ボクが悪魔を堕とした日
出会いは偶然、でも近づいたのはボクの方。
*
黒くて長い髪を地面に広げ、彼は横たわっていた。赤黒い羽根はほとんどが塵と化して、見る見る間に霧散していく。
遠目にしか見たことが無い悪魔だ。意識は無いみたいで、天使が近づいても指一つ動かさない。
恐る恐る近づき、手を伸ばすと壁のようなものが行く手を阻んだ。相反する存在を拒んで、天使と悪魔の間に出来るバリア。
ぐん、と魔の気が押し寄せて心地悪い。吐き気が込み上げる。
「……ねぇ、生きてるの?」
尋ねても返事は無い。カロルが手を引っ込めようとした時、僅かに肩が揺れ、指が動いた。
生きてる、救けなきゃ……そもそも悪魔に天使の力で癒せるの? 却って悪化させるんじゃ……?
迷ってる内に羽根の片側が溶けていく、もう一度手を伸ばし、また弾かれる。カロルの額から汗が零れ、顎を滑り落ちていく。
「……」
これ以上近づいたらどうなるか恐かった。もっと痛くて辛い目に遭うかもしれない、それに悪魔を救ける天使なんて聞いたことが無い。
見ない振りして逃げたって、きっと誰からも責められないよ……だってこの人、悪魔だもん。
──ま〜た逃げて来たのかよ。お前、本当にどうしようもないな──
恐がりで臆病な自分に仲間の嘲笑が降りかかる。まるで近くで嗤われてるように、はっきりと。
言い訳をして逃げようとしたカロルの顔が気色ばむ。
違う、ボクだってやれば出来るんだ……!
足を踏ん張って拳を握り、目を伏せて呼吸を整える。
そして目を開くと、意を決してカロルは見えない壁の向こうに手を突き出した。
*
カロルが地上へ降りると、待っていたかのように、黒髪の悪魔は果物を投げて寄越した。
「やるよ。美味いぞ」
「ありがと、ユーリ」
喜んで受け取ると、悪魔も合わせて顔を和らげた。
何とか一命を取り留めた悪魔とカロルはちょくちょく会っては、話をする。お互い痛くない距離で、話す事しか出来ないけど、友達が出来て毎日楽しかった。
「昨日、海の向こうに行ってきてよ……」
遠くからユーリの話す声に耳を傾ける。相槌を打ち、笑ったり怒ったり拗ねたり、コロコロと表情が変わるカロルに手を伸ばしかけ、光が弾ける。
ちっ、と小さく舌打ちして手を引っ込めるユーリを何度見ただろう。
ふと、仰いだ空に虹がかかっていて、カロルは目を輝かせた。
「ユーリ、見て虹だよ! ほら!」
「ああ、虹だな」
「……綺麗とか思わない?」
「アレ食えたら美味いのかなとしか思わねぇな」
食べることにしか興味が無いのか、綺麗とは思わないのかユーリは首を捻るばかりだ。
悪魔も天使も差ほど変わらないのはユーリを見ればすぐに気づいたから、感性の違いだろう。
虹を見ながら果物の最後のひと欠片を飲み込むと、ユーリが羽根を大きく広げた。
「じゃ、オレそろそろ行くわ。元気でな」
「……うん、またね。ユーリ」
別れる時、いつも寂しくなってしまう。上手く笑えてるか判らない。
ユーリを救けたのは唯の自己満足で、彼を救けたかった訳じゃなくて……それでもユーリに会いたくなるのはどうしてか、説明が付かなかった。
また会うなんて思わなかったし、続けて会うほど仲良くなるなんて考えもしなかった。
これからもずっと、ユーリと会って話がしたい。触れなくてもいい、会えなくなる日が来る方が怖かった。
……ユーリはきっとそんな風に思ってないから、寂しいなんてわがまま言っちゃいけない。
「こんな醜いの、天使失格だよね……」
中にある醜くて、汚い感情。
悪魔を救って入れ込む天使なんてどうかしてる。
何だかんだ言って面倒見がいいユーリは拒む事は出来ないんだ、またねと言うだけできっとこれからも会ってくれる。
それが嬉しくて、彼に悪くて、泣きたくなる。悪魔がたぶらかせて天使を堕とすと言われるが、きっとこれは逆だ。捕らわれて堕とされるのはユーリの方だ。
だって、先に出会ったのはボクなんだから。
またな。と背中を向けるユーリが見えなくなるまで立ち尽くし、やがてカロルも白い羽根を広げて飛び去った。
目元に潜んだ涙を見られないように、乱暴に腕で拭いながら。
2012.1