確かにそこには愛がある。2ココと再会してから数ヶ月。
俺の日常は相変わらずバイク屋で働き、仲間に囲まれてそれなりに楽しく過ごしている。
変わった事といえば、1ヶ月の内数回はドラケンの誘いを断って夕飯を食べに家に帰るようになった事。
それから住む家が少しだけひろくなった。
自分以外の誰かとお揃いの鍵を持つようにもなったし、たまにベッドは二人分の重みに沈んだ。
苦手だった料理も少しだけ出来るようになったし、誰かの為に家事を頑張ろうと思えるようになった。
洗濯はまだ失敗してしまうからまとめてクリーニングの世話になってる。下着くらいは洗えるけど。
つまり、俺は今半同棲生活をひっそり送っている。
誰と。勿論、ココとに決まってる。
仕事が反社のココと、極平凡なバイク屋の俺とでは生活のリズムも違えば世界も違う。
だからココがこの部屋に帰ってくるのは月に数度。
毎日ココに会えるわけでは無い。
それでも全くココと会わずに暮らしていた数年間とでは気持ちも何もかもが新鮮で満たされている。
こんな風になれるなんて夢にも思って居なかったけど、ココと再会してから連絡を取るようになってたまに食事に行くようになってそれから直ぐにココがこのアパートを借りてきた。
イヌピーが嫌じゃなきゃ俺が帰れる時はここにいて欲しい、なんてココにお願いされたら俺は尻尾を振って帰りを待つに決まっている。
それまではココに連れて行かれるのは高級中華レストランの個室だとか、高級ホテルでのルームサービスだとかそんな贅沢なものばかりだった。
そういう場違いな所に連れていかれる度に気後れする俺に、ココは申し訳無さそうにごめんと謝った。
仕方ない事だった。今やココは巨大組織の幹部で、警察や公安からもマークされているし(流出したとされてるココの写真はダミーらしい)命を狙われる可能性もある。
人目につかない場所を選ぶのは当たり前の事だった。
だからココが謝る事でも無いし、俺はココに会えるだけでいつも夢みたいに幸せだった。
あれから俺達は急速に仲を深めていった。
好き合って居たのだからそれは当たり前なんだけど、ココと俺の間にあるものは複雑で重たくて幾重にも絡まった毛糸の塊みたいなもので、それを解くのは難しい事だった。
それでも、色んな事を解った上で俺とココは密会し続けた。
ココの事がずっと好きだった俺は、いつもココになら何をされても良いという気持ちで会いに行っていたのに。
ココは好きだと言えば俺も好きだよ、と返してくれるのに抱き締めて優しいキスをしたら日付が変わる前には俺をタクシーに乗せた。
それ以上の事は俺とココには起きなくて、もしかしたらココはこれで満足なのかなと思うと俺は身勝手な欲を押し付ける事も出来なくて耐えるしか無かった。
食事を一緒にして、時にはアルコールが入って上機嫌になるとココは可愛いとか本当に綺麗だとか、俺好み過ぎるとかこんなイヌピーを独り占め出来て幸せだとかそういう何だか歯の浮く甘い台詞を言う癖に。
それでも理性的に紳士な振る舞いというやつを崩さなかった。
見た目は派手でチャラくて反社の癖に。
大事にされてると言えば聞こえは良いけど、ココはもしかしたら本当はそんな気は無くて俺を弄んでいるのでは?と疑心暗鬼にもなった。
でも俺の気持ちをぶつけたらココともう二度と会えなくなってしまうかもしれない。ココに逃げられたらもう絶対立ち直れないし、権力もコネも持ったココを見つけ出すなんてきっとできない。
そう思うと強くも出れず、悶々とする日々を送っていた。
控えめに行ってもあの頃の俺の忍耐強さは凄かった。
とはいえ、俺はそんなに我慢強い方でも無い。
喧嘩ばかりしてきたし身体的な痛みとかなら我慢も出来るし得意だ。
でも内面の方はその真逆。気も短いから本当は結構怒りっぽいのはココだけは知っている。
ココはそれを末っ子の我儘と言うけど。
普段の俺はボーとしてるとか、あんまり怒らないとか言われてるけどそれは単にそこまで他人に興味が無いだけだ。
あまりに理不尽な事を言う客は今でもぶっ飛ばしてやろうとか思ってるけど、ドラケンに迷惑をかけたくないから我慢してるだけ。
そんな俺がココと密会する事になって2ヶ月目辺りで限界を超えた。
俺にしてはよく保った方だと本当に思う。
