確かにそこには愛がある。6俺とココが…というか俺が一方的にブチ切れて別れ話が無くなってからまた俺とココはとりあえず現状維持という事で落ち着いてまた日常に戻っていた。
あの後衝動的にキレてしまったのが恥ずかしくなってしまった俺に元ヤン怖ぇわって揶揄われた。
ココなんて元ヤンの反社の癖に。
って冗談はさておいて、思い返すと恥ずかしいなと思うのは本当だけどココに気持ちをぶつけられたのは良かったのかなと思う。
ココに俺の思っている事が伝わったのも、それでココが俺との関係を諦め無いと考え直してくれたのも嬉しかった。
具体的にどうするかなんていう答えはまだ出せないで居るけど、お互いにもしもの時が来てしまったらその時は足掻いて抗ってみようと思う。
ドラケンは俺にとってもう家族みたいな相棒だし、バイク屋だって凄く大切だ。
こんな俺の事を仲間に向かい入れて付き合ってくれてる元東卍の奴らだってそうだ。
それは心の底からの本音だし絶対に守りたいとも思ってる。
けど、俺はココに全てを捨てて逃げて欲しいと言われたら迷う事なくココを選ぶだろう。
もしもあの時再会しないでこの生活も無かったとしたら、突然ココが目の前に現れても俺は揺らぐ事は無かったと思う。
それくらい、俺とココで育んで来たこの数年間は大きなものになっているという事だ。
俺はそう思っているけど、ココはどうかは本当の所は解らない。
アイツは優しい奴だからもしかしたら土壇場で俺の幸せを考えて置いていこうとするかもしれない。
ある日突然俺を残して消えてしまうかもしれない。
そうだとしても、俺は言ったとおりココの事を地獄の底まで追い掛けて離してやらないつもりだ。
ココは俺の執念深さも諦めの悪さも解ってる筈だ。
何せ数年間俺はココを巻き込んでまで黒龍にしがみ続けた男なのだから。
「イヌピー、次の俺と一緒の休みに絶対に予定入れないで」
いつも通りに朝ココを起こして俺が作った朝食を出していたら念を押すように言われた。
そんな事を言わなくても俺はこの数年間ココと休むが被る日に他の予定を入れた事なんて一度も無いのに、わざわざそういうのは何かあるのだろうか。
「勿論そのつもりだけど、何かあるのか?」
「ちょっと付き合って欲しい所がある」
「わかった」
ココはその場所の事を詳しく口にはしなかったが、俺も当日になれば解るだろうしと大して気にも留めなかった。
何が起きるかなんて全く想像もしないでココと久しぶりに外にデートに行けるのかと浮かれてすらいた。
それから数日後、2人の休日が重なる日の朝。
いつもは低血圧と寝不足でベッドから中々出てこないココが俺よりも先に起きていた事に驚いた。
朝食出来てるから顔洗って来いよ、なんてキスをしてきたココは鼻歌まで歌ってご機嫌な様子だった。
よく解らないまま朝食を二人で食べて、その後適当に着替えようとしたらもう用意してあるとココのコーディネートしてくれた服を手渡された。
俺の手持ちの服は殆どココがプレゼントしてくれた物ばかりだしココが選んでくれるのはそう珍しい事では無いが、この日はカジュアルな様相にジャケットを羽織らされた。
そういうココも似たような出で立ちで何処に行くのかと聞いたが楽しい所、と笑ってそのまま外に連れ出された。
タクシーに乗って街中に出ると降りたのはまるで縁の無い高級ブランド街で増々ココの行動が解らなかった。
こんな場所いつもバイクで走り抜ける程度しか通らないけど、多分ココならよく来ていても不思議では無い。
ココの持ち物は俺でも知ってる有名な物からそうでない物まで殆どがハイブランドみたいだし。
俺は生活費や貯金を抜いて余った金はほぼバイクに注ぎ込んでしまうから服にまで回らない。
最初の頃貯金をしている俺にイヌピー貯金とかできんの!?って本気で驚いたココは失礼過ぎだけどな。
そんな俺を多分見兼ねてココは何かと服をプレゼントしてくれる。
貰ってばかりで悪いから要らないと言った事もあったがココはイヌピーに似合うなと思うと買っただけだし、イヌピーが着なきゃ捨てるしか無いなんて言うから俺は有難く貰うしか無くなった。
まあ、ココの俺を思ってくれる気持ちは嬉しいからな。
「着いたぜ」
何処に向かってるのか解らないままココの歩く横を着いて行ったら、ハイブランドの並ぶビルの中の一つの店の前で足を止めた。
