寝不足がたたってこの後すぐ落ちてしまうが、それは別のお話。「ご馳走様でしたー!」
「ご馳走様でしたっ!咲希、皿はシンクに持ってきてもらったらオレが洗うぞ?」
「本当?ありがとう、お兄ちゃん!それならアタシ、先にお風呂もらうね!」
「ああ。ゆっくり温まってくるといい」
オレの声に、はーい!と明るく元気な返事が返ってきたことに、思わず微笑みが漏れる。
自分も手早く終わらせて、脚本に手をつけねばなと、スポンジを手に取った。
最近行っている宣伝大使の仕事は順調で、お客さんもどんどん集まってきているらしい。
ワンダーランズ×ショウタイムとしてのショーも大盛況で、毎回長蛇の列ができたり
立ち見が出来たりするほどだ。
咲希も咲希で、Leo/needの活動は順調のようだ。
体調を崩すことも少なくなったし、大切な幼馴染と活動できる今が、とても幸せに写る。
オレも、咲希達に負けられないな。
そう思いながら手早く洗い物を終わらせて、部屋に戻る。
咲希がお風呂から出るまでに、脚本のあらすじは固めておきたい。
そう思いながらリビングを通ると、テーブルの上に一冊の本が置かれていた。
「……?咲希の置き忘れか?」
そう思いながら手に取り。
オレは、驚きと懐かしさで、目を見開いた。
それは、オレの恋の、ちょっと苦い記憶が残っているもの。
お菓子のレシピ本だった。
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類とは、最近付き合い始めた。
片思いの期間が長すぎて、というか成就しなくても一緒に居られるならとずっと思っていたのも相まって、全く思いを伝えてこなかったけれど、それは類も同じだったようで。
両片想いでもだもだとするオレ達に耐え切れなくなった寧々と、その他周りの多大なる助けにより。
暴露するような形で、オレ達は付き合った。
そこからは割とスムーズに進んでいる。
それなりに恋人らしいこともできているし、
一生できないと思っていた手繋ぎも、キスも。……や、ヤることも、やったり、した。
本当に、順調ともいえる状態だろう。
そんなオレだが、実は1つ。
片思いしている間にできなかった、心残りがある出来事があった。
それは、バレンタインのチョコ。
えむ達に便乗して友チョコとしてあげられるんじゃないかという期待と。
あげて変なふうに思われたらどうしよう、という不安。
類にあげた時の笑顔を想像して、レシピ本を手に取ったけれど。
それと同時に、突っぱねられた時の顔も想像してしまい。
結局レシピ本を読むだけで、チョコを作ることはなかった。
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「……懐かしいな」
レシピ本を手に取り、パラパラとめくる。
何度も読み返していたページ。……クッキーのページだけは、オレが何度も何度も開いて見ていたためか、すぐに開くことができた。
何度も見て、何度も作り方だけを暗証して。
それでも、行動に移せなかった。
そこまで考えて、首を振る。
結局は、過去の話だ。
……このレシピ本自体は、母さんのもので、オレたちは好きに見ていいと言われている。
大方、咲希が見ていたのだろう。
そう思いながらレシピ本を閉じると、ちょうど咲希がお風呂から出てきたところだった。
「お待たせ、お兄ちゃん!……あ、ごめんね!本出しっ放しにしちゃった」
「いや、問題ないぞ。咲希は何か作る予定なのか?」
「うん!ほなちゃんちでアップルパイを作る予定なんだ!……お兄ちゃんも、何か作るの?」
「……いや、見ていただけだ。渡す明確な理由がないのに渡されても、相手を困らせるだけかと思ってな」
そういうオレに、咲希は「うーん……」と首を傾げた。
「……?咲希?」
「理由……理由、かあ。それって、必要なのかな?」
「え……」
驚くオレに、咲希が続けた。
「確かに、男性側から渡すとしたら、今日なにかあったっけ?って思うかもしれない。
でも別に、理由がなくても、渡してもいいと思うの。もしどうしても理由が必要なら、
ちょっとした記念日とか、そんな感じで考えてもいいんじゃないかな?」
「……記念、日……」
「まあ、本当は。……渡したい人が、笑顔になってくれる。それだけで、十分だと私は思うの!」
「……!」
「だから、お兄ちゃんが渡したいのなら、作ってみてもいいと思うよ!」
笑顔で言う咲希に、背中を押されたような気持ちになる。
「……ああ、そうしてみるか」
「!!」
「ありがとう、咲希。材料とか色々、考えてみたいと思う」
「うん!アタシもいつでも手助けするからね!」
「ああ!」
咲希の、そんな温かい笑顔に押されるような形で。
オレは、かつて作れなかったバレンタインチョコを、作ることとなった。
