heaven can waitナチュラルに距離感がバグってるけど付き合っていないし珍しくやってもいないタイプのエリソーちゃん。-
夢から覚める。
うららかな空気に呼び覚まされ、まぶたを持ち上げた向こうから、意外にもつぶらな瞳に覗き込まれていた。
「ひぁ……」
と、その距離の近さからでなく、別の理由でエリジウムは第一声に間抜けな声をあげた。
百年に一人のイケメンとしてあるまじきな行動という気もするが、こればかりは仕方ない。なぜなら、
「……ブラザー、顔がいい……」
そう。
相手の顔がいいからである。
寝起きにこんな距離で美貌を見せびらかされた誰でも変な声を出すに決まっている。
褒められた金眼のエーギルは、いつもの涼しい顔で「そうか、お前もな」とぞんざいな態度で適当な返事を寄越しながら、エリジウムから毛布を剥がして、一応一歩下がった。
そうか、距離がちょっと近がったね、あれだと僕は起きられないか、とどうでもいいことを思いながら体を起こした。
「おはよう。メガネを貸してくれ」
「おはよ…メガネ?」
窓から差し込む日差しをぼんやり眺め、エリジウムは一度欠伸をした。寝起きは悪くないほうだが、今日が久々の休日であり、昨日の夜は深夜まで起きていた。
「あれ…?今日は面倒…変わった任務があると言わなかった?こっちにきて大丈夫──って、え、なにこれ」
部屋のキーを交換しているから、ソーンズがここにいること自体は特に驚きではない。いつもの朝、いつもの部屋、そしていつものブラザー。異常なし。
変わったことがあるとすれば、それは一つだけ。ソーンズが任務時に普段着用している服を着ていなかった。
気持ち程度だがアーツ防護加工もしているし、何よりポケットのレイアウト変更が面倒だから、特別な理由がなければ任務用はいつもの同じ服を着るのに。
かと言って酷使されてぼろぼろになった白衣や、彼の部屋に残されているエリジウムの服をきているわけでもなかった。
白いTシャツにハーフパンツ、黒いハイソックスとスニーカー。
「なんでまた、こんな、目が合ったら否応無しにボールに仕舞われるモンスターで対戦しちゃう少年みたいな格好を…水属性の使い手かな…」
「なんだその訳わからない割に妙に細かい文句」
「いや…自分でも何を言ってるか分からないけど、なんか言わなきゃいけない義務感が…」
よく見れば、シャツの上に、la verdadera destrezaと書かれている。主張が強すぎない?エリジウムはいよいよ言葉を失った。
「変なやつだ」
ソーンズは首を傾げたが、まあどうでもいい、と背を向けてベッドに腰掛けた。
「任務のニーズだそうだ。それより、自分で結んでみたが、うまくいかない」
ああ、まあ、そういえば最近大体僕がやってるもんね、と合点が行った。
「ニーズって…ブラザーそんなペドフィリアくさいニーズのある任務に行くの?大丈夫?地味に心配なんだけど」
「俺はむしろお前の頭が心配だが」
「あはは、まだ半分寝ているようなもんだからね〜…」
「その顔はやめろ、気が抜ける」
「えぇ…見えてないのに」
「見えなくても分かる」
「そう言われてもぉー」
黒い髪の毛を手櫛で整理しながら、いつもの軽口を交わす。元々は柔らかい直毛だったらしいが、経年の爆発によりくせがつきやすくなっているし、乾燥もかなりひどかった。
渾身の保湿トリートメントでなんとか艶と手触りを取り戻した黒髪をいじりながら、エリジウムはふと気付く。
「ずっと一緒にいる中々分からないけど、随分長くなったね」
「ハサミをなくしてな。おい、編み込むな」
「いいじゃん別に、かわいいし。というか、自分で切ってるの?」
エリジウムは若干引いた。対してソーンズは、落ち着かない、と文句をいった。
「メガネって僕が去年の冬に使ったあれ?引き出しに中に入ってるけど、アクセサリーに興味を持つなんて珍しいね。…ん?待って、まさかと思うけどまたなんかやったの?」
ソーンズは少し考えてから口を開き、「追々通信に困りそうでな」と答えた。
「……ブラザー?」
「言い出したのはエンジニアリング部のやつらだ。小型通信機を開発したはいいが、埋め込み先に手こずっていたからいくつか手を加えた」
低く結び直された髪の毛に満足したか、ソーンズはそのまま後ろのリーベリを背もたれにして任務詳細を確認しはじまた。
顔周りで跳ねる毛を整えながら、腕の中に収まるエーギルを見下ろして、なんだか不思議な気持ちになる。戦場であれだけ容易く巨漢たちを無力化できる前衛オペレーターの首が、こんな、触れたら折れそうな細さで大丈夫か、と思ってしまう。下手なことをすると多分こちらが折られるけれども。
そう思いながらエリジウムは中指でその頭を弾いてみた。
丸い頭が動いて、じろっと金の目に睨まれた。
怖い怖い。
「何をする」
「僕が聞きたいよ。人のメガネを勝手に埋め込み先として提供するんじゃない。いや、この期に及んでそれはいいとして、もうどれくらい経ったと思う?せめて言ってくれれば活用できたかもしれないのに」
祝祭にエリジウムが引っ張り出した冬の装いに、より正確に言うとメガネやカメラに、ソーンズは興味を示した。
いやいや本体にも興味示そう?こんなイケメンだよ?
