🍃🌹「朝早くからすみません。上の階の者なんですが、先ほどベランダに洗濯物を落としてしまったのでお伺いしました」
深夜までのコンビニバイト明けの目に朝日が眩しい。いや、眩しいのは朝日のせいだけではない。あくびを咬み殺しながら玄関を開けたら、そこにめちゃめちゃかわいい子が立っていた。
(まじか、オレの上の階に住んでるのこんなかわいい子だったのかよ。なんでクソダサいTシャツのまま寝ちゃったんだよ昨日のオレ……いや、この子もなかなか尖ったTシャツ着てるけど、なんで“Take it easy”……?)
「あの、すみませんが落としてしまったシャツを取っていただいてもいいでしょうか?」
「あ、あぁ!すぐ取ってきます!そこで待ってて!」
あんなかわいい子がこんなセキュリティガバガバの安い単身者向けマンションに住んでていいわけないだろ、なんで親はオートロック付きのマンション借りてやらなかったんだよ。そんなことを考えながら玄関から一直線にベランダに向かうと、一昨日から干しっぱなしの自分の洗濯物の上に白いシャツが一枚落ちていた。高校の制服のシャツだろうか、ボタンが安っぽくなくていかにもいいところの制服ってかんじだ。高校生で一人暮らしか、かわいくて偉すぎる。
「玄関で待たせてごめん!君が言ってたシャツってこれで合ってるか?」
「はい、ありがとうございます。お手数をおかけしてすみませんでした」
「いやいや!いいって!また何か困ったことがあったらいつでもチャイム鳴らしてくれていいから!」
コンビニバイトで厄介な客を相手にするうちに鍛えた笑顔に、どうか下心が滲んでいませんようにと思いながらひとつ上の階のかわいい子を見送る。玄関で対面した時はかわいすぎる顔にばっかり目がいっていたが、外廊下を歩く後ろ姿はオーバーサイズのTシャツから白い足がすらりと伸びていて、朝からすっかり元気になってしまいそうだ。何がとは言わないけれど。
(まじでかわいかったな〜〜かわいいしなんかこう、無防備でほっとけないっていうか)
またシャツ降ってこねぇかな、そんなことを考えながら干しっぱなしの洗濯物を取り込んで床に放り投げた。
「あっっっちぃ、むりだわ……」
コンビニバイトの日勤から帰ってきて熱気の篭った部屋で冷房を付けようとしたら、不穏な音がしてエアコンが壊れた。慌てて管理会社に電話をしたがエアコン修理が混み合っていて、修理会社が来るのは早くても明後日になると言われ、スマホをベッドに投げそうになる。2階の角部屋で日当たりが良くて大変快適な我が家だが、今はその日当たりの良さが恨めしい。あいにく扇風機は部屋になく、ベランダの引き戸を全開にして玄関のドアを少しだけ開けてみたが焼け石に水。生温い夏の夜の空気が流れるだけで全く汗が引く気配がない。
「夏こそ働き時だろ〜エアコン〜〜仕事しろ〜〜〜〜」
冷凍庫から取り出した保冷剤を頭に乗せながらベランダに出る。部屋の中よりはいくらかましだが、夜なのに聴こえてくる蝉の鳴き声に夏を感じさせられて、また背中にじわりと汗が滲んだ。
(ん?今なんか聴こえたか?)
蝉の鳴き声じゃない、人の声が聴こえた気がする。こんな熱帯夜に誰か部屋の窓を開けてるのだろうか。
「んぅ……、」
(は??いやいやいやこれってそういう声じゃないか!?)
