形のない猫のしっぽ 此処は何処だろう。真っ白で何もない。リッパーは以前を思い出そうと、気付けば歩んでいた足を止めた。
昼飯を食べ、ゲームをし、夕食を食べ……思い出せない。何か大切なものを忘れている。このぽっかりとした感覚にこれが夢だと気が付いた。夢はいつだって何かが足りない不完全な世界だ。
歩き始めればあたりがふわりと弾んでパステルカラフルに染まる。
ああ、実に夢らしい景色だ。
「楽しそうだな」
パッと青色が躍り出た。空に浮いているのは猫耳を生やしたつり目の男。知っている。これは、何処かで見た時の。
「……ナワーブ?」
「お前は恋人の区別もつかないのか?ばーか」
「ばっ……!なんです、貴方そういう衣装持っていたでしょう」
「違うって。俺はあんたの恋人なんかじゃねーの。エセ紳士のリッパーさん。俺はしがない猫ちゃんさ」
どれほど似ていても、彼は確かにナワーブではなかった。あの言葉遣いと小悪魔のような目つき。恋人を名前で呼びもしない。
「お、面白そうなの持ってんじゃん」
「は…?」
「ほら、お前の右手。それ、猫のしっぽ?」
彼の視線につられて目を落とせば、確かに青色のしっぽを持っている。ちょうどこの男に生えているような。
「あれ?ナイフだったかな」
その一言にまた手元を見ればしっぽは鞘に入ったナイフに変わる。リッパーは目を見張った。
「あ、グリルチキンかも」
また物体は姿を変えて皿に乗った香ばしいチキンへ。それを見て猫は機嫌が良さそうに空中に漂う。
手のひらで転がされている気分だ。コイツは魔法使いか何かか。いや確かチェシャ猫だ。にやにや笑って惑わせる迷惑な猫。
「揶揄うのはやめろ」
「そんなんしてねーよ。それにしてもこんな森までよく来たね。…あはっ、ほんと面白い」
吹く風に身構えた次の瞬間には緑がゆれる。彼の言う通り森の中に立っていた。物語そのままの森だ。リッパーがまただ、と舌打ちするのを見ると、猫は笑みを消して呆れるように溜息を吐く。
「はーあ、それより何か悩んでるんじゃねぇの?」
「はぁ…?」
「ほら、思い出せるだろ。此処に来る前何してた?」
急に態度を正してリッパーに問いかけた。
何って、思い出せない。食べてゲームして食べて……思い出した。ナワーブに会った。恋人に会って、彼は日頃の礼だとはにかみながら箱を渡してきた。そそくさと帰る彼を引き留められず自室で開ければ、中には青薔薇の杖。
「で?何悩んでるんだっけ?」
そうして、自分も何か贈りたいと思ってカタログを開いた。しかし何がいいか分からなくて、結局そのまま寝てしまった…気がする。
私の、悩み事は。
「彼へのプレゼントを決め倦ねている」
どうしても分からないから。恋人の様子を思い浮かべても、言動を思い返しても、必要としているものはさっぱりだった。
「何なら彼を喜ばせることができるのか…全く検討がつかない。その口ぶりでは手助けしてくれるのでしょう?」
「…なぁ、どうしてそんなに臆病なんだ?普段の唯我独尊さは?ゲームでの驕り高ぶった態度はどうした?この点に関してはあっちの方がマシだ」
「私が臆病だと?街を恐怖に陥れたこの私が?」
「幾ら大切だからって、彼の気持ちを履き違えているんじゃないか?」
「何を!!」
散々の言われように自称紳士のリッパーはその態度を大きく崩しそうになる。
「実はな、此処は湖の畔なんだよ」
「やめろと言っているだろう!!」
彼の一言でまた景色が変わる。ふわふわと目の前に浮きながら意味不明な言動でおちょくる彼にリッパーは声を荒げた。
一体何なんだ。
「本当は分かってるんだろう?1番大切なことを。じゃなきゃ俺は此処にいない。大丈夫。あと少し、ほんのちょっとの後押しが欲しかっただけ。そうだろ?」
猫はベッドに寝そべるようにくつろいだ姿勢で、此方を指差し口端を上げて笑う。全てを知っているかのような態度だ。そうして目の前でゆらゆらと尻尾を揺らされたって、彼の言いたい事など分かりやしない。
「お前は、薔薇杖だから嬉しかったのか?」
その言葉に頭がさぁ、と冷える。
「彼に贈りたいのは何だ?」
その言葉を聞き終えぬ内に、右手にある物体が変化する。カタログで見たものに次々と変化し、心を決めれば到頭しっかりと形を成した。
顔を上げると猫目の彼が笑っていた。消えろ、といえばその通りに消え去った。目の前の湖に舌打ちをすると、本のページを捲るようにリッパーの自室が現れる。その中央にあるお気に入りのソファーで足を組み、この夢が覚めるのを待った。
リッパーはナワーブを自室に呼び出した。きょとんと首を傾げる恋人へ、綺麗に包装された箱を差し出す。普段ならすぐに開封を促して中身を気に入ったか訊くけれど、今日は注目を彼の顔へ向けた。
恋人は箱の中身も見ずにそれを胸元に抱き込む。そうして此方を見上げてから、心底嬉しそうに破顔した。