パンと煮込み料理と井戸端うっすらとした細い光が木窓から漏れている。
暖炉にはじりじりと熾火が燃え、薄暗い室内はほんのりと温かい。
太陽の位置がずいぶんと高く、もう昼に近いのだと知る。
少々寝すぎたらしい。
ぱちりと瞬いて、舞い踊る埃のきらめきを見つめる。
寝台からゆっくりと身を起こし、首を回せばごきりといい音が鳴った。
昨夜話ながら寝てしまったせいか。
隣を見ればばさりと畳まれた寝具。
気配が動いても気にせず寝ていたことが気まずく、寝乱れた月白の髪をくしゃりとかき回した。
人々の喧騒が遠く漏れ聞こえる。
ぱちりぱちりと意識を覚醒させるように瞬き、ヒュンケルはゆっくりと寝台から足を下した。
ひんやりとした敷物に淡く身震いし、横机の水差しを見る。
中は空になっていた。
喉が渇いていた。
ホルキア大陸でも息が白くなる季節。
日が出ているうちにと寒さなど関係ないように多くの人や馬車が街中を行き来する。
王城と港の復興で、人足はいくらでもいったし、パプニカの姫と側支えたちの手腕で魔王軍によって壊滅した王国の跡とは思えないほどに、活気に満ちていた。
その再建築中の王城のほど近く。
魔道騎士たちが寝泊まりする宿舎の一角。
二階建てのこぢんまりとした建物にヒュンケルとラーハルトは寝泊まりしていた。
各地を転々とし、パプニカの姫や三賢者に報告を上げた後は早々に城下を出ていた二人を見とがめた姫に押しつけられたのだ。
最初は城内に部屋を与えると言われたものを、騎士宿舎へと移行させたのは我ながらよくやったと思うが、そもそも城内では断られるのを見越した末の提案だったのだろう。
ちょこちょこ顔を出す戦友や知人たちの多さに後から悟った。
交渉の基本だ。
平気で根無し草になる長兄に、少しでも拠点を持ってほしかったポップやマァムの思いを組んだのだろうと、いつかクロコダインが笑っていた。
そんなものかと面映ゆく思ったのはずいぶんと前。
すったもんだあったが事情が分かる者が多いせいか、魔族の見た目やヒュンケルのバックボーンを知るものでもほとんど抵抗なく受け入れられた。
あのクロコダインとバダックのおかげもあるかもしれない。
そんなわけでパプニカに寄った際には、二人は宿舎に寝泊まりするようになった。
外の井戸端で汲んだ水で顔を洗い、上半身あらわにしてざっと体をぬぐう。
このまま脱いだ服も洗ってしまうかとしゃがんだところで声をかけられた。
「こんな時期に外で水をかぶるとは、風邪はキアリーじゃ治らんのだぞ」
「そこまでヤワではない」
振り返れば三賢者のアポロが籠を担いで歩いてきたところだった。
「何かあったか? 報告なら昨日あらかたすませたが」
「ああ、仕事じゃない。むしろその逆だ」
ひょいと肩をすくめて籠から瓶を取り出した。
「……昼間から酒盛りか?」
「違うからな、私の本意ではないからな」
持ってきていた酒瓶を振ってアポロが肩をすくめる。
「たまには休めと言われて蹴りだされた」
「姫は出かけているのでは?」
この生真面目な三賢者のアポロにそんなことを言えるのは、上司で国主しかヒュンケルには思いつかなかったが、レオナはロモス王国へ出かけていると聞いていた。
「ああ、補佐役だ」
「補佐」
そういえば彼の周りに付き従っている、少し年かさの文官がいたような気がする。
「姫がいないのをいいことに私が休みを取らず働きづめで、自分たちも休みが取れんから、ちょっと出て行けと放り出された」
「それはそれは。よく出来た補佐殿だな」
珍しく苦虫をかみつぶしたような表情が年相応に見える。
これはあれだ、ふてくされているのだ。
分かってはいるが、気遣われての不甲斐なさと嬉しさに。
「部屋に戻るついでに厨房に顔を出せばこのありさまだ」
下した籠にはたんまりとソーセージやチーズ、瓶詰の野菜が詰まっている。
「一人でどうしろというのだ。…お前の相棒はどうした?」
「さあ? オレが目を覚ました時にはいなかった。大方修練場にでも引っ張られていったのだろう」
「……うらやましい」
「何がだ?」
洗濯は諦めて、服を手に取って宿舎に足を向ける。
「練習に顔を出したら、休んでろと追い返された」
「気遣いだろう?」
むしろ文官と武官の連携がよく取れていて良いことだと思う。
アポロ自身にとってはどこにいても追い出されて悲しいことかもしれないが。
「そう思うなら付き合え」
籠を手にして少し不貞腐れた三賢者が言う。
ヒュンケルはふむ、と籠に視線を向けてかすかに首を傾げた。
厨房に大根とじゃがいもと豆があった気がする。
パンとチーズ、ソーセージだけでも十分だが何か温かいものがあった方がいいだろう。
「付き合ってやるからちょっと手伝え」
くいっと顎で誘い、ヒュンケルは今度こそ宿舎へと歩き出した。
小さな熾火でふんわりと温かい一階の厨房。
二階の部屋で着替えて戻った時には、物珍しそうにアポロがのぞいていた。
籠をテーブルの上に置かせ、代わりに棚からジャガイモと芽の出た玉ねぎを見つけ、ナイフと一緒に手渡す。
「皮は剥けるか?」
「剥けるが、何か作るのか?」
「スープを」
「ああ、分かった。水を汲んで来るか?」
「いや、それはオレがやる、野菜をたのむ」
「ん」
生真面目に答えてアポロがナイフを取る。
隅にあった桶を取ってきて、シュッシュと芋の皮剥きを始めた。
手元に仕事があった方が落ち着くタチなのだろうか、嫌がるそぶりもなく手元に集中している。
執務室や軍議でしか顔を合わせることはなく、何やら普段は二人きりの空間に他人がいるのが何とはなしに不思議な気がする。