その二人、主従関係につき。 大陸の首都で年に一度行われる舞踏会は、各王国の国王一族や貴族達が集う大規模なものだ。各国の交流を目的とする、平和と親睦の催しだった。
例に漏れず、一国の姫君である美咲も参加しているが、今は挨拶回りを終えて隅でぐったりとしていた。
「もう……今日は誰とも話したくない……」
「お疲れ様、美咲! 大変そうね!」
「いや、あんたの方が忙しいのに元気だね……」
隅で目立たないようにしていたのに、目敏く見つけたこころが飛んでくる。こころは首都王国の姫であり、この舞踏会の主催側だ。客人の美咲と違って、色々気を回さなければいけないことも多いだろう。
「美咲様、水を」
「ん、ありがと。……薫さん、今ここ隅っこで誰も聞いてないし、居るのもこころだけだから口調崩していいよ」
グラスに入った水を受け取りながら、調子が狂う、と美咲は眉を寄せた。
美咲の護衛騎士である薫も、護衛の為に同行してきた。普段は友人のように主人へと接している薫も、今日は他国の者達に囲まれている手前口調も丁寧でよそ行きだ。
薫が周りを見渡し、最後にこころと目を合わせれば、満面の笑みが返ってきた。
「……では、そうさせてもらおうかな」
「久し振りね、薫!」
「やあ、プリンセスこころ。今日も変わらず麗しいね」
薫は丁寧にこころへと頭を下げる。
その様子を見ていた美咲が、また溜息を吐いた。
「……やっぱあたし、ここ苦手」
「あら、どうして? とっても楽しいじゃない! 美咲とも会えるし、あたしは楽しいわよ?」
「そりゃ、こころと会えるのは嬉しいけどさ、」
ちらりと周りに視線を向ける。
どうにも先程から、複数の視線を向けられるのを感じていた。視線の主はみな男性。各国の王子や貴族のものだった。
「チラチラ見られるの、落ち着かなくて疲れるんだよね……」
「……皆、結婚相手を探しているのだろう。この舞踏会は、貴族や王家同士の縁談目的もあるから」
特に美咲は自国の一人娘だ。結婚すれば、いずれは王となって国を継ぐことができる。こころも同じく一人娘であるが、此方は既に許婚がいる様なので誰も近寄っては来ない。
とにかく美咲は、此処へ来てから向けられる好奇の目にすっかり疲弊していた。
「美咲ももう16だからね。結婚相手として視野に入れる者も増えたのだろう」
「まだ16でしょー!? まだ早いって全然考えられない」
その言葉に薫は、なんとも言えない顔をして頷いた。
一国の姫君である身を考えれば、そろそろ結婚も視野に入れるべきなのだとは思う。
「……何か料理を持ってこよう。美咲、食べたいものは?」
「……疲れてあんまり食欲ない」
「なら、何か食べやすい物を持ってくるよ」
こころも一緒だから大丈夫だろうと、薫は料理が置いてあるテーブルへと歩いていく。
その背を見送りながら、久々に会ったこころとの会話を弾ませる。
「美咲は、薫ととっても仲良しなのね」
「え? まあ……薫さんが騎士になる前からの、そこそこ長い付き合いだし」
「薫のことをとても信用しているのが分かるわ!」
「……うん、そうだね。あたしのこと凄く大事にしてくれるから、あたしも大事にしたいって思うよ。ちょっと過保護過ぎるけどね」
「なんだか今日の美咲、素直ね!」
「……そうかな?」
「そうよ! 薫に言ってあげたら喜ぶわよ!」
喜んではくれる、とは思うが。どうにも気恥ずかしさが先立ってしまい、美咲はこころの真っ直ぐな視線から目を逸らした。
すると逸らした先、こころの従者が主人を呼んでいるのが見えて。
「あれ、こころ。呼ばれてるみたいだよ」
「あら、本当だわ。じゃあ席を外すわね、薫によろしく。また後でお話ししましょう!」
ドレス姿で器用に走っていくこころを、手を振って送り出す。薫はまだ戻ってこない。
手持ち無沙汰になってなんとなく水のグラスに口を付けた。
「君が美咲姫だろ?」
後ろから声を掛けられ、振り向く。
豪奢な服を着た知らない男が、美咲の前で踏ん反り返っていた。何処かの国の王子か、貴族か。
美咲よりいくらか歳上であろう男は、彼女を見定めるように上から下まで視線を向ける。それが気味悪くて、美咲は顔を引きつらせて一歩下がった。
「……はい、何か?」
男は自己紹介をする。彼は美咲の国から遠く離れた国の貴族の三男坊だった。名乗られた瞬間、自分への用件を察する。
美咲のような一人娘の家に求婚しに来るのは、大体自分の家を継がない次男や三男だ。
「ふむ、なかなか可愛らしい。気に入った」
やっぱり。美咲は心の中でだけ溜息を吐く。なんで上から目線なんだ。どうして貴族というものは、こんなに偉そうなのか。
本来なら「大丈夫です」、ってきっぱり断ってやりたいところだが、相手の立場もそこそこである為無碍にはできない。態度によっては国際問題にだってなり兼ねないのだ。
じろじろと無遠慮に向けられる視線に耐えられない。引き攣った笑顔しか貼り付けることが出来ないまま、なんとか言い逃れる言葉を必死に探している時だった。
「失礼。姫は気分が優れないようなので」
「えっ、あ、薫さん……?」
突然間に割り込んできた薫が、男から美咲を庇うように立ち塞がった。
薫よりもいくらか背の低い男を見下ろすように睨みつける視線は冷たい。だが、美咲からその表情が見えることはない。男が怯んだのを確認すると、薫は美咲の手を取り、そのまま立ち去ろうとする。
「ま、待て! まだ用件は済んでいないぞ!」
怯みながらも声を張る男は、薫に邪魔をされたことで気分を害しているようだった。
それでも薫は表情を変えない。
「気分が優れないようなので」
同じ台詞をもう一度。今度は、腰に控える剣の柄に手を添えて。
「これ以上来るなら、危害を加えるものとみなすが。……それでも?」
低い声音でそう言えば、男はヒッと上擦った声を上げた後、舌打ちをして去って行った。
安堵の溜息を吐く薫の後ろで、恐る恐る美咲が声を掛ける。
「……薫さん?」
「大丈夫かい、美咲? 何か嫌なことは言われていないかい?」
「あー、うん。大丈夫、ありがとう。……薫さん、あんな言い方出出来るんだね」
少しだけ驚いた表情の美咲が感心したように言えば、薫は照れたように笑う。
「美咲が嫌がっているように見えたから、つい必死になってしまってね……。少しとは言え目を離すべきではなかった。すまない、美咲」
「そんな、大丈夫だよ。上手く躱せなかったあたしも悪いし」
実際、見知らぬ男に声を掛けられている美咲を見て薫は肝を冷やした。特に何もされていないようで本当に良かった。
美咲は自分が命に代えても護るべき存在だ。危害を加える恐れのある者に容赦はしたくない。
「でも、今の薫さんカッコよかったよ。過保護だと思ってたけど、ちょっと見直したかも」
美咲の言葉が何よりも嬉しくて、微笑み返す。
「君を護る為なら鬼にでもなるさ。私は、貴女の騎士だから」
護りたいと思うその感情の正体が、護衛騎士だからという理由だけではなかったことを知るのが、いつになるかは分からない。