その日も食事をしながら他愛無い会話を楽しんだ後、ココは俺を抱き締めて愛おしそうに大切そうにキスをした。
それ自体はとても嬉しかったけど、俺の理性は悲鳴をあげていた。
簡略すると俺はココを高級ホテルのベッドに押し倒して襲った。未遂だったけど。
途中まではココも流されてくれそうだったけど、何せ俺はこういった経験に疎かった。
ファーストキスはココだし、恋人と呼べる相手もココしか居ないし、それ以外は喧嘩してバイク弄ってただけだからどうすれば良いのかわからなかった。
そんな俺を見兼ねてココは押し倒されていた態勢から逆に俺を下にしてキスをしてくれた。
いつもの触れるだけの子供のじゃなく、ちゃんと大人のキスだった。
舌が入ってくるそう、凄いやつだ。
今夜俺はココとついにそういう事をするんだ、とキスの息苦しさにぼんやりしながら考えてたら。
あろう事かココはそれ以上はしなかった。
「イヌピーがピュア過ぎてここで襲ったら俺なんか犯罪者の気分になるわ…」
「反社の癖に何を今更」
「そりゃそうなんだけど。反社でも好きな奴目の前にしたらこんなもんでしょ」
「俺がもっと経験豊富でココをリード出来るくらい余裕があれば良かったのにな」
「やめてよ、イヌピーが他の奴とこうい事してんの考えたくもねぇわ…」
「俺だって、ココ以外となんてしたくねぇ」
その時、ココは経験あるんだろうなって悟ったし悲しくなった。
嫉妬する気持ちもあったけど、他の奴とはセックスする癖に俺とは出来ないのはやっぱり俺ではそんな気になんねぇのかなとか思った。
生理的なものはどうしようも無い。ココとこうして会えるだけでも良いじゃないか。そう思い込もうとしたけど俺だって、好きな奴を目の前にしたら理性的にはいかなくなる。
ココに俺以外の奴が触れて、俺の知らないココを知ってるのに俺は何も知らないままなのも悔しかった。
「…俺にココをその気にさせる色気が無いからか」
「んな事ねぇよ。イヌピーは綺麗だし、色気もあるよ。正直何度もこのまま抱きてぇと思ったし」
「でもしないなら、結局そういう事だ。俺に魅力が無かったって。」
「だから、そういう事じゃねぇーんだよ…わっかんねーかなぁ、イヌピーには」
深い溜息を吐かれてまるで俺が駄々を捏ねたガキみたいな扱いをされてめちゃくちゃ腹が経った。
余裕ぶってるココもいけ好かないし、自分ばかりがココを求めてるみたいなのも嫌だった。
その日、再会してから初めて俺達は喧嘩をしてしまった。
その時はもうココの顔なんて見たくねぇし、さっさと警察にでも捕まっちまえ!とか半分くらい本気で思った。
お互いに酷い言葉も言い合った。幼馴染で親友の俺達は互いが一番傷つく言葉を知っているから、それはもう酷い罵り合いになった。
死ねとかぶっ殺すとかも言った。2人とも。
流石に殴りはしなかったけど胸ぐらは掴んだし、椅子を蹴飛ばしたりもしたな…子供みたいな喧嘩だったけど俺は腹が立って帰る!って部屋を飛び出した。
自分がどんな顔をしてるかもわかんなかったけど、酷い形相だったんだろう。
すれ違う客やホテルの人間がギョッとしていたから。
そうして高層階からロビーを抜けて、外に出てバイクで来たわけじゃなかったから足が無い事に気付いた。財布にもそんなに現金は無くて一瞬途方にくれた。
けどまだ怒りで熱くなってたからその日は気合で歩いて帰った。
めちゃくちゃ遠くて足がガクガクする程歩いた。
帰ってスマホを確認したらココから着信が1件とムカつくけど心配だから着いたら連絡しろってメールが入ってた。
ココに大切にされてるの解ってたのに、あんな事で駄々を捏ねた自分を反省しかけた。
けどメールの最後にバカイヌピーって書かれててやっぱりぶん殴っておけば良かったと思った。
家ついた!バカココ!って送ったメールに返信は無かった。
そんな喧嘩をした俺達がどうやって半同棲まで行ったのか。
不思議な話だと、俺も思う。
結局ココは俺を甘やかしてしまうし、俺はココが好きだからココの言う事を聞いてしまう。
それが身に沁みてわかったし、俺とココは一緒にいる限りずっとこうなんだ。
イヌピーと再会してからの流れは穏やかに過ぎていった。
一度は離れようと思った相手だったのにもう顔を見てしまったら無理だった。
好きだという気持ちを抑えられるず、時間さえ作れればイヌピーを呼び出し食事してキスをして見送った。
