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    bintatyan

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    bintatyan

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    滝安←モブ♀ちゃんです

    #滝安

    演技派の人珍しいことに、わかりやすく安原の機嫌が悪かった。
    今日はバイトがないと言うので、滝川の仕事までの間に早めの夕食を共にしようと待ち合わせたのは良いのだが、その待ち合わせの時点で安原はいつもと違ったのだ。遅れたわけでもないし、直接何か言ってくるでもなく本人も取り繕おうとしている様子ではあるので原因は自分ではないのだろうと、滝川は一旦気にしないことにした。
    そうやってなんでもないふうにいつも通り過ごしていると、安原の機嫌も向上してくる。目についたからとふらりと入ったカジュアルなイタリアンの食事が思いがけずおいしかったのも功を奏したのだろう。何か嫌なことがあったとか気がかりなことがあるとか、その程度のことは誰にでもあるものだし、恋人になる前にだってあっただろうに今まで彼は上手に隠してきたのだ。疲れました大変でしたとぶつくさ言ってぐでんと座り込むことこそあれど、それすらある程度取り繕って他者に気を遣わせないためにあえてやっているようなところがあったから、少しずつ滝川に甘えるようになっているのだと思うとむしろ少し得意な気分にさえなる。
    これまで滝川は恋人に甘えられるのがあまり好きではなかった。だが、相手が普段は矜持を持ってピンと立っている安原修という男となると、とたんに滝川の『これまでの経験則』というものは崩れてしまうのだった。
    ただ、ふと安原がスマホに目をやった瞬間だった。何か通知があったようで光った画面に当たり前に視線を走らせた、それだけのことで安原の眉間にシワが寄った。
    見なかったふりをしようか、と迷ったものの、視線を逸らす前に安原が顔を上げる。目が合ったので、一瞬の表情を見られたことには気付いただろう。
    「……ごめんなさい」
    安原はあっさりと白旗をあげた。
    「食事中にスマホたあ、お行儀が悪いぞ若者。別にいいけど」
    「それじゃなくて」
    「うん。だから、いいよって。話せることなら聞くけど」
    「んん……愚痴になっちゃうんですけど」
    「珍しいな。どーぞ?」
    口を挟まない、という意思表示も兼ねてマルゲリータピザを一口齧る。それぞれにパスタ一皿ずつと、半分こしようとピザが1枚。なかなかボリュームの多い店で、二十代の男二人でも腹一杯になる量だった。
    「先週、同じ大学の女の子に告白されて」
    「んぐっ!」
    飲み込もうとしたその瞬間の安原の予想外の言葉に、喉が詰まる。
    「ちょっと、大丈夫ですか」
    水で流し込むのを困った顔で見ている安原を、じっとりと睨んだ。
    「大丈夫じゃない。なにそれ、初耳」
    「言ったほうがよかった?っていっても、あんまり真剣なのじゃないというか。自分の可愛さをわかってて身近な男を振り回して遊ぶようなタイプの人で、たまたま今回は僕が目についたって感じですよ。それで、ごめんね僕彼氏いるんだーって普通にお断りしたんですけど」
    「あー……超頭いいガッコにもそういう子っているんだ」
    「まあ、男女問わずどこにでもいるんでしょう。……それで終わりのはずだったんですけど。なんだかプライドをいたく傷つけてしまったみたいで、絶対に諦めないとか、色々……」
    「色々?」
    口ごもるそこに多大な含みを感じて聞き返すと、安原は視線をそらす。
    「うん。……具体的なことは食事中に、しかも外では言いにくいかな」
    「へーえ……」
    「不快だし単純に余計なお世話だし、ラインはブロックしたんですけど。すると彼女の騎士気取りの取り巻きが代わる代わる僕に『紗羅ちゃん傷付いてるぞ、酷いことをするな』っていう連絡を寄越してくるわけです。今のもそれ」
