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    ナカマル

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    ナカマル

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    ① 老婆 様より「水泳の授業前に更衣室で莇くんの落とし物を拾った九門くん」
    #ナカマル水産SSスケブ
    #ナカマルのクアザ

    真夏の大罪 今日の最高気温は、三十五度に達するらしい。
     そんなのほぼ体温じゃん、と九門は思う。いくら夏生まれでも、暑いものは暑い。
    「クソ暑いな…」
     隣を歩く莇が悪態をつく。日傘で影になっていても、顔を顰めているのがわかる。
    「ほんと、あっついね〜…」
     暑いけれど、九門は嬉しかった。莇と「暑い」を共有できていることが。兵頭九門という男は、活発な印象とは裏腹にナイーブな一面があり、些細なことにも傷つきやすい心を持っているが、それは小さなことでも幸せを感じることができるという長所でもあった。
    「一年は今日、水泳何時間目?」
    「一時間目」
    「えーっ! いいなぁ」
    「いいだろ」
     莇が得意げに笑った。

    「じゃ、また昼に」
    「じゃあね!」
     昇降口で九門は三年、莇は一年の下駄箱へ別れた。今日も昼休みには一緒に昼食をとる予定である。
    「おはよ、九門。今日もあの一年と?」
    「おはよ! うん! 莇だよ!」
     靴を履き替えていると同級生に会った。九門があまりに連れ回すものだから、莇は三年生の間で「あの一年」として知れ渡っている。九門としては「あの一年」ではなく「泉田莇」と覚えてほしいのだが。
    「はぁ〜、涼しい〜!」
     教室に入った途端に冷房の心地よさが全身を包んだ。土筆高校には、十年前まで各教室にクーラーが無かったらしい。それを当時の生徒会が奮闘してくれたおかげで、今、九門たち現役生は涼しく快適な教室で授業を受けることができている。顔も知らない先輩たちには感謝してもしきれない。
     チャイムと同時に、窓の外から賑やかな声と、水飛沫の音が聞こえ始めた。九門たちのクラスは、その音をBGMにして、これから数学の問題を解かなければならない。
    「はぁ、いいなあ〜、俺も早く水に浸かりて〜」
     後ろの席の男子生徒が小声で呟く。
    「わかる。早く泳ぎたい…」
    「今何年生だろ」
    「一年だよ」
     九門は前を向いたまま小声で答えた。
    「ほらそこ〜、喋らない〜、問題やる〜」
     気だるげな数学教師には絶対に聞こえていないだろうと思ったのに、お叱りを受けてしまった。九門は直接見たことはない水泳授業中の莇の姿を思い浮かべながら、渋々問題集に並んだ数字や記号と向き合った。

