夢見た未来と違っても。3ガクッと首が落ちる感覚で目を覚ました。
眠気の残る目を擦って当たりを見回してみると薄暗い何かの倉庫みたいな場所だった。
錆びたドラム缶やダンボールが乱雑に積み上がっていてゆらゆらと白熱灯が揺れていた。
出口の重たそうな鉄の扉はピッタリと閉じられていて室内は気温が低いのか肌寒く感じて思わず腕を擦った。
どうやら椅子に腰掛けている状態らしい。
この態勢のまま居眠りでもしていたのだろうか。
伸びをして欠伸をしてから手元を見ると腕に嵌めた高級ブランドの腕時計が映る。
見覚えがないそれにまた夢の続きなのか、と思う。
確か自分は青宗と幸せな未来を生きていて、デートしてたらトラックに轢かれて…多分死んだ気がする。
あの後どうなったのだろうか、青宗を悲しませたままなのかと思うと胸が痛む。
ふいにガサガサと奥の方から音が聞こえてきたからそちらを振り向くと、半透明なビニールシートがカーテンのように貼られている。
その中からカンッとコンクリートに金属製の何かがぶつかる音がした。
それから少ししてビニールシートを潜って誰かがこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
まず状況も解らないし何故自分はこんな倉庫のような場所の隅でパイプ椅子に腰掛けているのかも解らない。
視力があまり良くないせいで近付いてくる人物がぼんやりとしか見えずに居たが、距離が縮まるにつれてだんだんとその輪郭が解ってくる。
どうやら近付いて来たのは男のようだ。頭からすっぽりとレインコートを着込んでいるのが見えた。
こちらに来る少し手前で足を止めると、男は徐にビニール製のレインコートから顔をだし前開きのボタンを引きちぎるように開いて脱ぎ捨てた。
そのレインコートからポタリポタリと流れ落ちる水滴は透明な雨では無く、赤黒い飛沫だった。
それから靴に被せていたビニールも踏みつけながら取り払い、最後に同じくビニール製の手袋を手から外すとその辺に放り投げた。
「だから言ったろ。退屈だろうから待ってなくて良いって。」
ぶっきらぼうな声は記憶より低くなっていたが、聞き覚えがあった。
目の前に立ってこちらを見下ろしてくるのは、金色の髪を短く刈り上げた幼馴染によく似た男だった。
青白い肌と目の下に色濃く隈を残した顔は不健康そのものであったが、顔の半分を覆う火傷あとと青緑の瞳がそれが幼馴染の乾青宗だと物語っている。
さっぱり状況はよく解らないが、血の匂いがしてる事や彼の出で立ちから少なくとも誰かが拷問でも受けたのかと察する。
さっきの夢は甘く幸せな雰囲気だったのに、今度の夢は随分物騒だな始まりだった。
目の下の隈は気になるが随分と男前になったなと思って見上げると表情一つ変えないままスーツの内ポケットから端末のような何かをを取り出して指で操作をしている。
その作業を終えるとこちらへ向き直ったかと思えば、手を伸ばして来て頬を撫でられた。
どう反応するべきか関係性を見極めようとそのまま成り行きを見守っていると、ゆっくりと近付いてきた顔が自分のそれと重なった。
カサついた唇は柔らかくて温かい。
(この夢でも俺とイヌピーはキスする仲なのか…?)
そう思うが先程から目の前にいる幼馴染の雰囲気はどうにも自分を好いているのかそうでないのかよく解らない。
「どうした、待たせたから機嫌悪くなったか?」
「…いや、そんな事ねぇよ。」
黙ったまま反応しないこちらを変に思ったのか問われて何とか取り繕う言葉を発した。
特に不審には思われなかったのか、疑うような様子は見られなかった。
「文句なら半間にでも言ってくれ」
「半間?」
聞いた事のある名前だしその人物の事は思い浮かぶが何故今その名前が出るのかと首を傾げる。
こちらのそんな様子に気付く素振りも無く便利屋だとでも思ってやがんのか、あの野郎と悪態を吐いた。
「せっかくのハネムーン前に余計な仕事を入れたのはアイツだからな」
そう言って徐に伸ばされた手がココの左手を取るとさっきの無表情が幾らか和らいだような顔で薬指に光るプラチナのリングに唇を落とした。
全く覚えが無いそのリングにまさか、と青宗の降ろされたままの左手を見ればそれと揃いのリングが薬指にあった。
(さっきハネムーンとか言ったよな…て事は、もしかしてこの世界の俺達結婚してんの!?)