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ぜえ、はあ、と息を切らすオレに、クラスの奴が声をかけてきた。
「よお司!遅刻ぎりぎりなんて珍しいな?」
「ぜえ、ぜえ……。ちょっと、寝坊してな……」
「へえ、珍しいな。ま、間に合ってよかったな!」
そういいながら席に戻る背中を見送って、ぽつりと呟く。
「……なんにも、よくはないのだがな」
言いながら、口から漏れる欠伸を噛み殺して、そっとカバンを撫でる。
そこには、……タッパーに雑に入れられた。
くっついていびつな形になった、焦げたクッキーがひっそりと佇んでいた。
あれから、作り方を改めて予習して、材料も買いに出かけて。
ただ、咲希とオレの予定が噛み合わず、結局クッキーはオレ1人で作ることになった。
(咲希は最後の最後まで「手伝えなくてごめんね…!」と言っていた。オレは良い妹を持ったものだ。)
多少失敗してもいいようにと、それなりに材料は買ったつもりだったのだが。
綺麗な円形にしようとしても、スライムのようにうねってまあるくなってくれない。
綺麗な焼き目を目指しているのに、生焼けか焦げ茶色。ひどい時は黒に近い時もあった。
そんな失敗を繰り返し。
結局、材料が全部なくなるまで、作り続けてしまった。
……1つも、成功したものは、ない状態で。
失敗の原因を探って、もう少し頑張ってみるか。
それとも、材料を買い足して、もう一度作ってみるか。
調理に加え、そんなことを悶々と考えていた結果、気づいたら時計の短針はてっぺんをゆうに過ぎており。
慌てて布団に潜ったが、結局寝坊してしまった。
まあ、普段10時には布団に入っているのだから、寝坊してしまっても、その後眠気がとれなくても、仕方ないものだとは思っているけれども。
正直なところ、人生初の挫折が、お菓子作りになるとは思わなかった。
本当は、様々な役を経験して、それでもできなくて……なんてドラマを考えていたくらいだったのだ。
我ながら、本当に情けない。
とりあえず失敗作は、無駄にはしたくないので、
朝やお昼にでも食べてしまおうとタッパーに詰め込んで、持ってきた。
朝ごはん用に、類がよく食べて(飲んで?)いる、10秒チャージなるものは用意していたけれど、とりあえず1枚食べてしまおうか。
そう思いながら鞄に手を伸ばすと、ふいにスマホが震えた。
「?誰から………っ!」
スマホの通知の宛名を見て。
今日これを持ってきていたことを、激しく後悔した。
『司くん、今日は遅刻ギリギリだったんだって?珍しいね。』
『本当は、朝に演出の件に関して話したかったんだ。お昼休みは空いてるかい?』
「…………るい」
そうだった。
学校なのだから、類と顔を合わせる。
お昼休みに空いているかどうかを聞かれるということは……
十中八九、お昼を食べながら脚本や演出の相談、といったところだろう。
だがしかし。
お昼、ということは、ご飯代わりに消費しようとした、失敗作クッキーを見られる、ということになってしまう。
それだけは、避けたい。
『司くん?』
送られてきたメッセージに、ハッとなる。
既読を付けたまま、返信をしていなかった。
『すまん。読んでから声をかけられていてな。返信遅くなってすまない』
『それと、お昼なんだが。すまんが先約がいるから、今日は無理なんだ。重ね重ねすまない』
迷いながらも、ぽちぽちと打ち込んで、送信する。
「気にしないで」という類からの返事を横目に、いそいそと授業の準備をしながら、ため息をつく。
(情けないな……。類に合わせる、顔がない)
正直なところ、類と顔を話したら、なんなら目を合わせでもしてしまうだけでも泣きそうな気持ちになるのだ。
だがしかし、類と顔を合わせないのは、実はとても難しいことだったりする。
お昼休みもそうだが、授業の合間なんかでも、類は声をかけに来るのだ。
(勿論オレからも声をかけたりするが)
(とにもかくにも、逃げないとだな)
お昼休みが使えないとなると、類は確実に授業の合間の時間に確実にやってくる。
それを、どうにかして避けなければ。
かくして、オレによる「類から逃げよう大作戦」の幕が上がったのであった。
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最初の休み時間は、お手洗いに駆け込んだ。
次の休み時間は、自ら先生の手伝いを申し込み、提出物の運び出しをすることで逃げ出した。
そして、お昼休み。
既に連絡しているし、問題ないだろう。
そう思っていたオレが、甘かった。
「待ってよ、司くん!」
「すまないが待たん!!!!!!!」
ここまでくると、あの連絡が嘘で、オレが類を避けていると、気づいたのだろう。
