宿伏版ワンライ
【 逃避行 / いつか / 空 】
*モブ、流血注意
いつの日か、また空が見てみたい。
小さな望みだと思う。
真っ青で澄んだ空は凄く綺麗だった気がする…
昔、約束を結んだ友達の瞳は、夕暮れに染まった空の色をしていた気がする…
もう何年、何十年経つのか。
地下のヒヤリとした空気に慣れて、暗闇でも目が効く様になって、残飯の様な食事を日に2度…
監視員は声を掛けたって反応すら無くて、友達といえるものは己の影のみ。
俺が捕まった当時、金切声を上げて叫んでいた声が言った。俺は人を殺したのだと。
まだ二桁にも満たない歳だった俺はただただその声が怖くて理解出来なくて、抵抗も出来ずにこの地下牢に放り投げられた。
俺の目の前で両親を殺めた筈のその人物は、まるで怪物を見る様に俺を冷ややかに見下ろしていた。
今思えばあの人には影の中に潜むものが見えていたんじゃないだろうか…
なぜ両親が殺されて、俺は閉じ込められたのか。
考えたって分からない事だけがこの数年間で分かった。
時間の分からない闇の中、それでも不安を抱える事なく時間を過ごす。
ざらついた地面を撫でれば擦り寄ってくる様な感触と柔らかな鳴き声が聞こえてくる。
今日は何をして過ごそうか…
ー不穏な空気に目が覚める
"今すぐ殺せっ!"
"殺して埋めろ"
"誰にもバレるな"
バタバタと慌ただしく、殺気だった気配が駆け回る。
何となく、俺のことだろうなと思った。
そこでふと、今まで湧かなかった怒りが揺らめくのを感じた。
俺が何をしたって言うんだ。
それに応える様に部屋中の闇がざわざわと反応して俺の影の中だけだった存在が闇に広がっていく。
札が敷き詰められた部屋の中
頑丈に閉じられた分厚い扉…
その手前の鉄格子
吸い寄せられる様に其処へ歩いて近寄る。
古い血の跡
小さな頃に此処へ縋り付いた際、鞭で打たれてついた跡だ。それはもう随分も下の位置にあって、その分だけの成長と時間の長さを自覚する。
足音が近付き扉が勢い良く開かれる。
「ひっ…」
目があった男は勇ましく部屋に入ってきた所で短い悲鳴をあげる。
ぶるぶると震える手にはしっかりと武器が握られていてそれを見たあと、怯えの浮かぶ男の瞳を覗き見る。
ああ…これじゃないな。
「ようこそ俺の城へ…そしてさよならだ…喰っていいぞ玉犬」
引き攣る顔を眺める。
手を組めば貼られていた札が一斉に蒼白く燃え上がり塵となる。
小さな空間に獣の唸り声が聞こえたかと思えば直ぐに悲鳴が上がる。
男の悲鳴に引き寄せられたのか怒号を上げながら次々に男達が雪崩れ込んでくる。
恐怖なんてものは無かった…
俺の味方は其処らじゅうに居る。
両手を合わせるように組む。
誰に教わったものでもない。
俺だけのもの…
気付けば血が床や壁を汚し、物言わぬ骸が斃れていた。
しんっと静かになった空間には俺の少し乱れた呼吸の音と血生臭いにおいが漂っていて、久し振り機能を果たし始める五感に堪らず高揚する。
扉は開いている。
目の前にある鉄格子だって入り口が開け放たれていて一歩踏み出せば今までいた場所から解放される。
どくどくと心臓が激しく拍動していて一歩踏み出そうとしたところで上から足音が聞こえる。
誰かが言い争っているのか、片方は耳に焼き付いたあの金切声を上げていて一方的に捲し立てているように聞こえる。
近づいてきている音に身構えていればバンッと音がして金切声が止む。
そして1人分の足音が少し足早に此方に近寄ってくる。
「此処にいたか、伏黒恵」
「……」
綺麗な服を着たガタイの良い男だった。
伏黒恵とは俺のことを指すんだろうか…
"めぐみ、約束だ"
何処からか幼い声が聞こえて来て、懐かしいその声に心臓が跳ねる。
「来い、逃げるぞ」
手が差し伸べられる。
大きくて分厚い手だ…
俺の手とは全く違うその手が何故かとても特別に感じて、敵意を一切見せない男に一歩近寄る。
「…逃げるのか?」
「ああ、約束しただろう?」
倒れている男たちや飛び散った血を気にせず俺に声を掛けてくる男は約束したと言う。
約束したんだろうか…?
