焼くは嫉妬、焦がすは想い 蝉の声が煩くて、日差しが痛い。炎天下の中を薫さんと二人で歩きながら、あたしは溜息を吐いた。その溜息すらも熱い気がして嫌になる。暑いっていうか熱い、もう。
「……あっついね」
「今日は猛暑日だと言っていたね」
「その割には薫さん、涼しい顔してるけど」
「そう見えるだけさ。こんな日に付き合わせてすまなかったね」
大丈夫ですよ、とあたしは首を振る。夏休みの真っ只中、弦を買いたいと言う薫さんに誘われて一緒に楽器店へ向かっている途中だった。夕方からはバンド練習があるので、その前に行っておきたいらしい。
「薫さんに結構難しいパート当てちゃったからね……。昨日の時点で結構形になってたから、沢山練習したでしょ」
「ふふ、美咲が私のことを信用してあのパートを任せてくれたのだと思うと、嬉しいよ」
暑いから何か飲みながら行くかい? そう提案した薫さんと一緒に公園へ入る。あたしの方が歳下だからそんなに気を遣わなくてもいいのに、この人はそんなこと関係なしに優しい。
自販機に向かう途中、声を掛けられた。薫先輩、と呼ぶその3人は私服姿だったけれど、その呼び方と背格好を見るに羽丘の生徒なのだろう。
「やあ、子猫ちゃんたち。こんなに暑い日にお出掛けかい?」
ファンの人っぽいその子たちに微笑んで、薫さんとその子たちは談笑を始める。これは長くなるかもしれない。覚悟したあたしは少し離れたところにベンチを見つけて腰掛けた。木陰の下だから直射日光は避けられるけれど、熱気は日陰だろうと変わらない。
楽しそうに話すその姿を眺める。薫さんは誰にだって優しくて、投げられた好意にはいつだって全力で応えてくれる人だ。あたしはそんな薫さんのことを素直に凄いと思うし、尊敬している。ああなりたい、とは思わないけれど。
けど、優し過ぎるんじゃないかなぁって思う。今日暑いし、あんまり炎天下の下で喋り過ぎるのもよくないんじゃないかな。時間も取られると楽器店に行く時間無くなるし、そもそも今日は楽器店に行くからってあたしは呼び出された訳で、こんなところで座って待ってるだけの身にも――、
(いやいや、待って)
薫さんが誰に対してもいつでも優しいなんて、そんなこと分かりきってることじゃないか。今に始まったことじゃないし、こんなのいつものことで、慣れてるはずで。そうだよ、そう。それなのに、
(それなのになんで、あたしはこんなにイライラしてるんだ?)
暑さのせいだろうか。……きっとそうだ、暑いから早く涼しいところへ行きたいんだ。さっきから頭が痛い。視界もクラクラしてきた。寝不足かな。
差し込む日差しと、日の光を反射させる地面が眩しくて、目を閉じた。
◆
「美咲!」
「……え?」
目を開ける。目を閉じたらどうやらそのまま寝てしまったらしい。頭がまだぽやぽやしている。目の前には薫さんの顔。なんだか切羽詰まった様子であたしを見下ろしていた。
あれ。座って寝ていた筈だったのに、いつの間にか横になっちゃったのかな。でも頭に感じる感触は柔らかくて、これはベンチじゃなくて、
「えっ!? なんで!?」
「うぐっ!?」
なんで薫さんの膝枕で寝てるの!? 勢いよく起き上がったら、当然だけどおでことおでこがぶつかった。ごちんと鈍い音がして薫さんが悲鳴を上げるも、ぶつかった衝撃で後ろに倒れかけたあたしを抱き留めてくれる。
「ふふ……元気なお目覚めだね、子猫ちゃん」
「いや、あの、すみません……。ていうか、なんで、」
ぶつけたおでこを抑えるけれど、それよりも頭全体がガンガンと痛む。ひんやりとした何かが、首元に充てられた。
「美咲がベンチでぐったりしているのに気付いたんだ。名前を呼ぶと反応はするが起きなかったし、顔も真っ赤だったから、熱中症だと思ってね」
ずっと頭が痛いと思ってたのは、どうやら軽い熱中症になっていたせいらしい。薫さんが首に充ててくれていたのは、冷えたペットボトルのスポーツ飲料水だった。
ゆっくり身体を起こして座り直すと、ペットボトルのキャップを外して渡してくれたのでゆっくりと一口飲む。もう少し休ませて目が覚めなかったら、救急車を呼ぼうと思ってた。そう言う薫さんの顔は心配を孕んでいて、申し訳なくなる。……それなのに、何故か同時に嬉しいと思う自分が居て。
「あれ、薫さん、さっきの人達は?」
「美咲の具合が悪そうだったからね。先に帰ってもらったよ」
え、先に帰ってもらったって、あたしを心配して、優先してくれたってこと? ――あたしの、為に?
「……あ、えと、ありがとうございます。すみません、楽器店行きましょう」
「え!? いや、何を言ってるんだい!?」
やっぱり嬉しいと思ってしまう自分に罪悪感を覚えて首を振り、急かすように立ち上がる。その手首を、珍しく慌てた顔をした薫さんに掴まれ止められた。
「今日はもう帰ろう。練習もやめた方がいい。こころには私から言っておくから」
険しい顔の薫さんにそのまま手を取られる。拒否することを許さない雰囲気を纏っているのに、握られた手は優しくて、あたしの体調を気遣ってゆっくり歩いてくれていて。
「え、いや、いいですよ、お陰で良くなったんで、」
「ここからだと私の家の方が近いから、少し休んでいくといい。その後で家へ送ろう」
ね? と言い聞かせるように優しく微笑む。その笑顔に、顔がぶわっと熱くなった。熱中症のせいじゃない。
「美咲?」
他の人と話すのを見るのが面白くなくて、優しくされると嬉しくて。そんなん、もう、
「……ぁ、う、わかりました」
手を引かれるがまま、大人しく歩き出す。握られた手も、顔も全部熱くて、熱中症も相まってこのまま倒れてしまいそうだった。
……でも、違う。こんな感情を抱いてるなんて、自覚したくなかった。
だって、ダメだよ。薫さんはみんなの王子様で、慕ってる人もいっぱい居て、みんなに優しくて。
その優しさを、その視線を独り占めしたいって。そんなどろどろした汚い感情、あたしなんかがあの人に持っちゃいけないんだ。
あたしが薫さんのことを好きだなんて、気付きたくなかった。