お昼休みが始まった途端現れた類によって、校舎全体を使った鬼ごっこが始まった。
面白半分に見る人。
呆れてため息をつく人。
逃げるオレや追いかける類を応援する人。
そして、また何かしら問題を起こしたのだと勘違いした先生まで。
沢山の声を受けながら、逃げて逃げて、逃げ続けて。
「……ぜえ、ぜえ…………ここなら、わからないだろう……」
オレはどうにか、物陰に隠れて、セカイに逃げ出すことに成功した。
ぜえ、はあ。と息をしながら。
もし類が此方に来ても大丈夫なように、木陰に隠れる。
深呼吸して息を整えてから、そっとタッパーを取り出し、蓋を開ける。
逃げ回っていたのも相まって、ただでさえスライムの異様な形になっていたクッキーは、表面がボロボロになっていた。
1つを手に取り、そっと口に運ぶ。
じわじわと感じる苦さに、思わず眉間に皺がよる。
苦いだけじゃない。
何を失敗したのか知らないが、ざらざらとした食感がする。
ココアパウダーしか入れていないクッキーのはずなのに。
おまけにやたらと固い。おせんべいのようだ。
そんな、どこをどうとっても、まごう事なき失敗作を、1つ、また1つと、口に運ぶ。
……本当は。
失敗したことも、悔しいけれど。
始めての挫折を経験したことも、悲しいけれど。
それ以上に。
そのクッキーが、自分のように思えて。
どうしても、捨てることができなかった。
普通のクッキーと違って、形も歪で、味も苦くて、食感も悪くて。
まるで、普通の男女の恋愛じゃなく。
同性の類に恋をした、オレみたいだと、思ってしまったのだ。
もしかしたら、自覚はなかったけれど。
クッキーを作ったのも、同じ理由だったのかもしれない。
「普通」の枠組みじゃないけれど、「同じ」ように。
類と、漫画のような駆け引きが、したかったのかもしれない。
類に恋をしたのも、付き合っていることも、何も後悔はない。
ただただ、オレが変に期待して、そして自分から挫折しただけなのだ。
だから。
この、目から流れて止まらないこれも。
オレが変な期待をしてしまった結果なのだ。
目元を拭い、また1枚、クッキーを手に取る。
味が悪くてしんどくても、全部食べなければ。
一息ついて、口に運ぶ。
その手を、がっしりと掴まれた。
「………………え」
驚くオレをそのままに、クッキーを持つ手が引っ張られて。
掴んだ手の主。…………類の口へ、運ばれていった。
顔をしかめたままもぐもぐと咀嚼し、更にもう一枚食べようとする類を見て、オレは漸く我に帰った。
「…………はっ!?ち、ちょっと待て類!これ不味いだろう!?もう食べなくても、」
「嫌だ」
「は!?」
「司くんが、そんな風に泣いてまで食べようとしているんだ。嫌いなものとも思えない。つまり、これは司くんが作ったものなんじゃないかい?」
「……っ!!」
「……図星のようだね。今日の朝から僕を避けて、隠れてそれを食べていたということは……。それ、僕へのものなんじゃないかい?」
類の的確な指摘や推理に、オレは思わず俯いた。
まさか、そこまでバレているなんて。
「……そう、だが。だからこそ、類は食べないほうがいいだろう。こんな失敗作、」
「確かに、失敗作かもしれないけどね」
食い入るように、類が口を開く。
訴えるようなその声に思わず類の方に顔を向けると、類はニコリと笑った。
「他でもない、僕の大切な恋人である、司くんが作ったものなんだから。どんなものであれ、僕は食べたいよ」
「…………っ」
「それに、これってちょっとだけ僕らっぽいかもなあって思っててね?」
「……どこ、がだ」
泣くのを答えながら聞くと、類は悪戯そうに笑いながら、言った。
「形は歪で、苦くて、食感も独特。まるで、僕らの恋みたい。」
「っ、」
「でも、」
「そんなものでも、あまーいハッピーエンドにしてしまう。それが、僕ららしいと思わないかい?」
その言葉に、オレの目から、また涙が溢れる。
類はそれを手で拭うと、口にクッキーを入れ、直様キスを交わしてきた。
舌を絡められ、吸われ。砕かれたクッキーが、口の中を行ったり来たりする。
焦げて、苦いはずのクッキーが、甘く感じるほどに、舌を絡ませあって。
漸く離してもらえた頃には、息も絶え絶えだった。
「おや?……ふふ、がっつきすぎちゃたね?」
「ほ、んとう、だ……ばか……」
「でも、これなら美味しくなっただろう?」
「………………」
ちょっと認めたくなくて、顔を背ける。
そんなオレの目の前で、また一枚、クッキーを手に取った。
「ね、司くん。また、美味しく食べないかい?」
「…………るいの、ばか」
そう言いながらも、そっと類の方に寄っていくオレに、類も満足げな顔をする。
その顔を早く歪ませたくて、そっと類のそれに唇を寄せた。