秘密のジャックと黒猫と カボチャを三つ抱えて戻れば、細すぎるシルエットをマントで隠したジャック・オ・ランタンがおどろおどろしげに出迎えてくれたので、とりあえずスルーして台所へと向かった。見送られた時はミイラ男だったはずなのにいつのまに着替えたんだろう。
「何着用意したんですか?」
「基本4着に早着替えバリエーションが2枚、あとアンコール用のTシャツ」
「アイドルのコンサートですか。だいたいアンコールってなんですかアンコールって」
構って欲しそうに横をついてくるからため息をつきつつ尋ねれば、動かないはずのカボチャの面がドヤ顔に変わったように見えて若干イラッとした。
フル稼働してるオーブンレンジの熱気がこもって、十月の末だというのに台所はどこか生温い。エコバッグからカボチャと砂糖と生クリームを取り出してふと隣を見れば、そこには吸血鬼姿の先生がにやにやと笑っていた。
「!?」
ぎょっとした顔に満足したのか、全力で得意顔の先生に悔しさをおぼえる。ふざけたカボチャの面の下には既に牙がスタンバイしていて、マントは裏表でデザインが変わる仕掛けか。早着替えがあると聞いていたのに。
「どうだ! びっくりした? びっくりしたよな?」
「……いたずらしたってことは、お菓子はいらないんですね?」
厳密にはまだお菓子になっていないし、だいたいこれをお菓子にするのは先生なのだけど。
カボチャを持ち上げてすっと距離を取れば、悪かった、それがねえとガキどもになにされっかわかんねぇんだよ、とすぐ下手に出るものだから、気を削がれてしまう。
「ありがとなクロ。重かったろ?」
「いえ、別に」
嵩張っただけで重さは大したことはない。ただ、エコバッグの持ち手の部分が少し引き伸びたような気はして、いつ壊れるかの緊張感はあったけど。
先生が昨日から準備していたお菓子は思わぬ来客続きで午前中にあらかた捌けてしまって、夕方集団でやってくるだろう子供たちの分はとてもとても足りそうにない。最初は夕方にお菓子だけもらいに来い、と言われていたけれど、朝から顔を出していてよかった。
「手伝いますよ」
「んじゃカボチャ割って種とワタ取り頼む」
「割れば良いんですね?」
「……包丁使えよ?」
手を洗って戻ってくる間に吸血鬼からいつものエプロン姿に更に変身していた先生は、僕にカボチャを任せると、ボウルに卵を割り入れた。以前はおでこで割っていたけれど、最近は平たいところで割るようになった。きっと他にも、以前とはやり方を変えたことがあるんだろう。僕のために。僕がいるから。
「ん、どした?」
「いえ」
「包丁持ってる時に余所見すんなよ?」
先生の手を凝視していたのに気づかれて、慌てて視線を自分の手元に戻した。
オーブンレンジが仕事をしてくれてる間に先生が僕に渡してきたのは、黒猫の着ぐるみだった。いろいろと不服なのだが、どうやら夜なべしてこれを縫ったらしい先生の残念そうな顔を見てしまったら、着ないわけにいかない。渋々着替えていると、仮装は身を守るためなんだかんな、と台所から声がした。
「人間のガキだってバレたら、変なのが連れて行こうとしちまうんだよ」
身を守るために、正体を隠す。本名は知られない方がいい。出会ってすぐの頃、僕に「クロ」なんて呼び名をつけた時に、先生が言っていたことを思い出す。
先生の本当の名前を、僕は知らない。
先生が何から身を守ろうとしているのかも、僕はまだ教えてもらっていない。
「着替えたら冷蔵庫にクロの分のおやつ入ってっから、食っていーぞ」
「ありがとうございます。……ラムネ先生」
「ん? 改めてどうした?」
僕が知っているのは、ここまでだ。
いつか。僕が先生の隣に並び立てるようになったら、知ることができるんだろうか。
黒猫の絵がチョコペンで描かれたカボチャのプリンを口に運びながら、まだ手の届かないその背中を見つめた。