真っ黒な壁とピカピカに光るガラスドアの向こうにはカッチリとしたスーツに身を包んだ店員たちが頭を恭しく下げて迎え入れた。
店の名前らしき文字が壁に金で刻印されていたが筆記体の英字なのか何語なのか解らないそれに勿論見覚えは無い。
ハイブランドの店内は何処も似たような高級感のあるものが多いがそこは何だか他と雰囲気が違う気がした。
ピカピカに磨かれた黒曜の床と落とした照明に照らされた落ち着いた店内はシンプルながら品のある様相だ。
ここが何の店か解らないが多分ココは何か買いたいものでもあるのだろう。
キラキラとスポットライトを浴びて光るショーケースの中はこれもまた値段が恐ろしそうなきらびやかなジュエリーたちが並んでいるのが見えた。
「お待ちしておりました、九井様」
目の前にスッと現れた自分たちと同じ年齢くらいの男の店員は頭を下げる所作もそれは丁寧で品もあり、こんな接客絶対無理だろうなと思わされる。
そう言えばココがこういう店で偽名じゃなく本名で呼ばれているのが珍しいと視線を向ければココは口元だけで笑った。
裏社会の人間であるココは幾つもの偽名と顔を持っているようで、たまにホテルのレストランで食事をしたりする時はほぼそれだった。
家に届くDMやカードの明細なんかもほぼ偽名なのにこの店ではわざわざ本名なのが少し引っ掛かる。
「こちらへどうぞ。足元段差になっておりますのでお気をつけください」
初対面の俺宛であろう店員の言葉にはあ、と気のない返答をしながら自分が浮きまくっている自覚から早くこの店を出たいなと思った。
何というかこういう場所は落ち着かないし俺には向いていない気がする。
ココが居なかったら一生縁の無い店だろう。
「ほら、大丈夫かイヌピー」
ぼんやりしてしまった俺の背中に回ったココの腕が促すから乗り気では無いまま通された奥の個室に入った。
店員の男が白い手袋で取り出した2つの鍵でそれぞれの施錠を開けるとまるで金庫かと思うほど厚さのあるドアを重たそうに開けた。
この奥の部屋にそんな貴重な物があるのだろうか。
何か壊れ物とかだったら怖いなと少しビビりながらも室内に入ると中にはテーブルとソファが置かれていてそこに座るように促された。
ガラスで出来たローテーブルと見た目以上にふかふかな革張りのソファにいよいよ怪しい取引でも始まるのかとつい身構えてしまった。
「お一つずつお持ち致しますか?」
「両方持ってきてくれ」
「畏まりました」
店員とココのやり取りを黙って見ていたら、別の店員が俺とココの目の前にこれも高そうなティーカップを置いていく。
中は琥珀色の液体が淹れられているから多分紅茶だろう。
慣れない場所にそわそわと落ち着かない俺とは対象的にココは優雅に紅茶を口にしている。
そういう仕種一つ取ってもココは様になってて格好良いなとつい見惚れていたらこちらになります、と店員が青いビロードの…これは俺も何かわかる、多分リングピローらしき物を差し出してきた。
「は?」
思わず素の声が出てしまった。
何故かココじゃなく俺の目の前にでっかい石の着いたキラキラと嘘みたいに光ってる指輪が置かれたからだ。
大粒のダイヤ…だろうな多分これは…それを飾るように小粒の青いサファイアらしき石も添えてある。
流石に俺でもこれがとんでもない値段なのは何となく解る。解るのだが何故俺の目の前に置くのだ。
「やっぱ綺麗だな。イヌピーの瞳の色に合わせて選んだんだぜ」
「は?」
ココがその指輪を手に取ると俺の瞳と見比べるように翳してきたから再び間抜けな声を出してしまった。
近くで見ると更に四方八方から光りを集める宝石の輝きに目が眩みそうになる。
「ええ、お客様の肌の色にも映えてとてもよくお似合いです」
ニッコリと笑って店員がココに同意しているが置いてけぼりなままの俺はぽかんと口を開けてしまう。
それをリングピローへ戻すとココに気に入った?と聞かれてもそんな物見た事も無いしこの先も着ける予定も無いから何も答えようがない。
「まあこれは保険みたいなもんだから日常的に着ける訳じゃねぇしな。だから結構デザインも遊べて楽しかったけど」
保険だとか言ってる意味はわからないが俺のバイク弄りでオイルが染みて黒くなった指には全く相応しく無い代物だし日常的じゃなくて当たり前だ。
石の色味もかなり吟味されましたからね、そのお陰で値段も倍になったけどな、とか何とか店員と談笑してるココにまさかこれ買うつもりか?と信じられない心地で見てしまう。
