初恋フェイタリズム あの日、君を見つけたのが彼ではなくオレだったら運命は変わっていたのだろうか。今でもそう思うことが時々ある。
オレの初恋は幼稚園の頃、入園式で隣に座っていた女の子に一目惚れした。花のように可憐な彼女と仲良くなりたいと思ってはいたものの、当時のオレは恥ずかしがり屋で彼女と会話することすらままならず、遠くから彼女を見つめることしかできなかった。
そんなある日、運命の日がやって来る。それは幼稚園の芋掘りの日だった。友達と一緒に芋を掘っていると、近くで土の中から芋を中々引っ張り出せずに困っている彼女の姿を見かけた。
「ねぇ、君……」
いつも遠くから彼女を見つめているだけだけど、こんな時こそはと勇気を振り絞って彼女に声をかけようとしたその時、オレより先に他の子が彼女に駆け寄り、彼女を手伝った。
「せーのっ!」
「わぁ……見て、こんなに大きいお芋! ありがとう!」
彼女は泥に汚れた全開の笑顔をそいつに見せた。それは今まで見た彼女の中で一番の笑顔だった。そいつは彼女のその笑顔に魅せられていた。
「おれ、風真玲太。よろしくな」
「うん、よろしくね! りょうたくん」
この時彼女を見つけた男の子、それが風真玲太だった。当然彼女は自分に優しくしてくれた風真に心を開き、すぐに風真と親しくなった。
「りょうたくん、一緒にお弁当食べよう」
「いいよ、一緒に食べようぜ」
「りょうた、オレも」
「さっさもかよ。……まあ、いいけどさ」
「うん、みんなで食べよう」
彼女と風真、颯砂の三人で仲良く弁当を食べ始めた。弁当のおかずの交換もしていて、彼女から「はい、あーん」と箸でおかずを口に入れられると、風真の顔が真っ赤になり「りょうた、顔真っ赤」と颯砂がからかい、風真が「うるせぇよ!」と真っ赤な顔で照れ隠しに怒っていた。
この通り、風真が彼女を大好きなことは幼稚園の頃から明らかだった。一方の彼女も、風真と一緒にいると「ふふっ」といつも楽しそうに笑っていて、あの芋掘り以来、幼稚園ではそんな二人の仲のいい様子を見せつけられるようになった。
(オレの方が先に彼女を見つけたのに……)
それにも拘わらず風真の方が彼女と親しくなり、当たり前のように彼女と一緒にいる。彼女を独占する風真が憎くて仕方なかった。
すると、再び運命の日がやって来る。それは幼稚園の運動会だった。彼女にいいところを見せようとオレも意気込んでいたが、同じ組に足の速い風真と颯砂がいたことでそれは絶望に変わった。風真と颯砂の対決に注目が集まる。
「りょうたくん、がんばってね!」
かけっこに出る風真に彼女は声援を送った。だが、いくら彼女の声援を受けた風真でも、さすがに幼稚園で一番足が速く鬼ごっこでは負け知らずの颯砂には敵わず二着に終わった。一着は勿論颯砂で、二番の旗を持たされた風真は悔しそうな表情で泣きそうだった。
(彼女の前で負けたんだから、そりゃ悔しいよな……)
この日ばかりはオレも風真に同情した。一着の颯砂の元にみんなが集まる中、負けた風真は一人離れた場所へ向かい、悔し涙を流していた。
「りょうたくん!」
そんな風真の元へ心配した彼女がやって来た。
「おまえ、なんで……」
風真は彼女が自分の元へ来るとは思わなかったらしく、涙を見られないよう手で拭ってから彼女の方へ振り向く。
「りょうたくん、二番だったね……」
「なんだよ? わざわざからかいに来たのか?」
彼女は風真がかけっこに負けたことを残念そうに言うが、風真は負けた悔しさから彼女にキツく言い返してしまう。すると、彼女は泣き出してしまった。
「うっ、ひっく……」
「あっ、ごめん、おれ……」
彼女が風真の前で泣くのは恐らくこれが初めてで、さすがにキツく言い過ぎてしまったと風真も彼女に謝ろうとするが、彼女は首を横に振った。
「違うの……りょうたくん負けちゃったから、わたし悔しくて……」
彼女が泣いた理由は風真にキツく言われたからではなく、風真がかけっこで負けたからだった。負けて悔しいのは風真なのに、まるで自分のことのように泣く彼女に風真も驚いていた。
「負けたのはおれなのに、なんでおまえが泣くんだよ?」
「だって、りょうたくん頑張ったのに……りょうたくんが悔しいなら、わたしも悔しいよ」
彼女はそう言って風真のために涙を流し続ける。そんな彼女の泣き顔に風真も心を打たれているようだった。
「おまえ……分かったから、もう泣くなって……な?」
かけっこに負けた風真の方が逆に彼女を慰めていた。しばらくすると彼女も泣き止み、風真にいつものような明るい笑顔を見せた。
(ああ、そうか。彼女も風真のことを――)
幼稚園の運動会での風真に対する彼女の様子から、彼女も風真と同じ気持ちであることを幼いながらに悟り、オレの初恋は終わりを告げた。
結局、それからも彼女とはまともに話せないまま幼稚園を卒園し、小学校、中学校も彼女とは学区が違ったため別々の学校になりそれきりだった。
