ココイヌデート① オレの働いているドーナッツショップに、稀にすごい美人がやって来る。すごい美人と言うのは、すごくきれいだという意味もあるが、ファッションセンスがすごいという意味も含まれている。基本ジャージで来るのだが、先週はドピンクで、今日は紫だった。ジャージの色も目が覚めるようだが、彼自身も目の覚めるような美人である。眠気も吹っ飛ぶ。
「すごいな」
誰しも同じ感想を抱くのか、となりにいたバイトの女の子も溜息をつくので、そうだよねと同意を求めたところ「ルブタンにジミー・チュウ、ディオール、シャネルなんですけど」と呪文を唱え始めた。え。なにそれ。女の子はオレを見ずに「ハイヒールに、ブレスレット。指輪。どれも新作」と続けた。どうやら呪文ではなかったようだ。なんでもお高いブランドらしい。
美人はこちらにやってくると「ぜんぶ」と言った。え。ぜんぶ?
「ぜんぶひとつづつくれ」
「あ、テイクアウトですね」
「いや、全部食う」
「へ? いつもチョコレートリングだけですよね?」
美人がオレを見る。あっ、しまった。一方的に覚えていたことが知られてしまった。はわわ、と青ざめるオレに、美人は怒るでもなく「待ち合わせだから」と言った。あ、なるほど。お友達とまちあわせなのか。しかしドーナツ全部ってことはいったい何人なんだ。
「隣のテーブルをおつけしますか?」
美人が座ったのは四人席だったが、とても足りないだろう。もちろんお客さま自身でテーブルを移動してくれてかまわないのだけれど、まぁ、ぶっちゃけ暇だった。ぼんやりとレジに立っているよりは、お客さまの手伝いをしていたほうが気がまぎれる。
「いや、来るのはひとりだし」
「えっ、ふたりでこれ全部食べるんですか」
「よく食うやつなんだ」
そういうお客さまもいる。野球部とかラグビー部とかアメフト部とか。そのとき美人が初めてうすく笑った。その笑顔は極彩色のジャージより眩い。目が潰れるかと思った。これで満面の笑みだったら死んでた。
「彼氏なんだ」
美人は微笑みと言葉だけで人を殺せるんだな。
などとオレが死にかけていた時に、ご来店のベルが鳴る。はじめて見る客だ。マカオカラーの花柄シャツにサングラス。明らかに堅気じゃないアピールを醸し出していた。彼は美人を見て、ほっと息を吐いた。
「イヌピー、探したぜ。待ち合わせ場所はちゃんと指定してくれよ」
「ドーナツ屋にいるって言ったろ」
「全国チェーン店だぜ。この近辺だけでも五店舗はあるっつーの。発信器つけておいて、よかったわ」
「そうか。わるかった」
そうそう。うちの店は駅前には必ず一店舗はあるような大手チェーン店だ。そのあとになんだか不穏な単語が聞こえたような気がしたけど、美人はさらりと流したから、オレの聞き間違えだろう。
彼はにこりとオレに笑った。
「どうも、彼氏です」
彼氏はさっと財布を出し、お会計を済ませてくれた。
いや、なんでさっきの会話を知ってるの、とか疑問はあったが、バイトとはいえ、接客業。笑顔で「ありがとうございました」と頭を下げた。
彼氏はドーナツをすべて食べて行った。たくさん食べるというのはほんとうだったらしい。