オーザムでオーロラ見る話ごうごうと風が鳴る。
細い枝葉の針葉樹を引きちぎりそうな風と雪。
横殴りの雪が断熱のために小さく作られた窓の外を恐ろしい勢いで飛んでいく。
オーザム王国の北の森の奥から、恐ろしく、おぞましく背筋がぞっとするような声がする。
大戦から一年と少し。
魔王軍から受けた傷はまだ癒えたとは言えないが、少なくとも打ち壊され、燃やされた瓦礫の山がそのまま朽ちていくようなことにはなっていない。
パプニカのレオナ姫を旗頭に首脳陣が集まり、散り散りになっていた各国の識者や有力者を探し出し、一歩ずつ確実に戦火の爪痕はぬぐい取るよう国の立て直しが日々行われていた。
「異形の声?」
へき地の探索からパプニカへと帰国したヒュンケルを呼び止めたのは、変わらず三賢者として忙しくしているアポロだった。
政務に務めていたのか武具をはずし、ゆったりとした衣服に身を包む彼からはインクの香りが強い。
「ああ、ひと月ほど前からマルノーラ大陸へ渡る船より報告が来ていてな」
「マルノーラ…、オーザム王国の支援か?」
「そうだ、まあ、支援というよりも王城の調査だな」
南側に大きく窓をとったアポロの執務室。
陽当たりがよく、秋だというのに室内は暖かく、開け放たれた扉を書記官たちが紙の束を持って行き来している。
城下町からもわかることだが、レオナ姫の膝元から光が差すように復興への活力とエネルギーが広がっている。
アポロは気軽に手をあげて挨拶を交わし、木製のテーブルをよけて執務室の壁に打ち付けられた世界地図の前で止まると、トンと極北の大陸を指さした。
「夏にオーザムの王城へ調査隊を送ったんだ」
「生存者か? それなら以前から行っていただろう」
不思議に思ってヒュンケルはアポロに視線を向ける。
「いや、それとはまた別だ。オーザムの政務室というか書庫の調査だ。帳簿だとか台帳だとか、観測書や歴史書だな。あとはオーザム国の文化財や国宝なんかの類がそれだ」
あんなところでも火事場ドロボウが出るんだ、とアポロは肩をすくめた。
「…たくましいな」
何と答えたものかと悩んだように、一泊おいてつぶやいたヒュンケルに向かってアポロは小さく噴き出す。
「まったくだ。で調査と保全に向かっていたわけだが、最近その調査隊から妙な報告が届いてだな」
「それが、異形の声という?」
「そうだ。おまえに説明することではないだろうが、まず真っ先にゴーストかアンデッドの類を疑った」
藤紫色の目がすがめられる。
「死者がモンスターになった、と?」
「まあ、確率は薄いがな」
昼日中の暖かい空間にひやりと落ちた声。
幾分、声がひそめられているのは出入りする書記官に対してだろうか。
魔王ハドラーが死に、大魔王が去った今、モンスターの被害はぐっと低くなったとは言え、ここはパプニカ、かつてハドラーの本拠地であり、何よりもヒュンケルにとっていわくの地である。
腕を組んだアポロは、考えをまとめるように息を吐くとテーブルの方へ歩き、ティーポットから二人分の茶を注ぎ入れる。
香草を煮出したものなのだろう、差し出されたものを口にすると独特の甘みが舌を通り過ぎた。
「完全にとはいかぬが、この一年、死者たちを葬り浄化の魔法を各地で行ってきた。それゆえにこのタイミングで死者がアンデッドになったとは考えにくい」
「そうだな…」
記憶を探るように視線を伏せたヒュンケルだったが、小さく首を傾げると口を開いた。
「そもそも不死騎団はハドラーがその魔力で作ったものだ。オレはやつらを暗黒闘気で束ねてはいたが、死者が蘇りからモンスターになったものではない」
「それは確かにそうか…、そうひょいひょい化けて出られてはかなわぬ」
アポロの黒い眉がぎゅっと眉間による。
「それに、その異形の声というのは確かなものなのか?」
「一つの隊からならいざ知らず、複数の調査隊や船乗りから時々に報告が上がってきている。大きな町があるわけではないと言っても調査は行いたい」
そういうことならばとヒュンケルは地図を見上げる。
パプニカとは真反対に位置する大陸、徒歩で行けばずいぶんな距離だが、近くまでルーラを使えるものに送ってもらえるならば何てことはない。
「頼みたいのはその声の調査とオーザム国周辺の様子だ。モンスターなのか、ほかに原因があるのかだけでも見てきてほしい」
こくりと小さく一つうなずく。
「いいだろう」
「一度で報告を上げろとは言わん、時期に雪が降って動きが取りづらくなるだろうし、勇者様捜索のついでに異常がないか見てきてほしい」
考えを見透かされたかのようなタイミングでアポロは声が放つ。
ぱちくりとヒュンケルは目を瞬かせ、それもそうかと納得した。
かつてダイと共に戦った仲間たちが、それぞれの力を生かし生活の合間に彼を探し続けていること。
ヒュンケルは各地の魔王軍の痕跡を追いながら探索の旅の出ていることを、パプニカに在籍するアポロが知らないはずがなかった。
ここはレオナ姫が統括し、彼女の意思が何よりも浸透している場所、その側近が三賢者であり彼だ。
「うけたまわった、ルーラを出来る者を手配してくれるか?」
「ありがたい、よろしく頼む」
ほっとしたようにアポロがほほ笑む。
「ちょうどマルノーラ大陸から戻った者たちがいる。手配しておこう、いつ頃出る?」
「いつでも出発できるが、回収したいやつがいる、明日まで待ってくれるか?」
淡々と語られる口調にアポロが何とも言えない表情になった。
ことりとカップを置いてヒュンケルに向き直る。
「…季節が季節だからあまり出立までに時間はかけられんとは思うが、お前はギルドメインの東端から戻ったばかりではなかったか?」
「そうだが?」
それが何か、という風情の男にアポロは口をへの字にする。
姫様の初めての手料理を食べたときの、胃の軋みを少し思い出した。
「いくら何でもそんな無茶なことは言っていない。せめて今日明日は休め」
「そうか?」
「回収したいやつとやらも今日の明日で出立となれば準備に慌てるだろう」
そこで初めてヒュンケルの表情が動いた。
「そんなにヤワではないが、であれば
日が昇ったと同時に動きだしたというのに、いくばくも進まないうちに湖畔の山小屋へとんぼ帰りする羽目になった。
オーザム王国の近く、今は住む者がいなくなった丸太小屋。
昼に差し掛かったかどうかという時間だが辺りはうす暗く、今日はもう出かけられまい。