誰だよ、窓開けたままヤってるやつ……勘弁してくれ。こっちはひとりベランダで汗を垂らしながら意味あるかわかんないのに保冷剤で頭冷やしてるっていうのに。
「もぅやだ、やめろっていってるだろ!しつこいんだよオマエは……っ!あ、ぁ……」
気付いてしまった、これあの子の声だわ。発生源は無常にも自分の部屋のひとつ上だった。
(あーーまじかよ、あんなかわいい顔して男連れ込んでるのか……)
これ以上聴いていてはいけない気がして、すごすごと熱の篭る室内に戻りベランダの引き戸を閉めた。どうかマンションの他の部屋のエアコンは壊れていませんように、この熱帯夜に窓を開けている変わり者が住んでいませんようにと願いながらベッドに横になる。何もない天井を見ているだけで階上の情事のことを想像してしまいそうになって、枕を思いっきり天井に向かって投げつけてやった。
コンビニは最高だ、涼しいから。
エアコンが壊れてから2日、修理会社はようやく明日来ることになり、一安心しつつ夜からコンビニバイトに出勤した。
「いらっしゃっせー」
納品されてきたパンを棚に陳列していると、アイスクリームの冷凍ケースの前に背の高い男が立ち止まった。背が高いだけじゃない、めちゃめちゃ顔がいい。無造作、というよりかなりくしゃくしゃな印象の長めの髪の毛は簡単に襟足のところで結ばれていて、アイスクリームを選ぶ真剣な顔は男の自分から見ても色気があって思わず凝視してしまった。
「あれ、もしかして店員さん、ひとつ下の部屋に住んでる人?」
「はい!?」
あまりにもこちらがガン見しすぎたのか、整いすぎた強烈な男前が急にこちらを見た。正面から見るイケメン心臓に悪い。
「知り合いに記憶力がいい奴がいるんすけど、前に会ったひとつ下の階に住んでいるっていう人にお兄さんの見た目がそっくりだなって思って」
人違いだったらすみません、と言ってそのイケメンがくしゃりと笑う。いや、ひとつ下の階に住んでいるって言ったか?
「えぇと、あの、このコンビニ出て右に真っ直ぐ行ったところにあって、一階が緑色のタイルの……」
「やっぱり!やっぱりあいつの記憶力間違いないな〜。俺こっちに帰ってきたばっかりで、あんまり引っ越しの時のマナーとか知らなくてすみません。今度蕎麦持って挨拶行きますんで!」
イケメンは目を細めて笑うが、オレは完全に混乱していた。え、ひとつ下の階?ひとつ上の階に住んでるのってこのイケメン?じゃああの子はなんだ、妹!?妹……じゃないよな、あんなことするってことはつまり……
(彼氏いたのかよ……いやお似合いすぎるわ、美少女とイケメン……)
ストロベリーとピスタチオの少し高いアイスクリームを買っていったイケメンをレジで見送る。今夜がバイトでよかった、そうじゃなかったらまた枕を天井に投げる羽目になっていたかもしれない。
コンビニバイトから上がり、デカくて安いわりにうまいプリンを買ってから帰路につく。マンションのエレベーターを待つ間も気分は明るい。なぜなら今朝ようやくエアコンが直り、設定温度21度でガンガンに部屋を冷やしてからバイトに出たからだ。
マンションの入り口のドアが開く音がしたので、住人に会釈でもしようかとそちらを見ると、うちのベランダにシャツを落としたかわいい子がそこにいた。今日はオーバーサイズのTシャツではなく、第一ボタンまで留めたポロシャツと細身のパンツで、華奢な体によく似合っていた。一瞬あの夜の例のあの声が頭をよぎってしまい、顔が直視できず視線を落とす。細くて白い両手にパンパンに膨らんだエコバックをぶら下げているのが目に入り、荷物を持とうかと声を掛けようとしたのだが、なにやら深刻そうな顔をしていたので喉まで出かかった声を引っ込めた。到着したエレベーターに先に乗るように促すと、すれ違いざまにエコバッグの中身がちらりと見える。おでこに貼るタイプの冷却シート、なるほど、イケメンが風邪をひいたな。
「3階っすよね」
2と3のボタンを点灯させて、プリンの入ったレジ袋をエコバッグにねじ込んだ。
「これ、意外とうまいんで持ってって。お大事にね!」
そう言って開いたドアから2階のエレベーターホールに降りると、大きな目を更に大きくして驚いたような表情でこちらを見るかわいい子と目が合った。オレの記憶力は普通だけど、さすがにこの数日はいろんなことが衝撃的すぎて忘れようがない。あと驚いた顔もかわいいな、ほんとマジで。
「ありがとう、ございます」
閉まるエレベーターのドアの隙間からおじぎをする赤い髪の毛が見え、階層表示が3になったのを見届けると、手ぶらになったオレは鍵を取り出して角部屋に向かう。プリンはなくても部屋は冷えてるしまぁいいか。今日は窓を全開にしていても聞いちゃいけない声は聴こえてこなさそうだなと思いながら、またいつか来るそんな夜のために、明日バイトに出勤したら高めのアイスクリームを追加発注することを決めた。ストロベリーとピスタチオを多めにしておくのが正解だ、きっと。