蜜の檻、毒の床蜜の檻、毒の床
薄暗くて不気味で寒気がする。そんな罪の森へハチドリは最近知り合ったヒマワリに連れられて来ていた。面白いものがあると聞いたハチは好奇心から付いてきたが、ヒマワリは長い足を使ってターザンロープを渡って手本を見せるものの種として足が弱くずっと飛んでいるハチは腕で精一杯に捕まって翼で補助するのがやっとだった。ブランコだって地面を蹴る力が無くてぎこちなく揺れるだけ。
それでもハチは充分に楽しかった。それなのにいつも優しいヒマワリは酷い事を言った。
「ハチドリ、そんなに貧弱な身体では貴方ひとりでは生きてはいけないでしょう」
「なんだって?俺は今までひとりで生きてきた。自慢の翼もあるなんでそんな事を言うんだ」
ハチドリは小さな身体でヒマワリの横を飛びながらそう言い返した。
「本当にこれからもひとりで生きていけると思っているのですか?」
「もちろんだ」
優しいヒマワリは心配してくれているのだろう。でもハチはもう大人だ。素敵なメスを見つけて番うのもそろそろだろう。
ヒマワリはハチの返答にそうですか、と答えて進み始める。暫くして辿り着いたのは緑色の液体が広がった場所だった。
「なんだ、これ」
「川ですよ」
川?こんな色の川は見たことがない。それに甘いような酸っぱいような、変な匂いがする。ぼこぼこと泡ができては弾けて消えるのが見える。
「ほら、入ってごらん」
「……こ、こわい」
「水浴びすれば気持ちがいいだろう」
ハチドリはヒマワリの言葉に勧められておずおずと水面ギリギリまで降りた。そこからゆっくりと川に足を浸け、川底に尻を下ろす。冷たい。小さいハチが座っても水位が胸元までもない。想像以上の浅さにヒマワリを見れば彼は微笑んでいた。
「少しそこで待っていてください」
ヒマワリはそう言うと緑の川に背を向けてどんどん小さくなり到頭見えなくなる。ハチドリは大人しく彼の言葉に従って待っていた。
「…っ、?」
程なくして、足先に違和感を感じた。痺れているような、霜焼けで感覚が遠のく時のような。それがどんどん足を上がってくる。この川は毒の川だった。
この場所から離れたい。
足の悪いハチドリは飛んで川から抜け出そうと小さくも自慢の翼を広げた。
「ぇ………?」
何も起きない。水泡が暫く留まるほどの粘度を持った緑の液体は羽根と羽根の間に絡み込んでハチドリの飛翔力を失わせていた。
「ひま、わり…ッ、こわ、い、」
そのうち川に浸かっている手先も麻痺して、腰にさえ力が入らなくなった。
身体の軸が取れない。
ゆら、と身体が傾いて顔が水面に近付く。必死に翼を動かすのに身体はちっとも浮かび上がらない。身体が冷えていく。そのうち翼さえ動かせなくなって、頬が緑の川につく。ゆっくり沈んでいく。こぽこぽ、自分の口から空気が逃げる音がした。
「ほら言ったでしょう。貴方ひとりでは生きていけない」
「っ、げほ、げほ、」
ハチドリは沈み切る既の所で見計らったように戻ってきたヒマワリに引き上げられた。毒を吸った身体は力が入らずなされるがままに抱かれている。
「っひ、あ、こわ、こわか、た、」
「ああ、こんなに冷えて可哀想に」
ヒマワリは優しいので緑色に包まれて震えるハチを抱きしめた。そのまま歩いて、灯りの為に点けられていた炎の前で止まった。炎はぱちぱちと音を立てて燃えている。ハチは力のない身体でヒマワリに身を寄せる。
「ほ、ほのお、っや、」
「乾かしているんですよ」
ヒマワリは炎に一歩近づく。ハチは身を強ばらせた。燃えてしまう。
「あっ、あつい、やだ、や!」
「イヤじゃない」
ヒマワリが優しくない。大きな手でハチの翼を広げると炎に翳す。燃えてしまう。薄い羽根にギラギラと光を反射するのが怖い。あつい。少しずつ取り戻した力で翼を引き戻そうにもヒマワリの力には敵わない。ヒマワリは嫌がってもがくハチドリをじっと見ていた。身体をひっくり返されて反対の羽も火に近付けられる。こわくてこわくて目を瞑っていた。
「疲れたでしょう。ほら、私の蜜をどうぞ吸って」
ヒマワリは湿り気程度になったハチを丸太で組まれた手すりのようなものに座らせると、少し身を屈めて帽子のひまわりを差し出した。ハチはそれに口付けた。ヒマワリは優しい。
「またあんなことが起きたら?怖かったでしょう。私が来なければ死んでしまったかもしれない。貴方は私と生きるべきだ。私と一緒にいましょう」
「うん、うん。そうだな。ヒマワリと一緒にいる」
ふたりだけの薄暗い森。冷たい指先。震える身体。隣り合う体温だけが頼もしくて濡れた身を振って約束をする。
何も悪いことなんてない。ヒマワリの蜜は美味しくて、こんなにも優しいのだから。