俺の前でイヌピーがニコニコして嬉しそうにその日あった事を話して、飯食ってるの見てるだけで満足してた。
20歳も過ぎて何言ってんだ、って思われるかも知れないが俺はイヌピーと会って顔を見てるだけで胸がいっぱいだった。
ハムスターみたいに口いっぱいに食べ物放り込むのも昔から変わってなくて可愛いし、何より俺の事が好きだってダダ漏れの顔して見てくんのが堪らなかった。
大好きな飼い主に尻尾ブンブン振ってる犬みたいで抱き締めて頬ずりしたくなる可愛いさだ。
とは言え、イヌピーも離れてる間にそれなりに大人になってるわけで。
イヌピーの顔が綺麗なのは昔からだけど、髪の毛が伸びたのもあって昔は感じなかった色気も出てきて正直な所このまま抱きてぇなと何度も思った。
ガキの頃よりも睫毛が長くなって瞬きする度に出来る影が、色っぽくて。
昔から変わらず重た目の幅の広い二重越しにトロリとした青い目で見つめられるとドキリとした。
口いっぱいに頬張る癖にその口はちっちゃくて厚めの唇が尖るのもヤバかった。
噛み付くみたいにキスをして、押し倒してそのまま欲望のままに抱けたら良かったのに。
そんな欲よりも俺はイヌピーが大切で大切で。誰よりも守りたいし、傷つけたくも無かった。
別に女扱いしたいわけじゃないんだ。
そんなんじゃなく、イヌピーは俺の宝物みたいな存在だから。他の顔も覚えてない誰かを抱いたみたいには扱えないしそんな風にはしたくなかった。
何よりも、この一線を越えてしまえばきっと俺とイヌピーはもう後戻り出来なくなるから。
俺とイヌピーはやっぱり住む世界が違う。
本来ならこうして会うことも駄目な筈だった。
再会して浮かれて、連絡を取って…そんな事するべきじゃなかった。
今ならまだ引き返せる。イヌピーを普通の日常に返してやれる。
そう思うとイヌピーに手なんて出せなかった。
俺が自分の欲を優先してどうにかして良い相手じゃない。
解ってるのに、覚悟も無い癖に、俺はイヌピーと逢瀬を重ねては満たされる気持ちと罪悪感との狭間で苦しくなった。
何度もこれで最後にしよう。今日こそはイヌピーにさよならを言おう。
そう決心してはイヌピーの可愛い顔を見て揺らいで何も言えなくなる。
本当に些細な事で、例えば俺の好物が皿に載ってるとこれココが好きだったやつだろ、と自分の分を寄越してくるとかそういう小さな事でもイヌピーが愛おしくなって堪らなくなった。
別れる前はもっと華奢だった体も今はすっかり男らしい体つきになった。一人前の男だって知ってるけど俺に取って乾青宗は守ってやりたい人だった。
抱き締めて触れるだけのキスをして、これで最後にしようと思うのに次はいつ会える?と期待した目で問われると次の予定も入れてしまう。
こんなんじゃ、全然離してやれない。馬鹿みたいだ。
どう考えてもこのままで居られるわけがない。
触れるだけの子供のままごとみたいなキスをしただけなのに、イヌピーは頬を染めて幸せそうに笑う。
俺はそれだけでガキみたいにドキドキして、満たされる。
明日にはイヌピーに触れたこの手で顔も良く知らない誰かを地獄へ突き落とす癖に。
そんな俺の気も知らずにイヌピーはいつまでも手を出して来ない俺に焦れていた。
そんな様子は見てれば直ぐにわかったし、その気になってるイヌピーを衝動のまま抱きたいって俺だって思ってる。
それでもイヌピーを引きずり落とす覚悟も決心もつかない俺はのらりくらりとそれを躱し続けた。
そうしてとうとうイヌピーに我慢の限界が訪れた日、俺はイヌピーに押し倒された。
このままイヌピーが俺を求めて来るのなら抱かれるのも良いかと思った。
俺も男だからイヌピーを抱きたいし、抱かれる方は未経験だったからどうなるのかわからなかったけど。
イヌピーに流されてヤッちまえば、いつかイヌピーにお前のせいで、って責められた時に手出したのはお前だろ?って逃げ道が出来るんじゃないかって狡い事も考えた。
だけどイヌピーは俺が思うよりも、ずっと純粋で綺麗だった。
キスの仕方もぎこちなくて、俺に触れる手は緊張で指先が冷たくなってて。
何も知らないんだな、あの時のままなんだな。
そんなイヌピーを俺は卑怯にも嵌めよとしてしまった。最低の気分だった。
