ダズンローズをきみに(じょーさや)話したいことがあるから時間をとってくれないかと譲二に声をかけられたのは、週末金曜日のことだった。
長年の友人とはいえ、あらためて場を設けることを乞われると何事かと緊張するものである。待ち合わせ場所である庁舎の一角、いつも閑散としている自販機の傍にドギマギしつつ足を運ぶと、そこにいたのは譲二だけではなかった。
「あれ? 三好ちゃんもジョージに呼び出し受けたの?」
茶化した物言いに三好は「いえ、まあ」と煮え切らない返事をする。
不思議に思って目を瞬かせると譲二に呼ばれた。軽薄な言い方を窘められるのだろうかと思ったが、対する譲二はいささか緊張した面持ちだった。
――えっ、おまえ、このまま本題に突入するのか!?
長谷部が覚悟を決める前に譲二が切り出してしまった。
「実は、結婚することになった」
は?
一瞬、本当に時が止まったと思う。
唖然とする長谷部を置き去りに、譲二は話を続けた。
「長谷部には何かと世話をかけた……いや、面倒をかけたからな。前もって伝えておきたかったんだ」
「ちち、ちょっと、待て!」
諸手を上げて話を止める。
なんだか感動的な雰囲気が流れかけていた気がするけど後回しだ。
「なんだ?」
首を傾げられるけど、そうしたいのはこっちの方である。ひとつずつ確認していくことにした。
「誰が結婚するって?」
「俺が結婚する」
「ジョージが、誰と?」
ごくりと唾を飲む音がやけに大きく響く。
尋ねながらも答えはわかっていた。わかっているけど確かめずにはいられない。正直まさかと思う。
この場にいるのは三人きりなのだから、つまり、譲二の結婚相手は。
「三好さんと結婚する」
「はい、結婚します」
譲二に続いて三好も頷く。ふたりとも微笑むこともせずに真顔なのが怖かった。
「えっと……」
言葉に詰まったのは数秒だったのか、たっぷり一分間だったのか、体感時間の狂った長谷部には判断できなかった。が、どうにか絞り出して祝辞を述べる。ふたりがそれぞれ礼を返した。
いや、それにつけても、譲二が結婚するとは。それも、三好と。
え、本当に? 譲二が三好と結婚する?
「あの、俺が知らなかっただけで、ふたりってつきあってたの?」
念のため確認すると、ふたりそろって否やの答えがあった。
(だよねー、俺だけ知らないかと思った、よかったー)
これでも人並みには人間の機微やら恋愛事情には聡い自負がある。自分ひとりだけ気づいていないとかでなくてよかった。
いや、よかったのか? よくなくないか?
未だ困惑している長谷部には構わず(あるいは気がついていないのかもしれない)譲二はホッと表情を緩めていた。
「今日はわざわざすまん……ありがとう」
あらためて礼を言い帰ろうと促され、庁舎を後にする。三好は用があるとかで譲二と一緒に帰らないらしかった。なんでだよ。
***
混乱したまま帰宅した長谷部をルーシーは「元気ないですか?」と背伸びしてよしよし頭を撫でてくれた。かわいいルーシーのおかげで気力を取り戻す。
週明け、長谷部は例によって区役所を訪れた譲二を「この前の話もっと詳しく」と捕まえた(就業中だが自分の仕事は済ませているのでお目こぼし願いたい)。
遠慮するなんてらしくない、突然結婚報告を受けたこちらには話を深堀する権利があると思い直したのだ。
「もっかい聞くけど、ジョージと三好ちゃんは別につきあってなかったんだよな?」
「ああ」
変かと聞き返されて言葉に詰まる。
「変と言われれば何とも言えないけど……見合い結婚とかならつきあってなくても結婚するか……いやでもデートくらいはするよな……」
腕組みをして考えながらつぶやく。
「今はいちおう婚約期間なのでデートするべきだろうかと思っているんだが」
これまで食事は何度も共にしてきたが、デートとは何をしてどこに行くべきなんだ。
「う、うーん……?」
譲二の「べき論」を聞いてまた混乱してきた。
そもそもつきあうとは、デートとは。譲二と三好は実はつきあっていた……?
――いやいや、それよりも、だ。
真理の扉を開きかけたところで踏み留まる。自分が一番聞きたかったことをどうにか思い出した。
「そもそもジョージは三好ちゃんのこと好きなのか」
長谷部の問いに譲二は一度大きく瞬いた。澄んだ瞳が真正面から長谷部を見つめ返す。
「尊敬している」
「……それは知ってるけど」
三好のことをどう思っているのかと尋ねて「師」だの「神」だの答えをもらったのは他ならぬ長谷部である。
仮にも妙齢の女性相手にどうかと思ったし、今でも思っているが。
「恋愛感情で好きではない人と結婚するのはおかしいのか」
真っ直ぐな目が注がれる。
「うっ……答えづらいこと言うな」
今度こそ言葉を失くして、譲二の頭をぺしんと軽く叩く。聞かれたから答えたのにと譲二は不服そうだ。
結局グダグダになって解散した。
昼休み、昼食を済ませた三好に声をかけて顔を貸してもらう。午前中に譲二とふたりで話していたことは承知していたらしい。開口一番「すみません」と謝られてしまった。
「長谷部さんは譲二さんのご友人ですから、心配になりますよね」
「えー……それを言ったら三好ちゃんは同期の同僚なんだけど」
苦笑を返す。
それにしても、だ。果たして自分は譲二を心配しているのだろうか。
突然の結婚報告に、つきあっているわけではない、好きあってもいないふたりが結婚するのってどうなんだと気を揉んでいるだけなのだが。
(一足飛びに結婚するのってどうなんだろ。ただつきあうだけじゃだめなのかな)
――いや、しかし。二十代半ばの男女が話しあって双方合意のうえで結婚しようと決めたのだとしたら、誰も文句をつける筋合いはない気がする。
自分がしていることはお節介以外のなにものでもないのでは?