    なるほど、それは気分も悪くなろうというものだ。滝川でも同じように感じただろう。
    「……次、ゆっくり会える日までに解決できなかったらその時は愚痴とか相談とか、言いたいと思ってたんだけど……すみません、このあと仕事なのに嫌な話しちゃって」
    「そんなのは別に気にしなくていい。災難だな」
    「本当に。僕に同情的な人のほうが多いので、立場が悪くなったりはしてないんですけどね」
    言って、安原はピザに手を伸ばした。おいしい食事は心の栄養にもなる。
    「ま、そのうち飽きるでしょう。それが1日でも早いことを願うだけ」
    「取り巻きはともかく、本人は今どんなふうなの」
    「悲しげな顔でちらちらこっちを見てきますけど、それだけですね。僕が折れるの待ってるのかなあ……こういう手に引っかかる人って多いんですかね」
    「取り巻きがいるような美人なんだろ?まあ、そこそこひっかかるやついるんだろうな。今回は目算が外れたけど」
    「確かに綺麗な人ですけど、規格外の渋谷さんを見慣れてるからなあ……。それに、顔が良くても性格次第でしょう。どんなに綺麗だって、それこそ渋谷さんとはお付き合いしたくないじゃないですか。悪口のつもりはないし尊敬はしてるんですけど、事実として」
    「同感。でもナルちゃんもモテるぞ」
    「……確かに」
    麻衣、真砂子、そしてどこまで本気か知らないが綾子までもが一時期はナルに目を向けていた。美しいというのは実際、武器なのだ。滝川も、背の高さや色素の薄さ、なんとなく整った風の見てくれでもって女性にはモテてきた。外見だけで、と言い切るほどのものではない、というように滝川は思っているのだが、では中身で評価されていたかといえばそういう言い方をするのもなんだかおかしな気がする。
    「ま、見る目はあるんじゃないの、その……何ちゃんっていった?」
    「園田紗羅さん」
    「園田さんな、うん、男の見る目はあるよ。たまたま目についたにしたってさ、それで選んだのがお前なんだもん。当然、その気持ちは俺にもわかる」
    「……ごはん、家で食べることにしとけばよかったかも」
    今すぐ抱きつきたい、とかそういう意味だろう。だいぶ機嫌が良くなってきたらしい。頬がじわりと赤く染まるのを見て、滝川も同じように場所が惜しいと思った。
    「次は家な」



    それから1週間。
    「単刀直入にお話します。修くんと別れてあげてほしいんです」
    滝川は、全国チェーンのカフェで女子大生と差し向かいで対峙していた。
    昨夜泊まった安原の部屋から帰る途中、なんとも顔立ちの整った女性に声をかけられた。ナンパかと思いきや、「修くんのことで」と言う。これが園田なんとかさんか、と滝川はすぐに気付いた。おそらくは安原の家を見張っていたのだ。立派なストーカーである。
    無視して帰ればおそらくまた安原に突撃するのだろう。それは嫌だった。安原から園田嬢の話を聞いてからずっと気になり続けていたのだ。まさか浮気や心変わりを疑ったりはしないが、それでも恋人に纏わりつく人間がいたら不愉快に決まっている。
    それで大人しく園田についていったわけだが、別の席に何人か、明らかにこちらを気にしている若い男たちがいる。安原の言う取り巻きとやらが、安原の恋人である男と直接対決する園田を心配して着いてきて、それでも邪魔はしないようにと少し離れて様子を見ているというところか。彼女は彼らにとってお姫様なのだ。
    席について改めて名乗った園田紗羅は、色白で顔立ちも綺麗なものだがその上ほっそりとしてスタイルも良く、自分に似合う服を良くわかっているのだろう女性だった。サラサラのロングヘア、水色のシンプルなワンピースと白のカーディガン。ナチュラルなメイク――滝川には、薄化粧なのか薄く見えるように濃い化粧をしているのかの区別はつかないのだが――で、姿勢も良く落ち着いた物腰だ。見るからに育ちが良さそうで、ぼんやりと滝川がイメージしていた園田紗羅とは印象が違った。もっと明らかに甘えた、やわやわべたべたとした女の子かと思っていたのだ。
    「園田さんにそんなこと言われる筋合いないと思いますが」
    「……私、振られちゃいましたからね」
