ひとつとしうえ「九井くん、おはよう」
あ、また始まったのか、と思った。
新学期が始まって、数日。昨日まで九井を「ココ」と呼び、和気あいあいとしていたクラスメイトが、どこかよそよそしい。
九井は病欠のため、小学一年のほとんどを学校に通っていなかった。そのまま進級も出来たのだが、両親と学校が話し合った結果、留年することになった。学力に問題はなかった。どちらかというと体力的な懸念からの判断だ。そもそも九井は四月一日生まれなので、一つ下の学年のほうが身体的には合っていた。
だが、留年という言葉にはインパクトがある。
いちど仲良くなったはずのクラスメイトがよそよそしくなるのは慣例だった。どうせ一か月も過ぎればまた仲良くなる。九井にとっては毎年四月の通過儀礼のようなものである。
ところが。
「おはよう。ココ」
まったく気にしていない人物がいた。
クラスメイトの乾青宗である。
「なんだ? なにかあったのか?」
乾は教室の雰囲気を全く読んでおらず、まったくわからないという顔をしている。もちろん毎年マイペースな生徒はいる。乾はそちらのタイプなのだろう。
気を利かせてつもりらしいクラスメイトが乾に説明をしていた。
「え? 留年ってなに? ココ、病気なのか?」
クラスメイトの方は小声だが、乾はいつも通りの声なので、九井にすべて筒抜けである。
乾はくるりと九井の方を向いた。
「ココ、病気なのか?」
「一年の時にね」
「いまは」
「元気だよ」
「サッカーできる?」
「できるよ。苦手だけど」
「人数足りてねぇんだよ。へたくそでもいいからさ、昼休みサッカーしようぜ」
えええ、と悲鳴を上げたのはクラスメイトだ。おそらく親から「九井君は病気だったみたいだね。気をつけてあげてね」とでも言われたのだろう。乾くん、と袖を引っ張られても、乾はけろりとしている。
「ココがサッカーしたいって言ってんだから、いいだろ」
「いや、したいとは言っていない。球技は苦手なんだ」
乾はきょとんとした顔で九井を見た。
「キューギってなに? 仮面ライダー?」
九井は笑ってしまった。
それからも九井の留年の話はたびたび話題にあがる。それだけ小学生の留年はインパクトがあるのだろう。そのたびに遠巻きにされるのも、いつものことだ。九井がテストでいい点を取ると「あいつ一年年上だからな」と言われるのも、いつものことだ。
そのたびに乾はむっとした顔をする。
「ココの点がいいのは、ココが頭いいからだろ」
「いいよ、イヌピー。バカには分かんないんだよ」
「オレもバカだけど」
「イヌピーは勉強ができないだけ。あいつらはバカなだけ」
「ココって意外と口わるいよな」
この小学校では学校方針なのか、ペアを組むことがとても多い。遠巻きにされて噂話をしているクラスメイトより、ぜんぶ口に出す乾の方がマシだった。そう思って親しくしているうちに、ほんとうに親しくなった。今までも「友達」はいたが、乾が初めての「ともだち」だった。
乾にはなにを言っても許される。ぺろりと舌を出せば、乾も笑った。
「イヌピーも意外と顔はいいと思うよ」
「なんだよそれ、それより今日もうちに来いよ。赤音がクッキーを焼くって言ってた」
赤音というのは乾の姉の名前らしい。なんどか名前を聞いたことがある。
九井が「ともだち」の家に行くなんて初めてだった。一回目の時に親に菓子折りを持たされて、乾に「なにこれ」と言われたことは記憶に新しい。「ともだち」の家には行くときは、ポテトチップスとポッキーの方が喜ばれる。乾が教えてくれたことだ。
「オレのともだちはイヌピーだけだよ」
「そんなことねーって、斎藤とか高橋とかいんじゃん。こんどみんなでコナン見に行こうぜ」
乾が口にしたクラスメイトは確かにいい奴らだった。
うん、と答えながら、先を歩く乾の後を追っていく。
オレのともだちはイヌピーだけだよ。