そういったエリジウムの主張にソーンズは、少しは口を閉じて立っていられないのか、とため息をついた。
黙っていればイケメンとあらゆる方向からフィードバックされているリーベリは不服ながら大人しく彫刻と化した。
タスクが一段落してやっとソーンズは振り向いて、なんだその顔は、と瞬いた。
どうせ僕は喋らないほうがかっこいいでしょ、と思いの外かなり拗ねた声が出た。
エーギルは不思議そうにして、『いや?お前は何をしていてもかっこいいと思うが』と答えた。
エリジウムが感動するよりも早く、そしてうるさい、とさらに付け加えたが。
褒めるなら責任を持って最後まで褒めてほしい。
心が弄ばれてそれどころじゃないので、メガネが持ち替えられたのを気付いたは数日後だった。どうやらあの時色々といじられていたようだった。
答えるより前にソーンズは立ち上がり、言われた引き出しからメガネを取り出す。ベッドのほうに戻ったと思えば、ショルダーバッグから薬剤に似たものを取り出し、手慣れた様子で作業を始めた。
その横顔を眺めながら、なんでこんな丁寧にできるのに僕は扱いはいつも雑なんだろ、と悲しい疑問が浮かんでしまったが、ソーンズはどこからともなくよく似たメガネを取り出して、エリジウムへ差し出した。
「ん。三時間おきに薬剤を補充する必要がある上、おそらくお前のアーツなしではつながらない。つまり汎用性がない」
「だから言わなくていいや、になるのが良くないって言ってるんだけどね…」
エリジウムがアーツを込めてそれを触れてみると、弱い電流のような感触とノイズが走った。
「しっかし本当に使いつらいねこれ!」
「お前でも無理か」
「誰と話してるの?」
黒縁のメガネを鼻にかけて、ソーンズが手にいるほうも代わりにかけてあげる。エリジウムは機嫌良く口端を上げた。
軽い、1秒ほどのノイズの後に、チャンネルが開いた。
「これでどうかな?」
「うるささが二倍になった」
「さすがエリジウムさん相変わらずの天才通信員だって?照れるね、それほどでもあるけど」
「言ってろ」
「あれ?もしかして僕もついていくことになったの?なんだそれなら早く言ってよ百年に一人のイケメンは休日でも暇じゃないからねちょっと待って今から着替える──」
「いや、チェスすると言っただろ。こっちは終わりの時間が分からないから、連絡取れた方がいい」
「ガーン……」
「口で言うな」
エリジウムはがっかりした。しかしできるオペレーターは落ち込み続けない。
普通の通信端末を使えば良さそうな話だが、ソーンズのやる事だから何かしら意図はあるだろう。
「じゃあ迎えに行くね」
「好きにしろ。……なんだその顔は」
「いや、そういえばブラザーの寝顔を見たことがないね。ショートスリーパーだっけ」
「ああ」
「なんか不公平な気がしてきた。ちょっと目を閉じてみてよ」
ソーンズは、まためんどくさいことを言い出したぞこいつ、といったふうに顔を顰めたが、抵抗の方がよりめんどくさないことになると判断したか、何を言わずに瞼を閉じて顔を近づけた。
しかしこいつ、顔がいい。
エーギルの特性か肌が滑らか。少年と青年の間にあるような、やや丸い輪郭。いかにも自然な上目線の物言いで忘れがちだが、ソーンズの身長自体はそんなに高くない。首も細ければ肩幅もやや狭い。いつも『身長2メートル肩幅滑走路です』みたいな振る舞いするけど。
この距離で見ると、まつ毛が意外と長い。顔立ち自体は立体的なので柔らかくなりすぎず、ちゃんとかっこいい。しかし、刃のように白く輝く金の瞳が見えないせいか、ほんのり下がっている眉のせいか、はたまた無防備に少し開いている口から聞こえる息の音のせいか分からないが、いつも以上に幼く見える。
鑑賞価値が高い、と客観的な評価を浮かべているのと同時に、カチッと、メガネのフレームがぶつかる音がした。
そしてふにゅっと、柔らかい唇の感触がした。
意外と暖かい。
「………………うん?」
