ENN組ゆるワンドロ②(5/7)【怪我をした】ノートンが怪我をした。
そう聞いたイライはそれ以上の情報を求めることなく医務室へと走り出した。
その後ろから慌てたように待合室の方だよ、と声をかけられ、混乱する頭をよそに足は言われた方向へと進路を変更する。
待合室とはゲーム参加者が開始を待つ部屋の愛称であり、そして終了と共に帰還する部屋だ。
ゲーム中の怪我は荘園へと帰還すれば元通りになる。
つまり待合室での怪我は基本的に異常事態だ。
一体何が起きたのだろうか、怪我の度合いは、と焦る心を抑えとにかくイライは廊下を走った。さほど時間をかけず辿り着けば、待合室へと入る扉は開かれているにも関わらずその前で人だかりができている。
どうやら皆中の様子を見つつ、さっきまでゲームに出ていたはずトレイシーとアニーを質問攻めに合わせているようだった。
「あ、イライさぁん!今だめ!入っちゃだめー!」
イライに気づいたトレイシーが青い顔をしながらも両手をぶんぶんと振りながらイライと扉の間に立った。
「トレイシー…!一体何が起きたんだい…!?」
臆病な彼女を怖がらせてはいけないとなんとか理性を働かせ、努めて落ち着いた声でイライは尋ねた。
「あ、あぶないの!あぶないから!」
「そんなに悪いのか…!?」
「ちがうの、今入ったら…きゃぁっ!!」
ガタァンという大きな物音に反応して、トレイシーの身体が跳ねた。
音は待合室から聞こえてきた。おそらく椅子が倒れたかという音だ。その音で集まっていた面々も扉から少し離れ、イライが中を覗ける程度の空間ができた。
さらにドンッという音が続き、イライはトレイシーの静止も聞かずに待合室を覗く。そこには倒れた椅子に割れた皿、投げ出された燭台と明らかに誰かが暴れた後が見えた。
「これは……」
「ゲームで今回は私たちが負けてしまって……トレイシーは椅子で帰還したんですけれど」
アニーそっと小声で事情を話しだした。
相手は破輪ウィル三兄弟。ゲーム途中までは引き分けが濃厚だと思われる展開だったが、特質が監視者となってからじわりじわりと形勢が悪くなっていったらしい。
「私も失血死してしまって、最後はナワーブさんとノートンさんが…倒れては隠れて治療しあって、また倒れて…おびただしいほど、全身に血が滲んでいました」
「それでさっき帰ってきたんだけど、二人ともすごくイライラしてて…私、ごめんなさいって声かけたの…そしたら」
ノートンがテーブルの上の皿を投げ、諫めようとしたナワーブと取っ組み合いの喧嘩になったという。
イライが少しだけ部屋の中へ進み様子を見れば、長テーブルの影で見えなかったが、ナワーブがノートンを組み伏せているのが分かった。体格差のハンデもあるはずなのに、ナワーブが抑えている身体はしっかりと床に縫い付けられている。
うつ伏せで荒く息をしているノートンは、その頬が真っ赤になり唇が切れているのか血が滲んでいた。対してナワーブの方はさすがと言うべきか、外傷を負っているようには見えない。
「イライ」
そんな二人にゆっくり近づいていくイライに、静かな声をかけたのはナワーブだった。
彼の顔はノートンの方に向けられていて、フードでイライの方は見えないだろう。どうして自分が分かったのだろうかとどこか場違いな考えがイライの頭に浮かんだ。
「まだ近づくな。あとダイアー医師を呼んでおいてくれ」
「さっきガンジくんが探しに行っていたよ。それでノートンが怪我をしたって聞いたんだ」
「なるほど」
淡々とした口調でナワーブは話す。
暴れたのはノートンかもしれないが、きっと内心荒れているのはナワーブも同じだろう。しかし彼は悲しいほどに”傭兵”だ。
こうして冷静に話していることこそ、己を律してノートンにこれ以上の怪我をさせないでいることこそ”らしさ”を感じてしまう。
イライがもう一歩近づいた所で、ナワーブはもう一度制止の声をかけた。
「言うことを聞いておけ。怪我しても知らないぞ」
「……それは君に?」
イライがゆっくりと尋ねれば、まるで人形のようにナワーブの顔が動きようやくイライと視線が合った。
ナワーブの下で、ノートンがくくっとくぐもった笑いを上げる。
「ノートンは動けないだろう。君が彼をこれ以上暴れさせるとは思えない」
