ほんのりピンクのエゴイズム ◇◆──────────
チョコを、断った。
好きな人がいるから。理由は、正直に本当のことを言った。甘いものが苦手だから、と言い訳しようかとも考えたけれど、それではやっぱり不誠実だ。
オレのためにせっかく用意してくれたものを断るなんて初めてだった。二月だというのに背中と腋と額に汗をかいたし、心臓が異常なほどバクバクして、逃げ出したくなった。それでも、オレは一人ひとりに丁寧にお礼を言って、頭を下げて謝った。下駄箱に入れてくれた人のことも探して、直接返した。
泣きそうな顔をしている人もいたけれど、みんな「教えてくれてありがとう」と言って、綺麗にラッピングされたチョコを引き取ってくれた。
そんなわけで、今年は今朝カントクから貰ったチョコを除けば、ゼロ個。
校門に現れた莇は、行きには持っていなかった大きな紙袋を片手に提げていた。中身が何かは、聞かなくてもわかる。
「わり、待たせた」
「ううん! ホームルームおつかれ」
「……なんか、女子が担任にサプライズでチョコ渡してて、担任が感動して泣いて、そんで長引いた」
莇は紙袋を隠すように、反対の手に持ち替えた。わざわざ違う話をして、ばつが悪そうにしているのが伝わってくる。
「なにそれ! いいクラスすぎ!」
「その時間どういう顔してりゃいいのか、わかんなかったけどな」
オレはあはは、と笑ってみせた。しかし莇から次の言葉は出なかった。彼は元々自分から雑談をするのが得意なタイプではない。何を話そうか迷っているのがよくわかる。
「……結構貰った?」
「えっ」
「チョコ。その袋、中身全部『そう』だよね?」
触れないのはかえって不自然かと思って、あえて突っ込んでみた。すると莇は困った顔をした。
「真剣な顔して渡されると、なんか……断れねぇ」
「そっかぁ、『本命』かぁ。やっぱモテるんじゃん、莇」
「やめろよな。九門もその……貰ったんだろ」
「ひっ⁉︎」
まさか聞かれると思わなくて、思わず声が裏返った。
「オ、オレは今年はゼロ、だよ」
親指と人差し指でマルを作ってみせたけれど、莇は「嘘つけ」と言って、口をへの字にした。
「俺のクラスの奴が、九門にチョコ渡すって言ってた」
「あ、ああ〜」
確かに、オレにチョコを渡してくれた人の中には、同じ三年生ではない人もいた。思いがけないルートで莇にバレていたらしい。
「受け取れないって、言った」
正直に言うしかなかった。断った理由を聞かれたらどうしようかと焦ったが、莇はふーん、と言っただけで、そのまま無言になった。
何か別の話をしようかと、話題を探してみたけれど、こういうときに限っていつものような軽口が出てこない。街は赤とピンクと茶色に彩られて、歩いている人たちはみんなソワソワしながらもどこか幸せそうだというのに、オレたちは自分の足元を見つめながら歩いていた。
「俺も、そうすればよかった」
しばらく経ってから、莇がぼそりと言った。何のことなのか一瞬わからなくて、反応するのが数秒遅れてしまった。
「貰わなければ、ってこと?」
聞くと、莇は「そう」と言った。
「告……白、っぽいのは、断った。けど、チョコだけ貰うのって、かえって良くなかったような気がしてきた」
「優しいね、莇」
「どうなんだろうな」
はあ、とため息が聞こえる。莇の片手にぶら下がった紙袋の中身が、歩くたびにガサガサと音を立てている。
莇は優しい。こんなに沢山の「本命」をきちんと受け取って、持って帰るのだから。そう、莇は受け取ってくれる。
揺れる紙袋を見て、オレは少しずるいことを考えた。
「コンビニ、寄っていい?」
「ん、ああ」
