极刺/かえる日まで「僕、祝い事の日のソーンズは嫌いかも」
そう言われた相手は瞬いて、そうか、と口を開く。
「お前にも嫌いなものがあったのか」
「人間だからもちろんあるよ」
口に出して言うのは中々ないけれど。
そもそも短い人生だ。嫌うものに意識を向けるより、その時間を好きなものに使うのが余程建設的だ。まして負の感情をわざわざ人に知らせるなんてもってのほかだ。
そんなエリジウムの珍しい「嫌い」を受けても、ソーンズはただ興味深そうに目を細め、手にしている缶を煽った。
「参考に聞くが、理由はあるか?」
研究対象にしているような言い方。アルコールが回っている分、好奇心が剥き出しになって金の目が輝いている。エリジウムは、はぁー、と息を吐いて、艦内ではしゃぐ子供に目を向けた。
エリジウムがくるまでソーンズは一人で同じものを眺めていた。雪がはらはらと舞っていた中、薄そうなコートだけ身に纏って、デッキの上に立っていた。エリジウムを見て「帰ってきたか」と、「ちょうど盛り上がっているところだ」と、なんでもないことを言った。
ギリギリ遮蔽物が頭上にあってずぶ濡れにならないだろうが、この寒さだ。
入らないの、と聞けば、手伝うことはなさそうだ、とズレた回答が返ってきた。
それだけ言ってソーンズはまた会場を眺めた。
「秘密だよ」
「そうか、困ったな」
一ミリも困っていない声で宣った。
初対面の印象に反してソーンズはあまり人と距離を取らない。興味ないものはどこまでも気にしないが、請われたら大抵のことは快く承諾するし、ノリも面倒見も案外いい男だ。しかし時折こうして、遠くから見守れればそれでいい、と部外者の顔をする。夏の沸騰する熱気も、冬の寒さに囲まれた温かみも、好ましく思ってもそれに入ろうとは思わない。ここにない何かに執着を使い切ったから、大事なものでも、必要だったらいつだって手放せる顔だ。
賑やかな祝日にそれが多い。
それが気に入らない、と思って、気に入らない自分にびっくりした。暫く同じ旅路を歩くだけの相手にそれほど執着してしまったから、自分にも同等な執着を向けてほしい、向けてくれないと拗ねてしまうということだ。最初は彼の程よい無関心が気楽だから一緒にいたはずなのに、今となってはそれが耐えられない。驚きで石になった思いだ。
しばらく沈黙した後に、ソーンズの方から口を開けた。
「上を見ていた」
「上?」
「ああ。……かつて星々があった」
「かつてはね」
「どんなものだろうと」
かつてだとしても、雲に覆われた空だと見えない。
「星に興味があるとは知らなかったよ」
「興味というよりは……」
なんだろう、とソーンズは不思議そうに首を傾げた。
「なにって、僕に聞かれてもね」
「すまない、言葉にするのは難しい。俺がみたのは、多分空にはないやつだが、一番近いのがそれだ」
エリジウムが何か言う前に、ドッカーン、と派手な爆発音がした。
しばらくして黄色い煙がパーティー会場の後ろ、研究エリアの窓から溢れ出て、笑い声と怒鳴り声が響いた。
「えっ、ちょ、今日は研究エリアも休みだよね」
「ふむ」
隣から、明日までは活性化されないはずだが、と嫌な独り言が聞こえた。
怒りが聞こえてくるような足音を発しながら誰かがこちらに登ってくる。
ソーンズは缶を飲み干し、潰してポケットしまった。
「エリジウム、飛び降りる準備はできたか」
「えぇー……僕、全く持って無実なんだけど」
「その説明をする予定なら止めはしないが」
俺の隣に立っている時点で判決が下されたようなものだろう、といっそ憐れむような目で見られたが、同情ではなく反省してほしいと思った。
言ったところで聞きやしないだろうから言わないが。
「というか君、昨日骨何本か折ったって聞いたけど」
「……」
「こいつ……」
治った、と言ってこないから完全には回復してないだろう。しかしこれくらいだと大事ないという顔だ。
腹いせにその体を横抱きにして、梯子と逆方向のレールに片足をかける。
見た目より重い。そして冷たい。
澄まし顔だったソーンズは目を見開いていて、それを見てやっと少し気が晴れた。
もっと驚けばいい。もっと驚いて、戸惑って、エリジウムと同じようにままならない思いに振り回されればいいのに。
星は遠い。遠く遠く輝いて、思いも寄らないほど長い時間を生きる。他人の声なんて瞬く間に消えていって痕も残らない。
「それがよかったはずなんだけどなぁ……」
「なにが?」