「………………は?」
息ぴったり。
無色なガラスの向こうから、丸い金の目が開き、そのまま細まりエリジウムを睨んだ。
「えっ?うん?あれ?」
我に返った瞬間に優秀と評される戦場機動活かし、3歩下がって両手を持ち上げた。
「待って!誤解だ!早まらないで!話せば分かる!命だけは助けてください!」
「その鮮やかな命乞いに免じて、聞こう」
「えーっと、まず、さっきはまだ寝ぼけていた。次に、この身長差でそんなキス待ち顔されてみてよ、絶対するから。そして最後に、顔がい──」
「法廷で会おう」
「やめて!?えぇ…友人への身体的接触で強制わいせつ罪…勝てる気がしない…完全に黒だねこれ…僕こんなことでイベリアに帰されるの…う…」
「冗談だ」
ソーンズは大きく息を吐いた。
「前科は?早く気づいてやれなかった俺にも責任がある、訴えられる前に謝罪についていく」
謝罪だと。
マイルドなほうのロドス問題児集団代表、我らが上級エリートオペレーター兼薬学研究チームの中堅、そして爆発芸術部の誇り高き一員のソーンズ。研究室と廊下を爆破した後に計算尽くしの路線で逃走し、捕まれた瞬間に所定の反省文フォーマットを差し出して説教をスキップしようとする彼が、爆発もとい研究の時間も惜しまずに、エリジウムのために謝罪すると言っている。
これは愛と呼ばずして何と呼ぶ。鼻の奥がツンとして、エリジウムは深く、深く感動した。ブラザー、まさか僕のことをそこまで大事にしているなんて。
いやそうじゃなくて。
「あるわけないでしょう!君の中の僕、一体どういうイメージなの!?」
ソーンズを説得するなら、情に訴えるより道理を持って説得したほうが早い。
ここはテストに出る。
「僕の部屋のスペアキーを持っているのは君だけ。こんな頭がぼんやりしている時間にやってくるのも君だけ。というか、まず僕の前で目を閉じて立つような場面は君が初めてだし、今後も君以外で発生する可能性極めて低い。だから他に人にしたことがないしする予定もない」
そうだ。
そもそもエリジウムは、人とは節度のある距離を取る、理性的なリーベリだと自負している。ソーンズだからこそ、ブラザーだしまあいいか、と脳がガバガバ判定を下す。なぜならば、ああは言ったが、これくらいなだソーンズは気にしないだろうと正直今も思っている。
「それもそうか」
案の定、エーギルはあっさり頷いた。
安堵の息を吐きながら、ふと、こいつ、僕が適当なことを言っても割と信じそうだけど大丈夫かな、と心配がよぎった。
エリジウム相手ならまだしも、こんな世の中だ、彼の誠実さを利用しようとする人だっているかもしれない。
させないからね、と仮想敵に向かって威嚇のポーズを取ってみると、ソーンズは「なんだその変な体操」と少しだけ笑った。
「そんなことより集合まであと時間がある感じだよね、朝ごはんはどうするの?ベーコンかトーストとかならすぐできるけど」
「持ってきた。休みの日は作るのがだるいだろう」
ソーンズはテーブル指さした。その先に食堂の印が入った容器二つがちょこんと鎮座している。
「うっわ、愛してるよブラザー」
「重い、体重かけるな」
容赦なく押し退けられた。
席について、さて合うアクセサリーはどれかな、と思考を巡らせた。
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何個かブレスレットをつけた後に調子に乗ってUVカットアームカバーを差し出したところで、ソーンズの視線の温度がいよいよ氷点下になった。
「日焼け防止だと」
「エーギルってあまり日に強い感じでもないし、色はともかく肌が乾燥しちゃうかもしれないでしょ?」
「気にしない」
「僕が気にするんだよ」
数ラウンド後にソーンズはため息をつき、剣を持たない方なら、と一応譲歩した。
任務に関しては、エリジウムの方からリハ兼ねて何度か通信を試みたが、ドクターの伝言以外は悉く途中で切られた。