなる。
拗ねてしまったダイがどれだけ始末におえないか、と語りつづけるポップのとなりで、ヒュンケルは地面を見るふりをする。
そのうち、欅の並木は終わって、正門に着いてしまった。
「あーやっぱり誰かに拾われちまったのかな-。レアアイテムだし……」
がっくり肩を落としたポップがさすがに気の毒になり、ヒュンケルは言った。
「ポップ……その、ウォレットチェーンにひっかかっているものが…さっきから気になっているんだが」
「え?」
ポップが慌ててチェーンを手繰り寄せる。
「あった!!これこれ、これだよー!こんなとこにひっかかってたのか。後ろポケットに財布とかと一緒にいれてたから、なんかの拍子に……」
はた、とポップがヒュンケルを見た。
「……ってヒュンケル、気づいてたなら、すぐ教えろよ……!俺が困ってんのみて面白がってたんだろ!」
思いきり喜んでいるポップにほっとしたのもつかの間、にらみつけられてヒュンケルは内心あたふたした。
顔は無表情のままだったが。
「いや、違……」
「違うって何がだよ」
「いや……その……お前が『ダイとお揃いで買ったのに無くした』とずいぶんしょげていたのでつい……」
「……???」
ポップは、疑問符をたくさん浮かべながらしばらく黙っていたが、突然ぷは、と吹き出した。
「オレのはココにあるし」
ポップがとり出したキーホルダーには、別バージョンのドラゴン(緑のクリアタイプ)がきちんとぶらさがっていた。
「……???」
今度はヒュンケルの顔に疑問符が浮かぶ。
ポップは、ウォレットチェーンとからまってしまった小さなドラゴンを器用にはずし、ヒュンケルに差し出した。
「これお前の分。やるよ」
ヒュンケルの手のひらに、紫のドラゴンを乗せる。
「ダイと、オレと、お前でお揃いなの」
ちなみにダイのは青のやつな、と言って、ポップは笑った。
「すごくレアなんだぞ!ありがたく思え」
「……あ、ありがとう」
ポップの勢いにのまれ、ヒュンケルは思わず言った。
「まったくお前はさーおとな気ないんだよ。お前も欲しかったんなら最初から言えよな」
いや、そういう意味では、と言いかけて、ヒュンケルはまた口ごもった。
では、俺は、どういう意味だと言うつもりなのか。
小さなドラゴンを握りしめて思考を空回りさせているヒュンケルをおいて、ポップはくるりと背を向け、ずんずんと正門を通り抜けてしまう。
「今日、バイト代はいったんだろ。夕飯おごれよ」
貧乏学生にたかるとは何事だ。と普段なら軽くいなすが、今日はそういう訳にもいかなそうだった。
「……わかった」
「よし!」
どんどん先に歩いていくポップの頬が赤くなっていたのを、ヒュンケルは知るよしもない。
もし気づいたとしても、きっと夕陽のせいにされてしまっただろうけれども。
そんな秋の日のこと。