とろける、みとれる。 郡司晃はふぅ、と長いため息をついた。
今日の任務もとにかくしんどかった。
催事コーナーでのチョコ強盗なんて宇宙人も地球人と同じことを考えるんだな、と郡司はロッカーをぱたんと閉めながら思う。
なにも、この愛の最終決戦を控え多くの人がひしめき合う当日を選ぶことは無いのではないかと文句のひとつでも言いたい気分だ。
本日は2月14日。
男の子なら誰もがソワソワする甘味の祭典だ。
もれなく晃も落ち着きのない1日を過ごしたものの、成果といえば……
晃はいつもと変わらぬ重さのカバンを肩に背負い、またひとつため息を吐いた。
犯人は無事確保したものの、チョコが欲しかったと供述したその男に少し通ずるものもあり少し心が痛んだ。流石に強盗はしないけれど。
ふと更衣室まで一緒に来た天空橋翔を見る。
学校を出た時には「なぜか毎年お菓子を沢山戴ける日があるとは思っていました。」と不思議そうな顔ではち切れんばかりの紙袋が3つも抱えられていた。
現場に到着するまでに今日がどんな日なのかを説明し続けたところ、バレンタインについて理解したようでどうりでと納得していた。ここまで知らないところを見ると、彼の上司であり恩人の雨宮は面白がって教えなかったのかもしれない。
顔がいい彼の事だから今日はとんでもない目に遭うのだろうとは思っていたが、流石にAMOの支部に来るまでに熱い視線を感じ続けていたことを思えば、整いすぎも如何なものなのかと別の同情が湧いてきた郡司だった。なんなら現場でも僅かではあるが黄色い悲鳴が上がるほどだから、女性とは強かなものだと感心すると同時に天空橋の整った顔に畏怖すら覚えた。
そんな浮世離れした真の勝ち組の彼とはこの敗北感を分かち合うことは出来ないのだろうな、とまたひとつ息を吐いた。
「郡司さん、お疲れですか?」
着替えを追え、手荷物を整え終わった天空橋が郡司の顔を覗き込む。顔が良い、と改めて知らしめられる。
「あ、うん…人がいっぱい居たから大変だったな……なんて。」
当日ともありかなり多くの女性が売り場にはいた。その人たちの記憶を消すための手続きは凄まじかったことは想像がつくだろう。
自分のもの(ではないが)を奪われないよう逃げ回る犯人を捕まえるだけで溜まった疲労は、後処理のせいで倍どころではおさまらない。きっと今日で1ヶ月分は働いた、と郡司は言い張ろうと決めた。
ぐっと拳を握ると同時に、ぐーと音が鳴り響いた。
「お腹が空きましたね。」
先程までコンビニで買ったおにぎりを頬張っていたような気がするが、お店のバックヤードに遠慮をした量のおにぎりでは天空橋の腹を満たすことは出来なかったのだろう。
「そうだ、ひとついかがですか?」
がさごそと袋を掻き回し、その中のひとつを開け郡司に差し出す。
「疲れた時は糖分を摂取すると元気になります。」
当然のようにチョコレートを差し出してくる天空橋に郡司は思わず慌てふためく。
「いや、悪いよ……そのチョコは天空橋君が貰ったものだから……。」
「お気になさらず」
とはいえ、きらきらと綺麗に飾られたラッピングを見るに、贈り主が込めた想いに心が締め付けられる。受け取るのはやはり気が進まない。
「こういうものは気持ちが入ってるから、天空橋君以外が食べちゃダメだよ……。」
郡司の言葉を受け、天空橋はじっとチョコを見つめる。
「なるほど、これは気持ちなんですね。考えたこともありませんでした。」
天空橋はひとつつまみ、それを口に入れる。
「甘いです。」
イケメンはチョコを食べるだけでこんなに絵になるのか、と郡司は思わず見とれた。
天空橋は味わうかのように少しずつ、ゆっくりと食していく。
その様子があまりにも甘美で、目が離せなかった。
手の温度で溶けたチョコレートを舐め上げる指に思わず喉が鳴る。
「……郡司さん?」
はっと気づく頃には天空橋の手の中にあったチョコレートが消えていた。
「やはり、お疲れですね。」
自分の腹部を撫でた天空橋は首を傾げる。郡司は決してお腹が空いて集中力が切れた訳ではないのだ。
しかし流石に同級生の、同性がチョコレートを食べているところに見蕩れてました、なんて言えない。
「何か食べて帰りましょうか。何がいいですか?」
最近では恒例になった、放課後の寄り道だ。
最初は何を話せばいいのか、流れる沈黙が気まずくて気が進まなかったこの時間も、郡司にとって大切なものになっていた。
「そうだね、今日は頑張ったしハンバーガーがいいな。」
つい3日前もハンバーガーを食べに行った気がするが、郡司は口にした瞬間ファストフードの口になっていた。
「わかりました。では行きましょうか。」
荷物を抱えた天空橋に、郡司は手を差し出す。
その手に応えるように、天空橋は郡司の手を握った。
「ち、違うよ……チョコ持つから、ひとつ貸してください。」
真っ赤な顔で俯いた郡司に、天空橋は心がぎゅうと締め付けられた。
何故だろうか、この手を離したくないと思ってしまった。
天空橋くん?と潤んだ瞳が見上げる。天空橋は心臓が跳ねたようで思わず手を離した。
1人で荷物を持たせる気はないことは、数ヶ月一緒にいて分かった。天空橋は素直に渡すことにした。
「では、お願いします。」
郡司ははい、お預かりします。と答えると更衣室の扉に手をかける。
「じゃあ行こう、天空橋君。」
天空橋はその背中を見る。いつかの背中に重なり居てもたってもいられなくて、郡司の背を追った。
大丈夫、今は隣にいる。そしてこれからも隣にいるのは自分でいられるよう、願いながらその扉を潜った。