そのまま抵抗してくれたらそれを理由にやめてやろうと思って、イヌピーをベッドに逆に押し倒してキスをした。
強引に舌を捩じ込んで呼吸する間も与えないような、相手の事を思いやらない身勝手な快楽だけを求めるようなキスをした。
興奮よりも冷静にイヌピーを見下ろしていた。
ちょっとでも嫌がってくれればいいのに、って思った。この期に及んでもイヌピーのせいにしたかった。
イヌピーがガキだからつまんない、欲情出来ないって酷い事を言って突き放してやれば流石にイヌピーだって嫌になるんじゃないかと思った。
そんな思惑とは裏腹に、イヌピーは顔を真っ赤にしてギュッと目を閉じたまま、辿々しく舌を絡ませ必死に俺の意地悪なだけのキスに応えようとする。
健気過ぎて、そんなに俺が好きなのかって、愛おし過ぎてどうしようもなかった。
こんなに不器用ながらに必死で俺を好きで居てくれるイヌピーにこれ以上酷いことをする気にもなれず、体を離した。
勿論文句を言われたし拗ねられた。自分に色気が無いから、なんて言わせてしまった。
そんな訳ない。俺は再会したあの日からお前にずっと骨抜きにされてんだよ。
大切過ぎてどうしたら良いかわかんなくなってるくらいなのに。
当然俺のそんな心境をイヌピーが知るはずも無く、詰られた。
イヌピーは頑固だし一度臍を曲げると機嫌がなかなか治らない。
そうなったイヌピーを宥めるのは至難の業だ。
いつもなら何とか機嫌を取ろうとあれこれして見せて、イヌピーの我儘は何でも出来るだけ聞いてやる所だけど俺の気も知らないで煽るイヌピーも悪い。
可愛い顔して口が悪いし手も早いイヌピーに胸ぐらを掴まれて結構本気で苛ついた。
コイツ、三途の死体処理現場に放り込んでグロい光景見せてやろうかと半分本気で思った。
幼馴染で親友の俺達は互いの傷の抉り方も心得ているから、そりゃあもう聞くに耐えない罵詈雑言の応戦になった。
口は俺の方が達者だから時々言い返せなくてイヌピーは癇癪起こして椅子を蹴り飛ばしたりもした。
俺だってイヌピーじゃなきゃ、こんなのとっくにぶっ飛ばしてる。
本気でキレた時の美人は迫力があると言うが、イヌピーのキレた顔は俺からすると可愛いから困る。
結局何してもコイツは可愛いから狡い。そうやって俺は何度折れてやったかわからない。
今回もそうなるのかと半ば諦めかけた時。イヌピーは俺から手を離すと帰る!と怒鳴りつけてドアを乱暴に開けて出ていった。
内心ホッとした心地で俺はベッドに腰掛けて溜息を漏らした。
荒れ果てた部屋。カーテンは外れてるし、椅子やらテーブルやら食べ残した皿たちもとんでもない方向に飛んでいってる。
これ以上イヌピーと喧嘩が続いていたら幾ら高い金払って借り上げたスイートとはいえ、警備員を呼ばれてたかもしれない。
一般人になったとはいえ、イヌピーの狂犬ぷりは健在なようだった。変な奴に絡まれてもこれなら安心だなとかアホな事を考える。
ふと、そういえばイヌピー帰りの足無いじゃんと思い当たる。
俺が誘って来て貰ってるんだから財布なんて持ってこなくていいと言ってるし、イヌピーはそういう所素直だし俺に対して甘え慣れてるから多分本当に金も無いだろう。
ここで俺が言ってイヌピーが言う事を聞いて手配したタクシーに乗るとも思えなかったけど、一応電話をしてみる。
やはりイヌピーは出なかった。
こんな遅い時間にあんな可愛いイヌピーを放り出してしまったと一瞬本気で心配した俺は贔屓目が入り過ぎている。イカれてると我ながら思う。
幾ら美人でも身長もそれなりにあるし成人男性だ。
そうそう襲われたりはしないだろうし、今の怒りの余韻を残したイヌピーを襲おうとしたら倍返しで返り討ちだろう。
今でこそ普段はぽやんとした空気を放っているけど恐喝、暴行その他諸々の罪状で少年院まで行った男だ。
襲った男の方が気の毒になる。
とは言え、世の中どんな奴が居るかもわからない。
心配は心配だったから、帰ったら連絡してくれとメールを打った。
打った側からさっきのキレ散らかしたイヌピーを思い出して腹が立ってきたからバカイヌピー!と付け足した。
数時間後に律儀にイヌピーから無事に帰った報告とバカココ!とのメッセージが届いた。
それを見て安心した俺は、仕事とイヌピーとの喧嘩で体力を消耗したせいで眠たくて荒れた部屋の中で眠りに落ちた。