    それを認めるとは思わなかった。
    園田は、悲しげに少し俯いて、唇を震わせる。長い睫毛の影が頬に落ちるのもまるで絵のようだ。
    「それは、仕方ないって思うんです。でも、私は修くんのことが好きだから……幸せになってほしいって思っています」
    「幸せ、ねえ」
    よくもまあ健気な様子で真剣に言うものだが、安原は図太くて肝の座った行動力のある男であって、己の幸せを滝川に見出したから今恋人になっているわけなのだが、園田には安原がどういう人物に見えているのだろうか。パッと見では『ガラの悪い年上男にたぶらかされた可哀想な大学生』というのがお決まりのところなのは理解の範囲内なのだが、まさか安原がそんなタマなわけもない。
    「すごく優秀な人です。いくらでも将来を選べるくらい。……滝川さんって、ミュージシャンなんですよね」
    「まあ」
    「私は、それがどういう職業なのは正しくわかってるわけではないかもしれません。でも、やっぱり世間的に真面目なイメージではないはずです。ましてや同性で、……差別したいんじゃないですけど、でも、結婚するって身を固めるともいうでしょう。そういう、堅実な生き方をしてる人にとってはして当たり前なことって、滝川さんとじゃなにもできないんです。修くんのことを本当に想うなら、身を引くべきなんじゃないですか?それとも、本気じゃないから彼がだめになっても気にならないんですか」
    言っていることは、もっと昔なら賛同者もそこそこいたかもしれない。というか、彼女の育ってきた環境がそのような価値観だったのだろうと思う。滝川も地方の出身だし、家が寺で長く檀家をやっているような人々に囲まれていたのでわからないでもない。ただし今や恋愛なんてものは嗜好品、各々自由意志でするもしないも構わないものという時代がすぐ目の前まで来ている。頭のよろしい最高学府で流れている空気については知らないが、安原の友人たちは少なくとも表面上は同性の恋人のいる安原のことを前向きに見ているようだった。もしかしたら差別だなんだと指をさされるのを恐れて表向き受け入れる姿勢をとっているだけの者もいるのかもしれないが滝川には知りようのないことだし、もちろん内心は自由である。
    しかし園田は、目に涙を浮かべてさも勇気を振り絞っているような素振りで、真剣に訴えている。この純真そうな様子で、安原曰く『自分の可愛さをわかってて身近な男を振り回して遊ぶようなタイプの人』なのだという。女優になれそうだが、それもきっと彼女にとっては『堅実な当たり前の人なら選ばない職業』なのだろう。ただ、他人の家を監視して待ち伏せというのも普通の人はしない行為なのだが、彼女の中にはそのあたりの矛盾は存在しないらしかった。
    「お願いします。別れてください」
    「嫌ですね」
    「えっ」
    考えるような間もなくきっぱり言うと、園田は困ったらしかった。眉尻を下げて、指先を擦り合わせるようにするしぐさも可憐そのものだ。
    けれど、滝川にとっては『あなたが昨日脱がした僕のパンツ、どこにやりました?』と寝ぼけ眼でキョロキョロと部屋を見回していた今朝の安原のほうがよほど可愛い。この可愛いというのは、愛しいという意味でもあるが本当に可愛くも感じている。もちろん完全な惚れた欲目である自覚はあった。ちなみに、パンツはベッドと壁の隙間に落ちていたのを無事見つけることができた。
    「もし俺と修が別れたところで、あいつの好みが俺みたいなタイプだってんなら、結局同じことの繰り返しなわけですがね」
    「……」
    「それに、どう見えてるか知りませんが、俺が落としたんじゃなくて俺が落とされたんですよ、園田さん」
    『単純に余計なお世話』と言った安原の顔を思い出す。あの珍しい不機嫌顔。
    「自分のやりたいことにどうしても俺が邪魔となったら、あいつ自身が俺と別れることを決める。どうしてもってんなら、それまで待ったらどうですか」
    安原は案外向こう見ずで気が強く気高く、己の身の安全より信念や矜持を選ぶようなところがあるので、滝川に飽いて心が離れたというのでもなければ決してそのような一種常識的ともいえる別れを選びはしないだろう。その選択を通せるだけの能力もある。
