恋人の作法 すこしは恋人らしいことでもしてみようかと思った。なにせ乾は暇だった。仕事で忙しそうな九井を労わってやろうという気持ちもあった。
恋人らしいってなんだろう。ちょっと考えて、乾は九井が座るソファーの隣に座った。
「ん? なに? 腹でも減った? ちょっと早いけど、飯にする?」
乾の思っていた反応と違う。ちょっとむっとした。もしかしたらココは鈍いのかもしれない。思い切って九井に身を寄せる。
「え、なに?」
なぜか腰を浮かしかけた九井の手を取り、強引に手をつなぐ。ようやく乾の意図を悟ったのだろう。九井は「えっ」と素っ頓狂な声をあげた。もしかしたらココは初心なのかもしれない。仕事が生きがいと豪語する男だ。恋人らしいことと無縁なんだろうか。じゃあ、オレがリードしてやらねぇと。
つないでいた手をさらに絡める。恋人繋ぎというやつだ。九井がますます目を丸くする。
さて手をつないだ。次はどうしてやればいいだろう。とりあえず邪魔なパソコンはどかせようとすると、九井が「ちょっと待って」と言うので、保存をしてシャットダウンをするまで待つ。乾は恋人の仕事に理解のある男なのだ。
さてパソコンは退けた。次はどうしてやろう。どうせなら九井を驚かしてやりたい。膝に跨ってみた。うんうん。これは恋人らしいぞ。
「イ、イ、イヌピィ? ど、どうした? え? なにかの罠?」
「恋人らしくねぇか?」
「えっ、えっ、どういうこと?」
九井は挙動不審になっている。さすがの乾も不安になってきた。九井がこんなに初心だと思っていなかった。クラスメイトやら仕事先の女やらさまざまな噂があったが、ぜんぶデマだったんだな。だってこんなに真っ赤になっている。
九井があまりに慌てているので、バランスが悪い。乾は首の後ろに手を回した。九井が固まる。うん。さっきよりは安定した。
「ココがこんなに初心だと思わなかったな」
「ハァ?」
「よく考えたら、オマエ年下だもんな。オレがリードしてやらねぇとな」
「ハァァ?」
「もしかして童貞なのか? かわいいとこあるじゃねぇか」
「ハァァァ?」
乾の言うことがいちいち図星だからだろう。九井はぎゃあぎゃあと叫んでいる。うんうん。オレがうまくやってやるからな。安心していいんだぜ。
「ココ、目ぇ瞑れ」
「へ、」
「鼻で呼吸すんだぞ」
「ぅへ、」
「だいじょうぶだ。やさしくしてやっから」
乾は非常に理解のある男なのだ。初心な恋人にやさしくしてやることなどお手の物だ。真一郎君も女の子には優しくしろと言っていた。そうだ。真一郎君はこうも言っていた。恋人にはちゃんと「すきだ」って言ってやらないといけないって。そんな真一郎君に恋人がいなかったのは謎だが、いい男に恋人がいるとは限らない。ココだって童貞みたいだしな。
「ココ、だいすきだぞ」
「イヌピー!」
「あ、あれ?」
気がついたら乾は九井に押し倒されていた。あれよというまに服を脱がされる。あれ? おまえ童貞だったんじゃなかったのか? 思考は瞬く間に嵐のように消えていった。とりあえず乾の恋人らしい行為をするという計画は成功したようだ。
「イヌピー、オレ以外の奴にあんなことするなよ」
「しねぇよ。恋人だからしたんだろ」
「うっ、イヌピーの思い切りが良すぎてツライ……」