「恵、必ずお前を奪いに来ると…そう約束した」
「……、ぁ、」
「俺の手を取れ、伏黒恵」
手を掴まないといけない気がして、そうするべきだと思って手を伸ばす。
暖かくて、見た目通りにがっしりとした手に握り締められて身体を引かれる。
躊躇していた身体は飛んでいきそうなほど軽くて足が次から次へと前へ進んでいく。
囚われていた地下から地上へと駆け上がっていき、徐々に目の前が開けていく…
勢い良く外へ出れば夜に差し掛かる時間なのか、薄暗くて澄んだ空気を感じて、それと同時に地面に横たわる人と目が合う。
光を失った瞳の埋め込まれた顔は小さな頃に見たものよりも随分と老けていた。
もう何十年と身体を動かしていなかったせいで息が上がってガクガクと体が震える。
情けない…
たった数段の階段を駆け上がっただけなのに。
ふっと顔を上げれば、平家の大きな家が目に入り、俺の立つ離れた小屋までに多くの人が転がっている。
突っ立った俺の手が引かれて動かない足が進むのを拒絶する。
着いて行きたいのに、前に進めない。
さっきまでの軽やかさは何だったのか…
握った手に抵抗を感じたのか、男が振り返る気配がする。
見下ろした自分の足は血で汚れてぶるぶると震えている…
打たれるだろうか?
鞭は持ってなかった筈だ…
けれどきっと、あの手で殴られれば痛いに決まっている。
咄嗟に謝ろうとしてひゅっと喉がなる。
「ッ…ァ」
「どうした…、ああ、膝が笑っているな。良い良い、そのままでいろ」
身構えた俺に近寄ったかと思えば、柔らかな声が落ちて来て脚を掬い上げられて横抱きにされる。
「っ!?」
「よく耐えたな」
ああ、思い出した。
夕暮れに染まった空の色
見上げた顔は見たことの無い成人した男の顔をしていたけれど、その瞳に浮かぶ色は今でも鮮明に憶えていてじわっと視界がぼやける。
「ッ、、っ、す…くなっ」
「随分と待たせたなあ…恵」
ぎゅうっと抱き締められて温もりに涙が溢れ出す。
小さな頃、いつも隣に居てくれた…
小さいながらもこの閉ざされた田舎という空間で生きづらさを感じていた。
宿儺の両親は村の人間に追われて都会へと…
地主だか、力がどうとか、そういった訳の分からない縛りで縛られた俺は1人取り残された。
その時に約束した…
引き離される手を握り締めて、奪いに来ると。
「屋敷に来たらお前は居ないと言い出してな…お前の両親は死んだと言うし、暫くして出てきたあの女が嘘を吐いているのが分かったから押し入った。」
「お前は俺の唯一だ…お前のいない日々は退屈で仕方なかった。やっとだ、やっとお前を俺の手の中で愛すことが出来る。」
俺の中にもお前だけだった…
宿儺から血の匂いがする。
俺からも血の匂いがする。
一体離れ離れになった後から宿儺になにがあったのか、何も知らないけれど宿儺の隣に居られるのなら何だって良い…
「俺を連れ出してくれるのか」
「ああ…そのために来たからな」
「逃げんのか?」
「それも直ぐに終わる」
「お前と逃げるのは面白そうだな」
暖かい腕に抱き締められて身体から力が抜ける。
宿儺は脚を止めず屋敷の近くに停められた車に歩み寄り器用に後ろの扉を開く。
「寝ていろ」
後部座席に身体を横たえさせられ頭を撫でられる。
柔らかな声が心地よくて手の動きも相まって瞼が重くなってくる…
けれど宿儺の体温が離れていくのが惜しくて離れていく手を掴む。
「すくな…」
「ひひ、また後でな。恵…良い夢を」
するりと撫でられた手が絡み合ってまた離れていく。
ちゅっと柔らかく額にキスが落ちて宿儺の低く落ち着く声が脳に響く。
end.