これから共犯者なる君へ その日は満月だった。深夜だというのに夜の静けさは全く無く、サイレンが鳴り響き慌ただしい足音が幾重にも重なっていた。無線を行き交うのは怒号と、焦った声と、動揺する声と、そして笑い声。
「こちら宝石展示場、怪盗ハロハッピーはダイヤを盗み、尚逃走中……!」
世間を騒がす怪盗ハロハッピーは、予告状の時刻ぴったりに現れて予告していたダイヤを回収した。美術館内を逃走する怪盗を、警備員たちが必死に追いかける。
しかし追われている筈の怪盗は、楽しそうに笑うのだった。
「さあ、今宵も共に楽しもうじゃないか!」
そんな煽りとも取れる台詞を怪盗が口にして、壁に飾られた絵画へと手を伸ばす。それも盗むつもりかと警備員たちが声を荒げようとしたその瞬間、絵画の裏から大量の白い鳩が飛び出した。
警備員たちへと向かっていった鳩は視界を遮り、怪盗の行方を眩ます。怪盗を見失い辺りを見渡す警備員が上を見上げれば、上の階へと続く階段の途中で怪盗が銃を向けていた。
「捕まらないよ、私は」
怪盗が引き金を引いて警備員たちが身構えれば、館内に銃声が響く。ただ銃口からは鉛玉が発射されることはなく、一輪の薔薇が紙テープと共に放たれただけだった。呆気に取られる警備員たちを面白がるように、怪盗は階段を駆け上がっていく。まるでマジックショーでも見せられているようだった。
怪盗を追って階段を登り彫刻が並ぶフロアへと辿り着けば、怪盗は天井から吊される紐を引っ張る。その瞬間大量に降ってきたカラフルなゴムボールに、現場は再び混乱した。怪盗はまた逃げる。
「こ、こっちだ諸君! ふははははー!」
滑るように、怪盗は上がってきた階段とは別の螺旋階段を滑るように駆け降りていく。そのまま怪盗が美術館の外に出れば、そこには大勢の警備員や警察たちが待ち構えていた。追い詰めたとばかりに、勝ち誇った笑顔で怪盗へとゆっくり距離を詰めていく。
ただ当の怪盗は、焦る様子もなく肩をすくめてみせたのだった。
この中に怪盗ハロハッピーについてもう少し詳しい者が居れば、この目の前に居る怪盗の瞳の輝きがルビーではなくアクアマリンの光を放っていることや、体躯がいつもより小柄なことに気付くことが出来たのかもしれない。
「あー……まあ、じゃあ、あたしの出番はここまでってことで」
「何を言っている……?」
「“脇役”は舞台袖へ引っ込んで、ステージのスポットライトは再び“主役”へ向くってこと、だよ!」
言い終わると同時、怪盗の足元から白い煙が一瞬で立ち込め視界を塞ぐ。煙幕だ。混乱する声が暫く響き煙が晴れた頃、そこに怪盗の姿はもう無かった。
「やあ、諸君! また会おう!」
夜空に響く高らかな声に空を見上げれば、空飛ぶヘリコプターから下がる梯子に掴まる怪盗ハロハッピーの姿があった。その手には、月明かりを反射して煌めくダイヤが握られている。
「あれは……、怪盗ハロハッピー!? いつの間に空へ!?」
「瞬間移動か!?」
「そんな訳ないだろ!? 怪盗は二人居たってことか……!?」
慌てふためく“引き立て役”を余所に、ヘリコプターは遠ざかって行く。夜空へと溶けて行くように消える怪盗を追いかける手段など存在しなかった。
◆
「薫さん、大丈夫? 足ガックガクだけど」
「ふふ。なんてことないさ、美咲」
「声も震えてますけど」
日常に紛れる、何の変哲もないマンションの一室。そこで怪盗の皮を脱ぎごく普通の少女へと戻ったアクアマリンの怪盗——美咲が、もう一人の怪盗へと声を掛ける。
呆れ顔の美咲と打って変わって、ルビーの怪盗——薫の方は顔面蒼白だ。着替えてから震える足を誤魔化すようにソファへ座り込むと、震える声で答える。
「だから言ったじゃん、最後の役交換しようって」
「あの役は危険だからね。君に任せることは出来ないさ」
「……どっちが」
高所恐怖症の薫がヘリに乗って逃げる方が、よほど危なっかしい気がするのだが。美咲は些か不満に思うも、一応師である怪盗にそれ以上反抗することはない。
まだ顔色の悪い師のためにコーヒーでも淹れようか。そう立ち上がった美咲の腕を、薫が掴む。そこには先程までの情けない顔はなく、弟子を見透かすような師の顔があった。
「しかし、いけないね美咲」
「……何がですか。演技力は、自信ないって言ったじゃないですか」
細められたルビーの瞳に、美咲が顔を逸らす。自分では、堂々とした華麗な怪盗を演じるのは無理だ。そんなの、実行前から分かってた。
「おや、そっちではないさ。そっちは最初から期待していないからね」
「さらっとひどいこと言いますね」
「私が指摘したいのは、君が自分のことを“脇役”と言ったことについてさ」
薫の指摘に、美咲の表情が固まる。眉間に寄った皺を隠しきれないまま、沈黙の後にようやく言葉を吐き出す。
「……聞いてたんですか」
「警備員の無線が手元にあったからね。無線機越しに君の声も聞こえていたさ」
腕を引っ張れば、美咲は抵抗なく寄せられる。顔がくっつきそうな程に近付けば、もう美咲は真っ直ぐ射抜いてくるルビーの瞳をまともに見ることはできなかった。
「私は、君と二人で主演を務めているつもりだよ、美咲」
いつもだったら、「近い!」と一蹴されてしまう距離だ。だが今の美咲は頬を赤くしたまま、目を合わせようとしない。
彼女が何も言い返さないのを良いことに、腕をもう一度引っ張りながら抱き寄せる。そのまま自分は立ち上がって位置を入れ替えれば、ソファの上に可愛い弟子が転がった。
「そういうことだから、これは“お仕置き”がいるかもしれないね」
「え、なんで!?」
「それはもちろん、自分の魅力を分かっていない子猫ちゃんに教えてあげるのさ。君がどれだけ儚いかを、ね」
不満げに文句をぶつけてくる美咲を押さえ込みつつ、薫は怪盗よろしく不適な笑みを浮かべる。
「ああ、でも今日が上手くいったのは美咲のおかげだからね。“ご褒美”もいいかもしれない。美咲はどちらが良い?」
「け、結局やること一緒のくせに……!」
顔を真っ赤にして見上げてくる美咲の額に、キスを一つ落とす。たったそれだけでびくりと肩を跳ねさせるので、薫は至極面白そうにくつくつと笑った。
「おや、美咲がそう思うのならいいけれど。どちらが良いか、選ばなくていいのかい?」
あくまで選ぶのは弟子自身。美咲は大した抵抗も出来ないまま、視線を彷徨わせ、逡巡した後におずおずと口を開いた。
「……ご、ご褒美のほう、で」
薫の目の前に居るのは怪盗の弟子だ。今は上下関係があれど、いずれは対等な関係でありたいと薫は思っている。
同じ罪を犯す“共犯者”、なのだから。