ココの趣味に口出す気は毛頭無いが、そこに俺が絡んで居るとなるとどう反応したら良いのか解らない。
「イヌピーが着けるのはこっち」
状況をまるで理解出来ていない俺の事はお構いなしにココが俺の左手を取った。
リングピローにもう一つ差してあったプラチナのシンプルなリングを手に取ると何の躊躇いもなくそれを薬指に嵌めて来る。
「ちょ、ちょっと待て何だこれは」
「うん、サイズピッタリだ。良かった。」
イヌピーが寝てる時に頑張って採寸した甲斐があるわとか満足気に言ってるココは動揺しまくっている俺を置き去りにして指輪をまた指から外した。
あまりの事に唖然としてる俺を気にする様子も無く店員に包装を頼むと、店員は了承して店の前にタクシーをつける旨も伝えてくる。
そりゃああんなバカデカイ石の着いた指輪歩きで持ち帰る方がどうかしてると思うが論点はそこでは無い。
「どういう事だよ。マジで、解るように説明しろ」
店員が席を外した隙に小声でココに詰め寄るが何がと言わんばかりの顔をされてイラッとする。
突然こんな場所に連れて来られたかと思ったら見た事も無いような石のついた指輪と、それからまるで…そうだ、まるで結婚指輪みたいじゃないかアレは。
シンプルなプラチナで出来たもう一つの指輪は何処に嵌められた?
左手の薬指だったよな。という事は…つまり。
「イヌピー知ってるか?婚約指輪が給料の3ヶ月分てのは旦那の方が先に死んだりした場合、遺された妻や子供がそれで暮らしていけるようにって説があるらしいぜ」
「は?何の話だよ…」
本当は怒鳴りたいぐらいだったが、部屋の隅で作業をしている店員の目を気にして声量を何とか抑えた。
「待て、ココの給料の3ヶ月分て…幾らだよ…」
「そこら辺の奴らよりは甲斐性あると思うぜ」
「そもそもお前んとこ給料制なのかよ…」
考えたら頭痛と動悸でぶっ倒れてしまいそうな気がしてもういい、と口を開こうとしたココを止めた。
これ以上とんでもない話をされたら本気で腰を抜かして立てなくなりそうな気がした。
「じゃあさっきのエグい石の着いた指輪がそれだって言うのか…」
「イヌピー大正解」
大正解じゃねぇ…と唸って睨みつけだがココは機嫌が良さそうに笑っているから脱力した。
追い打ちを掛けるように俺のはこれ、と無造作にポケットにしまわれていたさっきのプラチナのリングとお揃いのリングを一つ取り出した。
「ちゃんと内側に青宗って掘ってあんだぜ。あとで俺の指にも嵌めてくれよ」
「ココ、お前本当に時々俺より馬鹿だな」
飽きれた声で言う俺を見てもココは笑っているばかりでこれは何を言っても無駄なやつだなと悟る。
俺の事を頑固だとか言うけどココだって結構人の話を聞いてくれないだろ、と思ったが言う気力も無かった。
「こんなもん家に置いとくなよ」
俺とココが住む部屋は極一般的な賃貸だ。
セキュリティーが厳重とは言い難いし普通の住宅街だがもしもの時があるかもしれない。
こんな値段も解らない恐ろしいくらい高額な指輪が家にあるなんて仕事中も気が気じゃなくなってしまう。
「そうだな、後で貸し金庫にでも入れとくわ」
「そうしてくれ。じゃねぇと心臓が持たねぇ」
俺の反応によほど気をよくしてるのかココは帰る道中もずっと上機嫌だった。
途中で飯を食ってくかと言われたがそんな物持っていつもの定食屋に入れねぇだろととりあえず帰ってきた。
「何でいきなりそんなもん買うんだ」
先程のジュエリーショップでココが言っていた言葉を思い出した。
確か婚約指輪の薀蓄だった。給料3ヶ月分は旦那が死んだ時に遺された嫁子供が生活に困らない為だとか。
つまりココに何かあった時にその指輪を売れって話なんだろうけど。
「婚約指輪って言ったら定番だろ。給料3ヶ月分。一度やってみたかったんだ」
「やってみたかったでやる値段じゃねーよ。100万の指輪とかでも俺には持て余す」
アクセサリーのほぼ身に着けなければ宝石だのブランドだのにもまるで興味が無い。
バイクには多分そんぐらいの金突っ込んでるとは思うけど…。
「だから保険みたいなもんだって」
「あんなん売り捌いたらそれこそ一生生活に困らないどころか余るだろうな」
「イヌピーには贅沢させてぇからな」
「お前が俺より先にくたばったらあの指輪売っぱらって全部バイクに注ぎ込んでやるわ」