    けれどそんなことは園田は知らなくていいのだ。自分で気付くならそれでも良いが、気付かないならそもそも滝川の恋敵にならない。
    話は終わった、と席を立とうとする滝川のテーブルについた手に、園田が咄嗟にといったように手を伸ばす。細く白い指先には、シンプルなネイル。腕をたどってその顔に視線を移すと、園田は瞳いっぱいにたまった涙をぽろりと零した。
    「滝川さん、でも、私はどうしても修くんのことが」
    「それ以上は聞きません。必要ない。君があいつをなんと思っていようと、どうでもよろしい。相手に要求を飲ませたいならそうさせられるだけのことを君がしなきゃならない。……修はそれが上手いよ。高校生の時点でもそうだったんだから、役者が違う。君の手には負えない。それから、俺は惚れてもない相手の涙なんか全く気にならない。戦略を間違えたな」
    「……ひどい。私がわざと演技してるみたいに言って……滝川さんって、本当は冷たい人なんですね」
    「そうかもな。でも修はそーゆーのが好きなんだってさ。幸せってのは人それぞれ違うもんだね」
    ぐ、と悔しそうに園田は口を噤んだ。飾らない、憎々しげな顔で睨みつけてくる。張り付けた仮面のような作り物の表情よりよほど魅力的だと思ったが、滝川もまた恋愛における相手の好みというものがいまいち大勢とはズレている可能性があるので、口に出すのはやめておいた。なんといっても、女性たちがナルに惚れる気持ちがさっぱりわからない男なのだから。
    取り巻きの男たちが寄ってこようとするので、さっさと歩き出す。
    「それじゃ。お勉強頑張って」



    『法生さん、僕、あなたのこと昨日までより今日からのほうがもっと大好きになりました』
    「……熱烈な告白をどうも」
    夕方、授業を終えたらしい安原からの電話の第一声がそれだったので、滝川は面食らった。園田に突撃されたのが今日の午前のことだったので、おそらくその話なのだろうとは思う。ただし、滝川はまだ安原には何も伝えていなかった。
    『今、少し話してもいいですか?』
    「うん」
    仕事に出るにはまだ早い。昼寝から覚めて、身支度をし、少し楽器に触れていたところだ。
    『園田さんが昼に僕のところに来てですね、「あの人と別れたほうが良いと思うの」って。アハハ、もう僕は豆鉄砲食らった鳩ですよ!学食にいるときに急にそれですからね。友人たちもぽかんとしちゃって……って、それはいいか。ちょっと僕冷静じゃないんですけど』
    普段は理路整然と順序立ててものを話す安原がふわふわとノリだけでしゃべっているのが面白くて滝川も笑ってしまう。
    しばらく口を挟まずに聞いていてみると、つまりはこういうことの次第のようだった。
    園田は学食で友人たちと昼食を摂っていた安原に向かって、滝川とかいう男とは別れたほうが良いと忠告をくれた。
    急なことだったのでなにかと思ったら、あの人は安原くんには合わないと思う、等と主張した。冷たくて優しさの欠けた、傲慢な男だと。
    会ったの?と聞けば、偶然だと言う。あり得ないと問い詰めたところ、安原の自宅を突き止めたうえで待ち伏せまでして話す機会を作ったと白状した。そのくらい心配だったのだということを強調していたわけだが、それはつきまとい行為だねと安原は一刀両断したらしい。容赦がない。
    ともかく既に会ったのならば事の次第を知りたいということで、何をもって滝川を冷たいというのか、優しくないのはどういうところかと聞いてみれば、園田は「本当はこんなの聞かせたくなかったんだけど」と気遣わしげにスマホを取り出し、音声データを再生した。そこから流れたのは、『俺は惚れてもない相手の涙なんか全く気にならない。戦略を間違えたな』『……ひどい。私がわざと演技してるみたいに言って……滝川さんって、本当は冷たい人なんですね』というほんの僅かなやりとりだった。明らかに前後が欠けている。これだけか、と言う安原の友人に、これも…と別のデータを再生してみせた。しかしこれには『もし俺と修が別れたところで、あいつの好みが俺みたいなタイプの男だってなら結局同じことの繰り返しなわけですがね。……どう見えてるか知りませんが、俺が落としたんじゃなくて俺が落とされたんですよ』という滝川の言葉だけだった。
