ゲドウ⑰アジトを追われたイーガ団は、始まりの台地付近の穴蔵を仮の拠点としていたが、大空間のない洞窟では備蓄できる量も限りがあり、物資不足が深刻になるのは時間の問題だった。
次の拠点として白羽の矢を立てたのは、シーカー族が暮らすカカリコ村である。潜入させていた構成員を使って村に次々と魔物を呼び込み、その土地を明け渡すよう要求した。
連絡を受けたハイラル側は、付近で別の任務に当たっていた神獣ルーダニアに応援を要請。城に待機していたリンクも呼び出された。
カースガノンが現れて以来、メドーだけではなくすべての神獣が、繰り手ではない人間の搭乗を許すようになっていた。
スッパは村を守るために現れたヴァ・ルーダニアを見上げた。
スッパにとって神獣というものを間近で見るのは初めてのことだ。
過去の人類が造り出したとは到底信じられないような、荘厳さを感じさせる機体。
このようなものを同じく操っているというリトの姿を否応なしに連想した。
鮮烈に思い出すのは、勝手に人の腹の上に乗ってきて舌舐めずりをする淫らな姿。優しくすると嫌がるので、お望み通り心無いよう振る舞いつつも、壊さぬよう細心の注意を払って抱いていた温かな身体。
激情を秘めた強い瞳、満たされることのない飢えた心、誰よりも他人を求めているくせに誰のことも受け入れようとしない強情さ。
あまりにも若く、眩しい程に美しかった。
手を伸ばそうとすればいつでも触れるところにいたというのに、いつの間にか途方もなく遠いところに行ってしまった。
スッパの前にリンクが現れた。
ルーダニアから飛び降りてきたリンクのマスターソードが背後から振り下ろされ、剣同士がぶつかる鈍い音が鳴り響く。
「久々だな、健在だったとは。黒いリトはどうしてる?」
リンクは攻撃の手を緩めず叫んだ。それを聞いて、スッパはハッ、と気の抜けたような笑い声を零す。
「そんな者は初めからいなかった」
「仲間に対してそれはないだろ」
リンクは苛立ったように言うと、刀身が欠ける危険も顧みず荒々しく一撃を叩きつけた。
腕ごと刀を上に弾かれ、空いた脇腹に間髪入れず身体を滑り込ませてくる。
「貴様に何がわかる…」
スッパは忌々しそうに呟くと、咄嗟に取り出した札を使ってリンクから距離を取った。
捉えきれず、マスターソードは地面に振り下ろされた。
リンクはその体勢のまま、土を抉った切っ先に注目している。
おかしな様子にその視線の先を見ると、スッパはさっきまで自分がいた場所にキラリと光る小さなものが落ちていることに気付いた。
気をそがれているリンクに向かい、地面を強く蹴って二刀を振り捌いた。
リンクが後ろに飛んで衝撃を避けるうちに、スッパはそれを拾い上げ握り込む。
見慣れた翡翠の髪留め。リンクはそれが誰のものか気付いたらしい。
「なぜそれを持っている?答えろ!」
スッパは少し考え、怒りに駆られた騎士の姿を珍しいものを見るように見た。
リーバルは今やハイラルのもの。だが、元々はイーガ団のものだったのだ。
スッパは指先で摘んだ髪留めに口許を寄せた。これはリーバルと自分を繋ぐ唯一の依代。
スッパの子供じみた闘争心が、リンクの疑念を確信に変える。
「これの持ち主はどうしている?」
リンクはギリリと唇を噛み、黙り込んだまま猛攻を仕掛けた。精度を捨て、一撃の重さに振り切ったらしくもない剣さばき。動揺しているのは明らかだ。だが、一度でも受けきれなければ確実に命はない。
「フン…」
スッパは再びリンクから距離をとると髪留めを上に放り投げた。落ちてきたそれをしっかりと握りこみ、逆の手で印を結ぶ。同時に沸き起こった煙と共に、スッパの姿はリンクの前から掻き消えた。
***
テバがリーバルの抜け羽根をくるくると指で回している。
二人で神獣に乗り込んで技を見せた時に抜け落ちた羽根だ。
討伐任務を請け負った二人はハイラル城の渡り廊下で兵士達が集まるのを待っていた。
「どうする気なんだい、その羽根」
リーバルが尋ねると、テバは機嫌が良さそうに答えた。
「決まってるじゃないですか。 帰ったら妻と息子に自慢するんですよ、リーバルトルネードをこの目で見ただけじゃなく、更に進化する瞬間に立ち会ったって」
「フン。100年後には化石になってるんじゃない?」
リーバルは呆れたように手を広げつつも、嘴の端は満更でもなさそうに少し上がっている。
近頃リーバルは、テバに付き添ってリトの村に頻繁に帰るようになった。
討伐に行きたいがために自ら城に常駐していた時期もあったが、今城に来るのはあえて任務に指名された時だけだ。
いつの間にか確かな信頼関係を築いたらしい二人の様子を、討伐に参加しないリンクは複雑な思いで眺めていた。
自分とリーバルの関係について考える。
顔を合わせればリーバルは今でも好戦的な態度。出会った頃から変わらない。
心が近付いたと思う瞬間は何度かあった。
だが、それはリンクの人付き合いの経験の少なさから生まれた空想だったのか、連れない態度は崩れない。
変わったのは自分だけだ。彼の柔らかな濡れた髪がリンクの手に絡みついたように、リーバルの一言一句、挙動の一つ一つがリンクの心に絡みつき、感情を、理性を掻き乱す。
だが、とリンクは逸る思考にブレーキをかけた。リーバルは本当に信用に値する人物だろうか。
一時紛失したという髪留めを持っていた、イーガ団の大男。
アッカレの塔で戦闘になった後、リーバルの様子がおかしかった。あの時繋がりができたのだとしたら。
誰に教わったのか分からない小刀。
それを自在に使いこなす黒いリト。
リーバルが横を向いた拍子に、自由に遊ばせた三つ編みの毛先がテバの肩に触れた。
たったそれだけで、リーバルに対して苛立ちに似た激しい感情が立ち上る。
カカリコ村でイーガ団と交戦した時も、自分を律することができていたか怪しかった。
このままでは、そのうち取り返しのつかないようなことをする気がする。
怒りというものは騎士として最初に克服すべき感情だ。なぜ今になって。自らの騎士としての半生が失われていくような感覚。
解き放ったのはリーバルだ。彼はそれを呪いだといった。責任転嫁だとは分かっている。だが、あの甘い囀りがパンドラの箱を開けさせた。
リンクは考えることをやめ、午後は暇を取ろうと踵を返した。向かうのは飛行訓練場だ。一旦自分の心を取り戻す必要がある。