縁起でもない事言うな、と文句を込めてそう言ってやったがココの居る組織の事を思えばあながち杞憂でも無さそうなのが嫌だ。
それを考えると俺と居ない時のココを俺は知らないし考え出すと心配でおかしくなりそうだからなるべく考えないようにはしているが。
それこそ仕方ない、と割り切るしか無いのかもしれないが幾ら好きになった男がそういう環境に身を置いていたとしても死んで欲しくなんか無いのは当然の感情だ。
「こんなん渡されても困る。俺はもし死んでもココに遺してやれるもんなんてバイクぐらいだし」
「イヌピーが死んだら俺はイヌピーのバイクに乗って壁にでも突っ込むかな」
「やめろ、バイクが大破しちまうだろーが」
そっちの心配かよと笑うココにつられて俺も笑ったら緊張で強張っていた肩からやっと力が抜けた気がした。
慣れない場所や突然の出来事に落ち着かない事ばかりだったから少し気疲れした気がする。
「そういえば、もう一つのやつは」
あまりに豪華な指輪にそっちばかりに気を取られて居たが重要なのはそっちの方だろうとココを見るとテーブルに置かれていた紙袋から箱を取り出した。
高級感のある外装の箱を取り出すとパカリと開けてこちらに見せて来た。
白銀に光りを反射するシンプルなデザインのそれだって恐らくかなり高価なものだろうと思う。
でもさっき凄いやつを見たせいか少しばかり落ち着いた気持ちでそれを見れた。
一瞬だけ嵌められたそれをケースから取り出してつるりとした表面をなでから光りに翳した。
内側にはローマ字ではじめ、と誕生日が彫られているのが目に入った。
「婚約した覚えも無きゃ結婚した覚えも無いんだけどな」
「片膝ついて結婚してくれって言えば良いか?」
「いらねぇ…」
フザケた口調で茶化したココに指輪を手渡した。
夜景の見える高層階のホテルの部屋で高級なスーツに身を包んだココに指輪を差し出されて結婚してくれなんてプロポーズされたら多分逃げ出してた。
それ俺にじゃねぇだろ、ってブチ切れて大暴れして後からとんでもない請求書が届くかもしれない。
「どうすりゃイヌピーが怒らないか考えたんだけどな、何してもとりあえずキレそうだから強引に行く事にした」
「俺を猛獣か何かだと思ってんのか」
「元ヤンは怖ぇからな」
指先で指輪を転がしながらココが俺の左手を取った。
さっきは唐突過ぎて何かを考えてる余裕も無かったが急に緊張して鼓動が早くなって指先が震えた。
「結婚してくれなんて言えねぇけど、俺が先に死んだら骨はお前が拾ってくれ」
俺の手を一度唇に寄せると手の甲にキスを落とされて耳がじんわりと熱くなった気がした。
それから薬指を撫でると視線を合わせて吸い込まれそうなくらい深い黒の瞳が優しく見つめて来る。
「一緒に死ねなくてもお前の所に帰りたいんだ」
どんな言葉よりも胸を熱くするくちづけと共に薬指にプラチナの指輪がピッタリとはまった。
裏側に愛する男の名前が入ったそれの重みがただの無機物なのに大切に思えてくるから不思議だ。
「いいよ、俺がその時はココを迎えに行く」
戯れのように薄い唇を食んで抱き締めるとココの手が直ぐ腰に回される。
一見細身に見えるこの服の下にはしっかりとした筋肉質な体があって色っぽく背筋が動く様を知ってるのは俺だけだと良いなと思う。
ココの着ているジャケットのポケットに指を差し入れて目的の物を探し当てる。
腰を撫でる悪い手を取ってからさっきのココを真似るように手の甲に口づけると同じように薬指に銀を滑らせた。
「この部屋が俺達の教会か」
「悪くないだろ?」
「お前と一緒なら何処でも最高だよ、青宗」
「ああ。これでもう逃さないからな、はじめ」
望む所だ、と囁いたココの唇が近付いて来て重なるより前に待てなくて俺の方からそれに噛み付くみたいに口づけたらやっぱり凶暴だなと笑われた。
どんなに誓い合っても俺達の明日はどうなるかも解らない。
それは変わらないけど、それでもそこにあるのは目に見えなくとも確かに愛という感情だ。
死ぬ間際にその顔を思い浮かべる相手が居るのはきっと人生の最後を豊かにしてくれるだろう。
だけど今はまだ2人の時間を過ごしたいからまだまだココを死なせる気もない。
何せ俺達は新婚なんだしな。
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