Pandora◇◆──────────
「九門くん、莇くん! 今、手空いてる?」
「空いてるよ! どしたの、カントク?」
「悪いんだけど、そこにある段ボール箱を倉庫に運んでもらえないかな?」
監督が指差したのは、人が一人入れそうなくらい大きな段ボール箱だった。
「しばらく使わない小道具が入ってるから、壊さないように気をつけてね」
「わかった」
「莇いくよー、せぇの!」
十分に力のある男二人がかりでも、持ち上げるのに少し手間取った。二つか三つに分けたほうがいいんじゃないか、と莇は思った。
「いっちに、さんし、にーにっ、さんし」
九門の掛け声のお陰で、二人は息を合わせて重い段ボール箱を移動させる。前を持つ九門は、後ろ向きに歩かねばならない。後ろを持つ莇は、箱が大きすぎて前が見えない。側から見るとなんとも危なっかしい光景に違いない。
「お前、後ろ気をつけろよ。俺もあんま見えねーから」
「うん! ゆっくり行こうね」
手に汗をかいて、箱が滑り落ちそうになる。手だけでなく、額にも首にも汗が滲んできた。寮の中を移動するだけなのに、倉庫がとてつもなく遠く感じる。
「重い…一旦下ろす?」
「下ろしたら、また持ち上げるときしんどい、だろ」
「だ、よね…よし、あとちょっと! いっちに、さんし…」
やっとの思いで倉庫にたどり着いたとき、九門と莇は肩で息をしていた。滴る汗をTシャツの袖で拭いながら、九門が肘でドアを開け、中に入った。
「うっわ、暑…」
閉めきった倉庫のこもった熱気が二人を襲った。サウナを嗜む習慣がある彼らでなければ、一瞬で倒れていただろう。
「空いてるとこに置いておけばいいって言ってたよね…」
「だな。チッ、全然なんも見えねー。一旦置いて電気点けねーと…」
倉庫の中は暗くて、照明のスイッチがどこにあるのかもわからない。ドアの近くだろうと踏んで手探りで探しても、それらしきものはなかった。
「もう一回ドア開けて探そっか。外の明かりが入って見やすくなるかも」
「おう…ん?」
莇が先ほど自然に閉まったドアを開けようとしたが、押しても引いてもびくともしない。
「開かねー…」
「えっ? 鍵とか閉めてないよね?」
「閉めるわけねーだろ……まさか、外から閉められたか?」
「いやいや、だったら音聞こえるじゃん! ガチャって」
「だよな…」
暗闇の中に二人の声だけが響く。一瞬、沈黙が流れた。この間、九門と莇は同時に同じことを考えていた。この状況はかなりまずいのではないか、と。
「だ、誰かー! 開けて!」
九門がドアを叩きながら叫んだ。莇も続いて大声を出す。
「誰かいねーのか⁉︎ おい!」
しばらくの間二人で叫んでいたが、助けが来る気配はなかった。そのうちに目のほうが慣れてきて、真っ暗に感じられた倉庫の中が、ぼんやりと見えるようになっていた。
「これ以上は大声出すのやめたほうがいいだろ。ほら、遭難したときなんか、声出しすぎると体力消耗するって」
「ああ、そっか…こないだテレビで言ってたね」
また、沈黙が流れる。それならどうすればいいのだろうか。確かテレビ番組では、笛を吹いたり、ブザーを鳴らしたり、何か声以外で大きな音を出すとよい、と言っていた。しかしここにそんなものはない。
「……どうしよう…」
九門の声が震え始めた。莇は、九門がパニックになるのをなんとしても防がなければならないと察した。
「一旦落ち着こうぜ。ほら、座れよ。疲れただろ」
莇は床に腰を下ろして、九門の脚をぽんぽんと叩いた。少し前まで冷房に晒されていた素足は、まだひんやりとしていた。
「う、うん…」
九門も莇の隣に座って、背中を壁に預けた。
「このまま誰も来なかったら…」
「んなわけねーって…。少なくとも監督は俺らが倉庫に入ったこと知ってんだし、誰かしらが気づくだろ」
「そうだといいんだけど…」
「なんか、関係ない話でもしようぜ。あー…三角さんが新しいバイト始めたって言ってたけど、なんのバイトなんだ」
「え、そうなの? 知らない…」
「同室なのにかよ。…今日、臣さんが夕飯は冷やし中華だって言ってたな…俺醤油ダレのほうがいいな」
「夕飯までに出られればいいけどね…」
舌打ちをしそうになった。莇は雑談というものが得意でない。どちらかといえば黙っているほうが気持ちが楽だ。しかし九門は、沈黙することが苦手なはずだ。だから気を回して話そうとしたのだが、どうにもうまくいかない。いかに普段の話題提供を九門に頼っていたか思い知らされる。
「あのさ、莇…」
「…なんだよ」
「もしさ、このままここから出られなくて、オレたち脱水か、熱中症か何かで死んじゃったとするじゃん」
「おい、何言ってんだよ」
「『もしも』の話だよ。ってか、可能性ゼロじゃないじゃん。オレもしそうなるとしたら、死ぬ前に莇に言いたいことあるなぁ…」
「やめろって」
「なぁ莇。オレとこうやって、二人でいるの、嫌じゃない?」
電気の点かない倉庫の中でも、九門の黄色い瞳が不思議とよく見えた。
「嫌なわけねーだろ…」
「本当に? オレ、オレさ、莇のことずっと…」
九門の左手が、床に着いた莇の右手に重なった。体温にしては暑すぎる温度が伝わってきて、莇は混乱した。
「な、なんだよ…」
「オレ、莇が………」
そのときだった。
「坊! ここにいるか!」
「九門くん、莇くん! いたら返事して!」
外から、聞き慣れた声が聞こえた。莇はすぐさまドアに顔を近づけて叫んだ。
「いる! 九門もだ! 開かなくなっちまって!」
「あ?」
ガチャリ、と音がして、倉庫に光が差し込んだ。
「開いたが…」
「は⁉︎ なんでそんな簡単に…」
「ちょっと、二人とも顔真っ赤! 早く涼しいところに!」
左京に支えられながら、莇は茹だる頭で少し前の九門の様子を反芻していた。九門は何を言おうとしたのか。考えると心臓がバクバクうるさくて、余計に顔に熱が集まった。
「坊、大丈夫か? 本当に真っ赤だぞ」
「う、うるせ…ぇ…」
ふと九門のほうを見ると、俯いて耳を赤くしていた。熱中症ではない、ということがかろうじてわかった。
「おい、九門、さっき…」
「あー、急に頭が冷えて、その…忘れて…」
「頭が冷えた状態でもう一回言えよな。さっき言おうとしたこと」
「えっ、莇それって…」
──────────◆◇ おわり