「俺がお前に怪我をさせると?」
「そう…君が、思ってるんじゃないのか」
完璧に己の精神をコントロールしているとはいえ、中に火種があることに変わりはない。わずかな風で燃え上がる、その可能性を排除しているのだろうと。
「イライさん最高。もっと言ってやれ。落ち着いた顔してたってナワーブさんもキレてるんでしょ」
「否定はしないが、それで感情むき出しに喚くほど子どもじゃない」
「なんだとこ、の、ィいぃ…ッ!!くっそ!!」
言い返そうとしたノートンの腕がギリギリと締めあげられる。顔色一つ変えることなく苦痛を与えるナワーブは、またも近づいてくるイライを見つめ続けていた。
「ナワーブ、もう止めてくれ。二人とも早く医務室に行くんだ。ここは片付けておくから」
そう言ってイライは倒れた椅子を持ち上げる。
ナワーブはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりとノートンを拘束から解き、その上から退いた。
「俺は健康なんだが」
「嫌味?」
自由を取り戻し、床の上で殴られた頬を撫でるノートンが睨む。険悪な空気が再び流れようとした所で、椅子がガタリと置かれて響いた。
「いいや、医務室に行くんだナワーブ」
きっぱりとした口調で言うイライに少しだけナワーブの目が見開かれた。
「君に必要なのは治療だ。よりにもよって君が、私に拳を向けかねないような精神状態が健康なものか。エミリーさんならきっと正しく診てくれるよ」
ナワーブがその気になれば、この荘園の誰もを戦闘能力で掌握することができるだろう。しかしそれは“傭兵”として必要であればの話だ。彼はゲームに不要な個人の過去を詮索しないし、余計な人間関係のこじれも生み出さない。
この場で、ノートンを含め、本来のナワーブなら誰一人傷つけることは無かっただろうとイライは思う。
その意図が伝わったのか、ナワーブはほんの少しだけ眉根を寄せた。
「それとも経験豊富な傭兵殿は、私に手をつないでもらわないと医務室まで行けない?」
珍しく棘のある物言いをするイライにナワーブはまたも目を見開いた。ノートンは耐えられないという様子で噴き出して、頬の痛みに堪えながら笑っている。
「痛っつ……はー、今日のイライさん良いね」
ノートンが立ち上がって服に付いたゴミを払う。頬はひどく腫れているが、そこを一発殴られた程度で済んだらしい。
他に痛む所は無いか確認していると、黙っていたナワーブがふぅと息をついて、イライに向かってわかったわかったと両手をあげた。
「口下手な占い師殿に挑発までさせてすまなかった」
「本当だよ。慣れないことをして私が二枚舌になったらどうしてくれるの」
「占い師らしくなれるじゃないか」
ナワーブが苦笑を浮かべながら割れた皿に手を伸ばす。するとイライはぴしゃりとその手を叩いた。
「ここは片付けておくと言っただろう。ほら早く行っておいで」
「……ひょっとしてイライさん怒ってます?」
先に医務室に向かおうとしたノートンがもしや、と立ち止まって尋ねる。
「いいや。怪我をしたと聞いて心配で急いで走ってきたら、ただの喧嘩だったと分かって気が抜けたんだ。トレイシーもあんなに怖がって可哀そうに。ちゃんと謝ってから行くんだよ二人とも」
「「はい…」」
心配で、急いで、と一部は少し強調して。
表情は読めないが、珍しくその眉根は寄っているに違いない。
これ以上刺激してはいけないと、ナワーブとノートンは目くばせをしてそそくさと待合室を出た。
がやがやと集まっていた見物人たちはノートンが解放されたあたりから離れて行ったようだ。そこにはトレイシー、アニーと、ちょうどエミリー捜索から戻ってきたらしいガンジがいた。どうやらエミリーは医務室で治療の用意をして待っていてくれているらしい。
ナワーブとノートンが謝意を伝えると、三人ともが気にするなと返す。
そして医務室へ向かう二人とは入れ替わりに、イライの手伝いをするべく待合室に入っていった。
「……もしかして一番怒らせるとまずいのはイライさんなのか?」
「大人しい人が怒ると怖いって言うよね…」
「うーん、今回は怪我を心配していたからかも…しれませんし…」
「どうかしたかい?」
「「「なんでも!」」」