    そんなものを披露して「すごく冷たい言い方だよね。私、安原くんが心配だよ」などと目を潤ませながら言うので、安原たちはかえって対応に困ってしまった。
    しかしどれもこれもごく短い録音で、ここだけを都合良く録っていたというのはおかしな話だと、元の音源を出すように言った学生があった。押し問答の末に、結局は全てをみんなで聴くことになった。みんな、というのは園田とその取り巻きの数人、それから安原と安原の友人たち。そしてたまたま近くの席に座っていた学生たちもなにやらトラブルらしいと聞き耳を立てていたようだ。
    『もう、僕、あの録音聞いて惚れ直しちゃった。別れろって言う園田さんに即答で『嫌ですね』って!かっこよかったなあ』
    「だってやだもん。んで?園田さんは引き下がったの」
    『前も一度引き下がったように見えて結局不死鳥のように蘇りましたから、正直今のところはわかりません。けど、録音聞いてる時のみんなの反応に結構ショックを受けてたみたいだから大人しくなるんじゃないかな。だってもう、僕の友人たちみんなあなたのファンになっちゃって。『役者が違う。君の手には負えない』で、キャー♡って黄色い悲鳴。で、すぐ大爆笑して「そりゃそうだ!」とか。僕ってばとても高く評価されているんですねえ』
    「……」
    『聴き終わってからもう一回!ってねだって再度流してもらったら、もうみんなあれです、応援上映?映画館でたまに企画をやってるじゃないですか。ああいう感じ。法生さんが何か言うたびに「かっこいい!」「そうだそうだー!」って。最後の「お勉強頑張って」にはみんなして「頑張ります!」ですよ』
    「予想外の反響すぎる……」
    若者のノリはよくわからない。が、批判の矛先がこちらに向かなくてよかった。まさか録音されていたとは思いもしなかった。
    『園田さんとしても予想外だったんでしょう。しばらく呆然としてましたけど結局泣いちゃって、取り巻きに気遣われながら帰っていきました。さすがにこれで終わるんじゃないかなあ』
    取り巻きたちは、彼女の行動や言動をどう思っているのだろうか?心から共感して応援しているのだろうか。それとも、そばにいることでチャンスが己に回ってくるのを虎視眈々と狙っているのか。
    「よかったな」
    『結局、助けてもらっちゃいましたね。迷惑かけてすみません』
    「俺は大したことしてない。一杯コーヒー飲むあいだぶんおしゃべりしただけだ」
    『その発言にもきっと友人たちは黄色い歓声を上げますよ』
    「黄色い歓声って……一応聞くけど、ヤローばっかだよな?」
    『ええ。あんな男になりたい!って燃えちゃって』
    それは暑苦しい。
    「園田嬢によると冷たい男らしいけどな、俺。いいのかこーゆー男になって」
    『好きな子、ってまあ僕のことですけど、その好きな子以外に対しては、美人でもなんでもキッパリハッキリした態度を取れるところがむしろ響いたそうです。遠くから他人事として見てるから『なんなんだあの子は』って思えるけど、実際自分に対して泣いてお願いされたら冷静でいられるか自信ないって言う奴が案外多くて、見習わなきゃなってことらしいですよ。それにね、僕が酔いつぶれちゃった時迎えに来てくれたりとかしたでしょ。そんなの冷たい人のすることじゃないし』
    「……あ、そお」
    『照れてる?』
    「別に」
    安原が、僕はあなたの好きな子でしょうときちんとわかって当たり前に言うのが滝川はとても好きなのだ。照れたのはそちらにである。
    『あ、あともう一つだけ。園田さんが僕のことを修くんなんて呼んでたのはあなたの前でだけです。いつもは安原くんって呼ばれてます』
    「うん」
    そんなことだろうとは思ったが、はっきりと言われると安心する。安原に恋愛的な好意を持っていない誰かが下の名前で呼ぼうとなんとも思わないが、告白までするような気持ちを持った女性にそんなふうに呼ばれているのも、それを安原が許しているのも、どちらも嫌だった。大人だから表面上隠していただけだ。