内心の動揺は悟られないように何とか平静を装いながらも青宗の手を取ってそのリングを確認するように見て、指先で撫でると小さく笑う気配がした。
疲れた顔をしてるのにその笑顔はやはり幼馴染を思わせるそれで、可愛いなとつい、思ってしまう。
どんな姿だってどんな状況だってそう思うのは自分がそれだけ乾青宗という人物に惚れているからなのだろう。
「後悔してねぇか?」
「…何が?」
唐突に聞かれたそれに聞き返せば、青宗はそっと自分の左手を胸に押し当てるようにして俺にプロポーズした事、と言った。
一体何時何処でどういう風にプロポーズしたのかなんて全く以て解らないが、この世界の九井一も自分自身であるとしたら答えは決まっている。
再び離れた左手を取って包み込むように握ってから顔を上げてその顔を真っ直ぐに見た。
「後悔するわけねぇじゃん」
自信を持ってそう言って笑ってやるとそうか、と短い一言しか返って来なかったがその表情はどことなく嬉しそうに見える。
自分は果たしてどんな言葉でこの男を落とせたのだろうか。
この男がこんな素直に揃いの指輪を嵌めてくれるなんてきっと何か魔法の言葉でもあったに違いない。
そう思わずには居られないくらい自分の知る幼馴染は恋愛事からは遠い所に居るような男だったし、況してや自分の愛の言葉を信じたりもしないだろう。
やはりこの世界の乾青宗、(九井青宗になっているのだろうか)も自分の元居た世界より大人びた顔をしている。
相変わらず二人して宜しくない業界に居るのは変わらないし、更に物騒な事になっているようだがもしあのままの道を二人で進んで居ればこの未来は当然の結果だろう。
「そろそろ行くか」
青宗に促されてそういやハネムーンがどうとか言ってた事を思い出す。
行き先は南国だろうか、それともヨーロッパ圏かアジア圏か、若しくは国内旅行も悪くないかと思いを巡らせる。
この世界での同性婚が何処まで許されているのかは解らないが新婚旅行なら案外ベタな場所で過ごすのも悪く無さそうだ。
勿論相手は青宗に限定するが。
「車にもう二人分の荷物は詰め込んであるし、後片付けは半間のとこの奴がやるみてぇだから」
壁にあったボタンを操作して倉庫の扉を開けながら手の中の鍵をチャリ、と揺らして見せてきた。
鍵に刻印されたエンブレムは有名な誰もが知る外国産の高級車のものだ。
着ているダーク系のスーツも生地から上等な物だと解るし、腕に嵌められた腕時計はよく見ると色違いの揃いの物だ。
それに青宗は確かに疲れた顔はしてるが、肌艶もそう悪くはない。
「ちゃんと贅沢させてやれてるか?」
ついそんな事を聞いてしまった。
自分はちゃんと青宗の事を支えてやれているのだろうかと気になった。
不自由な思いはさせたくないし、こんなに隈を作らせる程働かせて自分はのうのうと安全な場所に居るのだとしたらそれは嫌だった。
「お陰様で甲斐性のある旦那と結婚したからな」
ふっ、と目元を緩めた青宗からそんな軽口が返ってくる。
給料3ヶ月分とか言って引くほどエグい値段の婚約指輪もくれたろ、と言われて自分ならやり兼ねないなと思いながらも少し安心する。
「ハネムーンに行ったらイヌピーのコレも消えるかな」
言いながら目の下の隈を指先で撫でれば擽ったそうに目を細めた。
寝不足が理由なだけでは無く、多分精神的にも辛い事があるのでは無いだろうか。
青宗が何の躊躇いも無く人を手に掛けるようになっていたとしたら、自分も同じように落ちていなければ行けない。
「ココが寝かせてくれればな」
思わず暗くなりかけた思考を飛ばすように口元だけで笑った青宗はチラリとシャツの襟の隙間から首筋を覗かせた。
鎖骨から胸元の方へ鬱血痕や歯型が点々と白い肌に残されているのが見えた。
(…なるほど。この世界の俺たちも情熱的なんだな)
そう納得せざるを得ない証拠に少しだけ頬が熱くなる気がした。
何だかこの世界の青宗は見た目はとても男っぽいのに妙に匂い立つような色気がありすぎる。
一体普段どんな抱かれ方をしているのだろうか、自分に。
倉庫を出ると二人を待ち構えていたかのようにスーツを着崩した柄の悪そうな男たちが青宗と自分に頭を下げて、そのまま倉庫に入っていく。
恐らくあれがさっき青宗の言っていた後始末をする者たちなのだろう。
それから歩いて少しは離れたビルの中のエレベーターに乗り込むと地下駐車場へ辿り着く。
真っ青なスポーツカーの前で立ち止まると青宗は助手席を開けて座るように促した。
疲れた色を滲ませる青宗に運転をさせるのは忍びないが行き先も操作も解らないから大人しくシートに身を預けた。
運転席に慣れた様子で身を滑り込ませた青宗は先程の鍵を取り出すとエンジンを掛けようとした手を止めて、こちらを向いた。