「なーんでもない。そんなことより、これ貸しだからね」
「ほしいものでもあるのか」
勝手にしたことだろう、とは言わずに、ソーンズは興味津々といった様子でエリジウムを見る。そのままぶら下がっているだけの腕を首に回すほどの可愛げはない。
予想外なのはあの一瞬だけで、何を言われるか楽しみですらある顔だ。
余裕綽々な態度に負けたくなくなる。
「じゃあ今度デートをしよう」
きょとんとした顔のほうが余程かわいい、と思いながらエリジウムは飛び降りた。
-
デートと呼ばれたのはただの潜入調査であった。
一人だと目立つからね、とエリジウムはにこにこしながら匙を差し出してきた。
「甘いな」
「ハチミツ入り生クリームヨーグルトは甘いよ、看板メニューだし。ハチミツ入り生クリームヨーグルトといえば、この前コロンビアであった事を思い出したよね、ライン生命の人たちの間でも有名らしいけど……」
無事情報も手に入れてご機嫌のようだ。ターゲットが離れてもデートとやらは続行で、ソーンズは差し出され続けるヨーグルトを食べながらエリジウムの雑談コーナーに付き合った。一応変装はしているものの、こんなことをする以上やはり目立つのではないだろう。
「……なので彼らも流石に懲りたと思う。うん?ああ、これが目立つって?」
それがどうやら顔に出ていた。
エリジウムは、百年に一人のイケメンだからね、とまた笑った。
「こっちが一人だと声をかけたくなるようでね」
「なるほど」
「こうやってべたべたしていれば、どちらかというと、あいつらに関わらないでおこうって感じ」
それはいいのか、とソーンズは首をひねたが、エリジウムが構わないならと思い直した。
「だからほかのやつから嫌がられていたのか」
「そうなんだよ、ひどくない?」
はい、と続いてパンケーキを差し出された。
「別に僕だってブラザー以外ならここまではやらないし、優しくしようとしてるだけなのに、ダメ人間製造機呼ばわりとは心外だよね。道順も僕に聞くよりナビゲーションアプリとか使うし」
最後はもうはや関係ない愚痴だ。
エリジウムは周りから好かれているし、大事にされている。本人もその自覚があるから、自分の価値に対して謙遜したり、逆に今日みたいに、近寄らせないような振る舞いをしたりする。人が好きで、人に好かれて、でも最後は一線を引いて外から眺める。すでに両手いっぱいに抱えた大事なものを大事にしたいからこそ、それ以外とはあえて距離を取るのが彼の誠実さだ。
こっちもやはり甘いパンケーキをゆっくり噛んで飲み込んで、ソーンズは少し考えてみた。
「行動隊のあのヴァルポは?声かければきてくれると思うが」
「……ふーん、ソーンズもそんな話に興味があるんだ」
興味があるもなにも、いかにも勇気を絞り出して聞いてみたと言った空気で彼女にエリジウムについて聞かれたのはソーンズだった。
さっきまで機嫌よかったのに、エリジウムはフォークを置いて口を結んでソーンズを睨んだ。
「俺にはお前の怒るポイントが分からない」
「分からないうちはずっと怒られるだろうね」
前の祝祭からエリジウムはずっと何かに怒っていた。
あの日は実験、より正確にいうとその仕込み、がうまくいかず彼に貸しができて、今日のデートがその返しのはずだ。エリジウムがと友好な関係でいたいのはソーンズもそうだから。
なのにソーンズばかり一方的に怒られるのは少し理不尽ではないだろうか。
そういう生き方のエリジウムは、いつかここを発つ時に、持っていくものがきっと少ない。楽園への道は長く、リーベリに羽が許されていても、両手いっぱい抱えたままだと前へ進められないから。最後まで彼の手に残り続けるものは、文字通り一握りだけだろう。いつか離れるくせに、温かい好意ばかりソーンズに残そうとする。
なんというか。
腹立つ。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
エリジウムは俯いてフォークでパンケーキを突く。そろそろ16等分になりそうだ。
「言わないならいい」
「……ソーンズ、僕じゃなくても借りって言われればデートなんか行くの」
「は?」
「だから、他のやつでもいいのかって、ちょっと!笑うのはなしだよ」
なんてひどいやつだ、と睨んで来る顔は羞恥で赤くなった。もう本当に最悪だよ、知ってたけどもう本当に、とぶつぶつ言う。
ひとしきり笑った後に、そろそろパンケーキを助けるか、とその手を握る。
「俺は一途だぞ」