そして、高校ではば学に進学すると、彼女もはば学に進学していたらしく、幼稚園以来に彼女を見つけた。彼女は幼稚園の頃から変わらず、いや、ますます可愛らしくなっていて、幼稚園の入園式の時のような胸の高鳴りを感じた。
(でも、今更話すきっかけがないよな……)
幼稚園の頃は一方的にオレが彼女を知っていただけなので、同じ幼稚園だと言っても、きっと彼女はオレのことなど知らないだろう。彼女に声をかけることを諦めようとしたその時、彼女がペンを落とした。オレンジのかざぐるまの模様が入ったペンだ。
「あっ……これ、君のだよね?」
ペンを拾い上げて彼女に手渡す。彼女を知ってから十年にして初めてようやく彼女に声をかけることができた。
「あっ! 拾ってくれたの? ありがとう」
彼女は明るい笑顔でお礼を言った。初めて向けられた彼女の笑顔にまた胸が高鳴った。彼女はオレからペンを受け取ると、もう落とさないようにとペンを大切に握りしめた。
「そのペン、大事なんだね?」
「うん、大切な思い出なの。オレンジ色のかざぐるま……」
頬を赤く染めて彼女はそう言い、真剣な表情でペンのかざぐるまの模様を見つめた。彼女とオレンジ色のかざぐるまにどんな思い出があったのかは知らないけれど、こんな表情で彼女が大切な思い出だと語るのはきっと――。
「……もしかして、風真と?」
「えっ! どうして分かったの?」
彼女はさらに頬を赤らめて驚く。やはりそうだ。幼稚園の頃から彼女がこんな表情になるのは風真のことだった。昔から変わらず、今でも彼女は風真を想っているのだと思い知らされた。
「もしかして、玲太くんとお友達?」
彼女は風真のことを知っているオレを風真の友達かと聞く。確かに彼女と同じく風真のことも勿論幼稚園の頃から知ってはいるが、風真とも接点が少なかったので、友達とはいえない。
「あ、いや、実はオレ、君たちと……」
同じ幼稚園だったことを彼女に打ち明けようとしたその時、誰かが彼女を呼んだ。
「やっと見つけた」
彼女を呼んだのは風真だった。幼稚園の頃から背が大分伸び、端正なルックスで、同性のオレから見ても悔しいがカッコイイと思う。風真は幼稚園の頃と同じくにこやかに彼女に話しかける。
「玲太くん、どうしたの?」
風真が来るなり彼女はぱあっと顔を輝かせた。これも幼稚園の頃と同じだった。
「ちょっとおまえに用が……で、誰だよ? そいつ」
普段は明るく人当たりの良い風真だが、彼女が絡むと違うようで、彼女を抱き寄せて俺のだとばかりに鋭い目つきで睨みつけてくる。
「あの、オレ、決してそういうんじゃ……」
確かに彼女はオレの初恋の女の子であるが、初恋はとっくの昔に終わり、今も彼女に恋愛感情といえる気持ちはない。しかし、風真は幼稚園の頃以上に彼女への執着が強くなったようで、彼女に近づく男は全て敵だと睨む。そんなに牽制しなくても、彼女は昔から風真しか見ていないのに。殺気立っている風真を彼女が宥めてくれた。
「玲太くん、この人はわたしが落としたペンを拾ってくれただけだよ」
「えっ、そうなのか……悪かったな」
彼女に宥められて風真は素直にオレに謝った。こんなふうに風真を宥めることができるのも彼女だけなのだろう。
「いや、分かってくれたら別に……それじゃ」
風真と彼女から立ち去ろうとするが、去り際に一つ大切なことを言い忘れていたことを思い出し、もう一度二人の方へ振り返った。
「彼女のこと大切にしろよ、風真」
「えっ?」
オレの言葉に風真と彼女は驚くが、オレの方が二人に驚かされた。幼稚園の頃からの初恋が今もずっと続いているなんて――。
「なんだ? あいつ……」
「うーん、玲太くんのこと知ってるみたいだったけど、知らない?」
「さあ……でも、俺のこと知ってるってことは、どこかで会ってたのかもな。もしかしたら、おまえとも」
「えっ? そうなのかな……そうだ、用事って何?」
「ああ、今度の日曜日空いてるか? また二人でどこか出かけようぜ」
「うん、行く! ふふっ、楽しみ!」
風真にデートに誘われ、彼女は嬉しそうな笑顔を見せていた。初めて風真に出会った時のような全開の笑顔で、先程ペンを拾ったオレには向けられなかったものだ。風真にだけ向けられる彼女の特別な笑顔から俺はまた悟った。
(昔から彼女のことで風真に敵う奴はいないな……)
あの日、彼女を見つけたのが風真ではなくオレだったとしても、風真に向けられたような全開の笑顔を引き出すことはできなかっただろう。彼女が全開の笑顔を向けるのも、辛さを分かち合って涙を流すのも、二人だけの思い出をいつまでもずっと大切にしているのも、全て風真だったからだ。
彼女が自身の気持ちに気づいているかは定かではないが、風真にとっての彼女がそうであるように、彼女にとっても風真は初恋にして運命の相手だったのだ。