なんだか女子高生が自分の友人がモテ男とつきあい出したのを心配してあの子と本気でつきあってるんですかどうなんですかと詰め寄るシチュエーションに似ているなと思って、猛烈に恥ずかしくなった。
「……うわ、ちょっと待って。俺今かなり恥ずかしいんだけど!」
顔を両手で押さえてしゃがみ込む。なぜいい歳をして青春みたいなことを!
「戸惑わせるようなこと言ってすみません」
微苦笑と労わりを含んだ生暖かい声が、落とすようにそっとかけられた。
「も~、ホントだよ……いきなり友達に結婚する報告受ける俺の身にもなって欲しかったなー、なんて」
座り込んだまま手を膝上に置いて、それでも三好と顔を合わせられず、床を見ながらぼやく。
「私は事後報告でもいいんじゃないですかって言ったんですけど」
「うーん……でもそうなるといきなり『結婚した』って言われるんでしょ? それなら前もって言ってもらえてよかったかな……」
どっちもどっちとは思うけれども。
「譲二さんも……譲二さんが、長谷部さんには言っておきたいと言いましたからね」
「ふうん」
ちらりと顔を上げると微笑んでいる三好と目が合った。えいやっと勢いをつけて立ち上がる。
なんてことないフリして腕を回して首をゴキゴキ鳴らしながら、気になっていたことをいくつか尋ねることにした。
「いつ結婚するの?」
「だいたい二カ月後ですね」
「結婚式は挙げないわけ?」
「家族というか親族だけで内々に済ませるつもりなんです」
料亭を貸し切って皆で食事会をする予定だという。
紗耶ちゃんのウエディングドレス姿見たいわと田中(祖母)が言ったので、諸々記念撮影だけはするらしいけれど。
譲二と三好の同僚や上司はおそらく本当に事後報告を受けるだけだろう。
長谷部だけ少し特別扱いなのだと思うと、まあ、悪い気分ではなかった(大いに混乱させられたけれども)。
「……ちゃんとふたりで話して結婚するって決めたんだよね?」
くどいようだが言葉にして今一度尋ねると、三好はこっくり頷いた。
「言いたいことも言えないようでは共同生活する意味がないですから」
(うん、それなら、いいや)
ふたりが言いたいことを言いあって決めたのなら、それでいいと思った。
自分には恋愛結婚以外考えられなかったけれど、ふたりが納得して選んだなら、いいのだ。
「譲二さんと一緒にいると退屈しませんからね」
これからはずっと近くで観察できます。
力説する三好の様子に、別の意味で心配になってきたのは内緒の話である。
***
次の週末、長谷部は譲二と飲みに繰り出した。
譲二はまったく気にしていなかったけれど、先週は混乱が極まって碌にお祝いできなかったお詫びみたいなものだ。
ふたりとも強いのでつい飲み過ぎてしまったが自力で歩けているので許してほしい。ルーシーに「そろそろ帰るよ」とメッセージを送った。
電車に乗る直前になって、譲二が花屋に寄りたいと言い出した。さては酔っているなと思いつつ、駅近くで店を探す。時間が時間なのでもう閉まっているのではないかと思ったのだけれど、意外と需要があるらしく店はすぐに見つかった。
「花屋なんて珍しいな」
「三好さんに今度花を贈ることになったからな」
花を持って家を訪ねるらしい。なにそれデートっぽい。
「ふーん……お、これとかどう?」
『恋人や奥様にダズンローズはいかがでしょうか』というポップを示す。
十二本、一ダースの薔薇には一本ずつ「感謝、誠実、幸福、信頼、希望、愛情、情熱、真実、尊敬、栄光、努力、永遠」と意味があるのだそうだ。プロポーズや結婚式、披露宴、結婚記念日の贈り物とか色々なシーンでお勧めだと丁寧に説明されている。
「バラか」
説明文を読んだ譲二が、ふっと微笑む。
「三好さんに似合うな」
深紅の薔薇だ。しっとりした雰囲気の三好にはミスマッチではないかと思ったものの、譲二の中ではアリらしい。もしくは十二本の薔薇の意味が似合うと思ったのかもしれないけど。
(似合うって想像して嬉しそうにするくらい、三好ちゃんのことを思い描けるんだな、お前)
長谷部にとっては恋愛結婚以外あり得なかったし、譲二にも三好にもさほど恋愛感情はないのかもしれないけれど。
一生を共にすることを話しあってふたりが選んだなら、それは大恋愛の末に結ばれることと同じくらい奇跡的で尊いことなのではないだろうか。
酔っ払ってフワフワ浮ついている思考の所為だったのかもしれないけれど、譲二と三好が結婚することが急速に腑に落ちた。
「……結婚おめでとう、ジョージ」
「? 先週も聞いたが……ありがとう」
今度は心から祝う気持ちで言葉を紡いだのだが、譲二は首を傾げながら頷いた。祝い甲斐のないやつだなと思う。
しかしそれがいかにも長谷部のよく知る田中譲二らしくて笑ってしまった。
一ダースの薔薇を抱えてレジに向かう。
今夜はルーシーに花を贈って、友達が結婚する話をもう一度じっくり聞いてもらおうと思った。
了