    『修くんって呼んでいい?って聞かれて断ったことあるんですけどねえ。本当、いい度胸だなあって。わざわざあなたの前で』
    「お、もしかして結構怒ってる?」
    『実はね。でも、このあと憂さ晴らしでみんなで飲みに行こうってことになってるので、そこでリセットしてきます』
    多分、そこでは滝川の話も大いにされて、安原はまた惚気るのだろう。正直かなり照れくさいのだが、それで安原が楽しいなら構わない。
    「そりゃよかった。楽しんでこいよ」
    『ありがとう。仕事前にごめんなさい。話せてスッキリ……したと言いたいところなんですけど』
    安原はしばし沈黙した。どうしたのか、と言葉を待つ。
    『……僕、あの……本当は、法生さんには相談するつもりなかったんです。次ゆっくり会えた時に話すつもりだったっていうのは咄嗟に言ったデタラメ。ごめんなさい』
    「そうか」
    実のところ、これはさして意外でもなかった。初めて園田の件を聞いたとき、安原は不機嫌を隠そうとしていた。けれど、隠しきれていないことは自覚していたはずだ。そういうときの安原は大抵『嫌なことがあったので今度ゆっくり愚痴聞いて下さい』等と先回りして言ってくる。だから今は聞かないで、という牽制でもあり、話すつもりがありますという宣言でもある。いつもベッタリ一緒なわけではなくとも、恋人になる前からそこそこ親しく付き合っていたのでよくわかっていることだ。
    隠せていないのに、開示もしなければその予告もしない。気付いていないフリでスルーして、という言外の甘え。
    『バレてましたか』
    苦笑しているような声音だった。いや、自嘲かもしれない。
    「んー……そもそも言いたくないことは言わないでいいんだし。今正直なところを話せてるのも通話で、顔が見えないからかなー、とか」
    『……うん』
    困ったような、どうしていいかわからないような、頼りない声。
    滝川は、責めたいわけではない。むしろ歓迎している。
    「修が少しずつ俺にいろいろ話してくれるようになってるのはわかってる。前だったら電話越しでも言わなかった気がするし。……お前がちゃんと、自分のことを俺の好きな子だってわかってるのと一緒で、俺だって……うん、なんだ、愛されてんなーって理解してる。お前はいつも言葉にしてくれてるけど、それだけじゃなくて態度とか行動とかでも伝わってるから、焦らなくていい」
    優秀だからこそ、弱い部分の開示が下手なのだ。生きてきた中で他人に見せなくても済んできたものを、時間をかけても滝川に見せてくれようというのならそれは彼の真摯な愛情に違いない。だから、滝川もそれを受け止めたいと思う。
    『……僕の彼氏、かっこいい』
    感動したように言うので、滝川はついおどけてみたくなる。悪い癖だ。
    「そうだろ?パンツは脱がしたあとポイして行方を分からなくさせちゃうようなうっかり者だが、かっこいいところと相殺ってことで」
    『あはは、じゃあもういっそ僕が履かなければ……っと、すみません、呼ばれました。今から僕は楽しい飲み会です。お仕事頑張って。また連絡しますね』
    「えっ?おい、……切れた」
    つまり安原は今度からシャワーのあとはノーパンで出てくるということだろうか。想像しそうになって、あわててかき消す。これから仕事なのだ。思いのほか長電話になったので、そろそろ出なければならない。
    「……見事に振り回されてるなあ」
    それも楽しいのだから仕方ない。
    誰に何を言われようと、それがたとえ自分でも心の何処かで考えていたことだろうと、案外平気な顔で言い返せるものだとよくわかった。きっと今回のことは序の口で、親切ごかした不要な助言をくれる第三者は今後も現れ続けるのだろうけれども、平気な顔をし続けたい。
    安原の心の柔らかな部分を望んでおいて、己の弱さを見せるのには今も躊躇いがあるというのはフェアじゃない。わかっていても、まだ滝川には上手くできないのだ。
    年下の恋人のほうがよほど大人だ、と苦笑しながら、仕事に行くべく立ち上がった。



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