それから手を握られたかと思うと、唇が近付いて来て触れるだけのキスをした。
反射的に目蓋を閉じると、離れた唇が再び重なってそれから舌先が唇を割って口内に入ってくる。
ぬるりと熱い舌にこちらも応えるように舌を絡ませれば甘い吐息混じりの声が耳を震わせた。
濃厚で色っぽい口づけに酔い痴れながらも頭の片隅で自分の知る青宗はこんなにイヤらしいキスはしないし甘えるのも下手だからな、と思う。
大人びた青宗の色香につい誘われるように、その腰を撫でるように抱き寄せると、唇が離れていってしまう。
「続きは向こうに着いてからいっぱいしてくれ」
悪戯に笑われて耳元で色っぽく囁かれてしまい、降参するように両手を上げると更に良い子だなと唾液で濡れた唇を指先で拭われた。
(…はぁ…こんなエロくなる可能性あんのかな、イヌピーも…)
深夜の人通りも車も少ない道を慣れた手つきで運転する青宗の美しい横顔とカーラジオから流れるクラシックに気分が良くなる。
「向こうに着いたら何をしたい?」
「1日中ココとひたすら眠りたいな」
広いホテルの肌触りの良いベッドに何も身につけず生まれたままの姿で身を寄せ合う二人を想像して、それは良いなと思う。
時間も仕事も気にせず青宗と二人だけの世界で眠り続けられたれら最高だ。
やがて車は高速を駆け抜けて、車内には心地良い沈黙の時間が流れていった。
暫く走らせていた車は休憩に一旦、サービスエリアと入っていく。
然程大きくは無いそこはトラックがポツポツとライトを消して停まっているだけで静かなものだった。
自販機で何か青宗の眠気覚ましになるような飲み物でも買って来ようとドアに手を掛けて車を降りた。
何が飲みたいかと青宗に問おうと車内へ上半身を屈ませたその瞬間。
突然腰の骨の辺りに揺れるような衝撃が起きる。
何が起きたのか想像もつかず惚けていると、ココ?とこちらを伺う青宗の声がして腹の辺りがじんわりと熱くなってきくる感覚がした。
着ていたジャケットの隙間から手を入れて違和感のある腹部に触れると濡れた感触がする。
不思議に思い自分の手を目の前に翳すと、赤黒い液体がべったりとついていた。
背後で足音がして振り返ると、サイレンサー付きの銃を持った男が走って逃げていく後ろ姿が見えた。
道理で音がしなかった訳だと妙に冷静な頭が思う。
撃たれたのだと認識した途端、そのまま膝から力が抜けて地面に崩れ落ちた。
「ココ!」
運転席から降りて走り寄る青宗の叫ぶ声が聞こえた。
それから地面に横たわる体を支えるようにして腕の中に抱き起こすとハンカチで傷口を押さえているのが見える。
(また俺、死ぬのかよ…)
一度目は顔も覚えて居ないような奴に恨み言を吐かれナイフで刺され、二度目は運転を誤ったのか解らないが大型トラックに跳ね飛ばされ、三度目は銃で襲撃とは全くどれもロクな死に方じゃない。
ぼんやりと霞んでくる思考でそんな事を思う。
夢にしてもこんなのは酷いし、最低の悪夢だ。
これから青宗とハネムーンだっていうのに、このまま自分が死んだら青宗は未亡人になってしまうではないか。
でも、青宗が自分の死んだ後の世界で自分の事だけを思い続けて一人で生きてくれんのも悪くないかな、と我ながら悪趣味な事を考えたと少し笑いたくなる。
「ココ、死なないでくれ…俺を1人にしないでくれ…なあ…」
震える声が何度も自分の名を呼ぶのが聞こえる。
見上げれば、光の角度で青にも緑にも見える美しい瞳からポトリと零れ落ちてくる雫。
やっぱりこの世界でも青宗は自分の為に泣いてくれるんだな、と思うと嬉しくなった。
「ごめんな、イヌピー…」
だけどこの感覚は自分が死ぬのだろう事が解る。
出来れば生きて青宗と新婚旅行にも行きたかったし、その先の未来も見たかった。
だがこの世界でもそれは叶わないらしい。
「ココ、今救急車呼んだから。もう直ぐだ…退院したら今度こそハネムーンに行こう」
泣きながらも何とか笑みを作ろうとして失敗してしまったような表情で唇を噛むその姿が可哀想で、抱き締めてやりたいのに大量の血液が失われたこの体は思うように動かない。
現実の、自分が居た世界の青宗も自分が死んだ事を知ったら泣いてくれるのだろうか。
汚い路地裏で惨めに一人死んだ自分の事を思って悲しんでくれるだろうか。
電話越しに伝えたあの告白はちゃんと彼の耳に届いただろうか。
返事が聞けなかったのは少し心残りだ。
「イヌピー…愛してる、からな…」
この世界の自分の分までの思いを何とか口にすれば、唇に愛おしい感触が触れた。
最後に好きな男から別れのキスを送られるなら、そう悪くない人生じゃないか。
そして意識は深く暗転した。
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