朦朧ランデブー◇◆──────────
莇の身体が、ぐらり、と傾いた。
「お、おい! 大丈夫か⁉︎」
九門はすかさず、その身体を支える。
「は、はは…ありがとう…僕は大丈夫だよ、大丈夫…」
真夏の日中にもかかわらず、天鵞絨町の駅前で披露しているストリートアクトには、多くの観衆が集まっている。彼らは九門と莇の即興演技を息をのんで見つめた。
九門は活発な青年、莇は病弱な青年の役、ということしか決まっておらず、あとの設定は演技をしながら考えて、台詞を繋げていく。暑さのせいか莇の頬は普段より赤く、少し息切れしているようだが、それがかえって身体の弱い者が急激に運動をして疲労が出たときの様子に似ていて、劇のリアリティが増していた。
しかし九門は、あることに気づいていた。先ほど、倒れそうになる演技をした莇を支えたとき、その身体が異常に熱を発していたのだ。
(もしかして莇、具合が悪い…?)
演技だったのか、本当に倒れそうになったのか、九門のほうも暑さでいくらか頭の働きが鈍っていて、判断することができなかった。莇が体調を崩しているのなら、すぐにでもストリートアクトを中止しなければならないのだが。
『大丈夫ったってお前……もう顔が真っ赤だぜ。息も切れてる…今日中に行くのは無理だ。ほら、あそこに宿がある。今日はそこで休んでいこう』
台詞の中に、「この辺でやめにしよう」とメッセージを込めたつもりだったが、莇には届かなかった。
『いいや、できるだけ早く、早く行きたいんだ。母さんのところへ……。今この瞬間も、母さんは苦しんでいる。この薬を早く、届けなくちゃ…』
『おふくろさんが心配なのはわかる…けどよ、このままじゃお前が死んじまうよ! よし、わかった。お前は宿で休んでいろ、俺がその薬を届けに行ってやるから』
『…っ、それじゃ、意味が、ないんだ!』
台詞のキレが悪くなってきて、ああこれは本当に危ないやつかもしれない、と九門は悟った。莇の額からは次から次へと汗の雫が滲み出し、シャツの襟の中へ流れていく。瞳の焦点も合わなくなってきている。
しかし観衆はこんなに集まってしまっている。彼らはきっと、この劇がちゃんと結末を迎えることを期待している。九門は中途半端なところで劇を中止するか、最短で話がまとまる方向を探ってそちらへ進めるか、決めなければならない。
『う、うう…頭が、痛い……』
莇が灼熱のコンクリートに膝をついた。かろうじて台詞らしく言葉を紡いではいるが、本当にもう立っていられないのだとしたら、完全にまずい。
『お、おい! しっかりしろ! おい!』
『…う、うう…母さん……』
九門は莇の肩を支えた。これ以上は無理だ。しかし、莇はこんな状態になっても台詞を繋げている。せめて、彼の演劇への思いを無駄にせず、この劇を終わらせなければ。
『…くそっ、どうしても、今日中におふくろさんに会いに行きたいってんだな! よし、俺の背中に乗れ!』
『えっ…いいのかい? おま…君は、僕より背丈が小さいじゃないか』
『力はお前よりある!』
これは「設定」であり、実際には莇のほうが身長も体重も、力もある。しかしそんなことは言っていられない状況だ。九門は半ば強引に莇を背負った。
『しっかりつかまっていろよ。出発するからな』
『ありがとう…このお礼はいつか…』
『礼なんていらねぇ! 急ぐぞ』
返事がなかった。九門はぐったりとした莇を背負ったまま頭を下げた。
「ありがとうございました!!」
拍手が聞こえる。「リアルだったね」とか「このまま帰るのかな?」とか、観客たちの囁きも。しかし九門はもう彼らに構っている余裕などなかった。
莇を背負ったまま、寮へ向かって走り出す。
「莇、莇大丈夫⁉︎」
「うー、わりぃ…」
「気持ち悪い⁉︎ すぐ着くから、しっかり!」
「九門ん…」
「ごめん莇、中断したほうがよかったよね…無理させちゃったね」
「いい、いい…」
背中に莇の体温と汗が滲んでいく。九門は、莇の恋人であるにもかかわらず、莇とこんなに長い間密着したのは今日が初めてのことだった。できることなら、こんなシチュエーションでなくて、いつもの元気な莇に身体を預けられてみたかった。
首に熱い息がかかる。九門は泣きたくなった。こんなときなのに、莇が苦しんでいるのに、少しだけ胸が高鳴ってしまう自分の浅ましさが憎い。
走っているつもりなのに、足を運んでも運んでもなかなか寮に着かない。莇の身体は脱力してどんどん重くなっていく。
「莇、莇、ごめん…」
「………」
もう返事は聞こえなくて、荒い息遣いだけが発せられていた。
──────────◆◇ おわり