コンビニの入り口には、チョコレートを使った新作スイーツの広告が貼られていたけれど、目当てはもちろんそれじゃない。オレがお菓子が並んでいる棚のほうへ歩いていくと、予想通り莇はオレの側から離れて、化粧品の棚を物色し始めた。
コンビニの入り口近くの化粧品コーナーには、コットンや綿棒だけでなく、ミニサイズのコスメが売られていることが多い。最近はコンビニ独自のブランドを立ち上げて、頻繁に新作アイテムが登場しているのだとか。他でもない莇本人から聞いたことだ。
こっそり覗くと、莇は小さなスティックを手に取り、自分の手の甲に塗っていた。オレはお菓子売り場からそっと戻った。
「リップ?」
わざといきなり手を置いたら、莇の肩がぴくりと揺れた。
「リップバーム。この色付きのやつ、ちょっと気になってた」
「へえ、買うの?」
「んー、先週デパコス買っちまったし、また今度だな」
「そっかぁ」
莇はサンプルのスティックを棚へと戻した。その白い手の甲の一部に、よく見ると淡いピンク色が残っている。これが莇の唇を彩ったら、さぞ綺麗だろう。
千四百八円。デパートに売っているチョコレートと、同じくらいの値段だ。
「九門、何か買うんじゃなかったのか」
「ポテチ買おうかと思ったけど、やっぱり肉まんにする! 莇は?」
「俺はいい。お前の一口もらう。外で待ってんな」
オレの返事を待たず、莇はポケットに手を突っ込んで出口へと歩いていった。
莇が背を向けている隙に、オレはレジへ急ぐ。肉まんは、いらない。
コンビニから出たオレを見た莇は怪訝な顔をした。
「は? 肉まんは?」
「嘘でした〜! はい、ハッピーバレンタイン!」
左手の拳を莇の前で開いてみせた。そこに収まるほど小さな箱。中にはつい先ほど莇が試していたリップバームが入っている。
「え、マジか。くれんの? なんで」
「だからぁ、バレンタイン!」
「……チョコじゃねーし」
「それはいっぱい入ってるじゃん、そこに」
「それは、まぁ」
莇は困ったような顔をしながらも、オレの手からリップを受け取った。
「今つけてみてよ」
「今? 俺が?」
「他に誰がいんの! お願い、絶対似合うし」
「はぁ……これちょっと持ってて」
ずっと莇の片手に握られていた紙袋の持ち手が、オレに預けられた。
爪でシールを剥がし、箱を開けると、中からころん、と小さな円柱が出てきた。莇は空き箱を鞄に仕舞い、代わりに小さな鏡を取り出す。そしてピンク色のリップを下唇にひと塗り、上唇にひと塗り。莇の目線は鏡の中に集中していて、オレの目が釘付けになっていることに気づかない。
「……意外と発色いいけど、強すぎなくていいかも。どう」
「似合ってる! 血色? もよく見えるね」
莇はピンク色の唇で微笑んだ。つやつやと光って、水あめのようだ。
「なんでお前が嬉しそうなんだよ」
嬉しいに決まっている。この紙袋の中の甘くて茶色い「本命」より先に、オレの贈った「本命」が莇の唇に触れたのだから。オレがニコニコしたままなにも言わないでいると、莇は「何だよ気持ち悪い」と悪態をついた。
「……でも、ありがとな。俺今月ピンチだから、ホワイトデーに何か返すわ」
嬉しそうではある。けれど、なんだかいまいち伝わってはいない気がする。まさか友チョコの代わり、だと思っているんだろうか。
「なぁ、莇。オレも、本命なんだけど」
元通り蓋をしたリップスティックを見つめている莇に、オレはついに言ってしまった。渡すまではオレの自己満足で十分だと思っていたのに、欲が出た。
莇は目を大きく見開いた。そして、眉尻が下がって、唇が開く。
返事の内容はあまり気にしていない。
だって、次に紡がれる言葉がどんな意味のものであろうと、その唇の色は、オレの贈った色なのだから。
──────────◆◇ おわり