     二時間目の日本史の授業の終了を告げるチャイムが鳴り終わった途端に、九門は教室を飛び出した。最初に着替え終わって、プールサイドに到着した生徒は、コースロープを張るのを手伝うことになっている。多くの生徒が嫌がる雑用だが、他の同級生より早くプールに浸かることができるから、九門はこの係が好きだった。
     更衣室には、まだ誰も来ていなかった。九門は首を傾げる。多くの生徒が嫌がるとはいえ、各クラスに二、三人は係をやりたがる者がいて、いつも競い合って着替えるのだ。
    「あ」
     九門は気がついた。今日の水泳の授業は三時間目で、すでに一年生が水泳の授業を終えた後だ。つまりコースロープは張られたまま。係は必要ないのである。
    「うわー…」
     誰もいない更衣室に、九門の落胆の声が響き渡る。なんだか背中に汗をかいてきた。十年前の偉大な先輩方は、更衣室の中にエアコンを設置することまではできなかったようだ。
     教室に一旦戻るには遅く、水泳の授業が始まるまでにはまだ早い。更衣室内はサウナのごとき温度。このままでは確実に熱中症になってしまうだろう。九門はやはり早めに着替えることにした。
     更衣室の一番奥のロッカーを開けて、中のハンガーに脱いだ制服を掛ける。続けてスラックスを下ろそうとしたとき、ロッカーの中に何かが落ちているのを見つけた。
     チャックを開けたまま屈んで手を伸ばし、紺色の布のようなものを拾った。生温かく湿っているそれは、誰かの──おそらくつい先ほどまで水泳の授業を受けていた一年生の誰かの──忘れ物だ。
     皆同じような形の水着を着用するから、タグに記名をしておくようにと教師からはしつこく言われている。この水着の持ち主が相当な面倒くさがりでなければ、名前が書いてあるはずだ。莇を呼びに行くついでに、持ち主へ届けてあげよう、と心優しい少年は思った。
     水着のゴムの部分を裏返し、タグの名前欄を見る。
    「え、これ…」
     右に倒れたアルファベットで、A.Izumida…一年生の男子の中に、彼以外の「泉田君」がいない限りは。
    「莇のじゃん……」
     もう一度油性ペンで書かれた名前を見る。この筆跡は、見れば見るほど莇の字だ。
     手の中の半分濡れた水着が莇のものだとわかった途端、心臓が激しく鳴り始めた。兵頭九門は、心優しい少年であると同時に、年頃の男子でもある。
     これは水着だから、莇が素肌に身につけたものだ。それが濡れたまま、手の中にある。背中を汗が伝う。更衣室にはまだ、九門の他に誰もいない。ここで今、何をしても、誰にも知られることはないだろう。
     水着を握る手が震える。いや、ダメだ。それだけはダメでしょ。頭の中の理性的な自分が、九門を必死に止めようとする。それでも本能に支配された腕が、水着を九門の顔に近づけていく。
     ロッカーの中で熱せられたのか、今、熱い手のひらで握っているからなのか、人の体温ほどに温まった布が、九門の鼻先に触れる。そして、鼻から息を吸おうとしたときだった。
     スマホのバイブレーションが鳴った。九門は肩を跳ねさせて驚いた。慌てて水着を持つ腕を下ろして、ポケットから出し忘れていたスマホを取り出す。
    【三年、水泳三時間目だよな?】
    【ロッカーに水着忘れたっぽい。悪いんだけど回収しといてくんね】
    「あー…」
     九門は頭を抱えた。自分は一体何をしようとしていたのか。「了解」と送るだけなのに、指が震えて上手く打てなかった。

    「あれ、九門早くね」
     やっとの思いで返信したところで、クラスメイトが一人、入ってきた。
    「何それ、忘れ物?」
    「そ、そう! 偶然莇のだったから、後で届けてあげようと思って」
    「ふーん、他人の使った後の水着なんてよく触れるな。俺ゼッテー無理」
    「い、いや、友達だし?」
    「ダチでも無理じゃね? 普通。九門優しいんだな」
     九門は顔を引き攣らせて笑った。兵頭九門は、心優しい少年なのである。
    「ってか、すげー汗かいてるけど大丈夫か?」
    「え⁉︎ あ、暑いからかな〜! この更衣室、ほんと暑い!」
    「確かに、クーラーないもんな」
    「あはは…」

     先ほど、あの瞬間、ほんの一瞬だけ鼻腔に入ったのが「匂い」なのか「香り」なのか、九門には判断がつかない。「香り」と呼んでしまったら、莇の友達を名乗るにはもはや相応しくないかもしれない。だから九門はそれを「匂い」ということにした。
     その匂いの記憶は脳にしっかりと刻まれて、水の中に入っているときも、昼休みに莇と昼食をとっているときも、午後の授業中も頭から離れなくなるなんて、このときの九門は知る由もない。

    (莇の匂いがしたな……)
     着替えながら、ふとそう考えた。莇の水着なのだから当たり前だ。
    (っていうかオレ、さっき、莇の水着の、匂いを…)
     今になって自分のしたことを思い返し、スラックスを下ろす手がまたもや止まった。心臓は相変わらず早鐘を打っていて、顔にも首にも熱が集まったままで、身体中を巡る血液は、ある一点に集まろうとし始める。
     兵頭九門は、思春期真っ只中の、年頃の男子である。
    (これから水泳なのにまずいって…!)
    「九門、マジで大丈夫か? 具合悪いなら保健室…」
    「だ、だっ大丈夫!」
     あまりに大きな声で返事をしたものだから、更衣室で着替えている同級生たちが一斉に振り返った。

    (莇ごめん! 神様許して! もうこんなことしないから!)
     九門は冷や汗をかきながら、必死に熱が鎮まるのを祈った。

    ──────────◆◇ おわり
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