恋を教えて僕は司くんが好きだ。勿論恋愛的な意味合いでの好意である。こんな自分に好かれてしまった司くんは実に可哀想だと思う。最初は黙っていようと思っていたが、到底無理な話だった。より良いショーのために演者側に危険が伴う、リスクのある演出をしてしまう、そんな堪え性のない僕には、我慢できなかったのだ。普段の僕の振る舞いを振り返れば至極当たり前で、分かりやすい話のはずだった。しかし愚かなことにも、僕は無駄に理性に無理を強いた。だから、つまり僕の想いに歯止めがきかなくなってしまったのだ。
僕は優しい司くんに漬け込むような真似をした。事態を深刻化させた、むしろ収集がつかなくなった。
本当にそんなつもりはなかった。ただポロッと言葉が零れてしまっただけだった。
「司くんが好きだ」
それだけなら良かったのに。司くんの顔を見てしまったら、受け入れてもらえないと分かったら、それから口をついて止まらなかった。
「どうして、僕を放っておいてくれなかったの」
「……」
「あのとき君が僕を連れ戻さえしなければ、僕の演出で怪我をしてしまったとき怯えて離れてくれさえすれば、僕はこんなに苦しまずに済んだのに」
あのとき、というのは僕が司くんを見限ったときのこと。演出で怪我をしてしまったのはハロウィンショーのときのことである。司くんが僕から離れる機会はいくらでもあったはずだ。僕は理不尽にも司くんを責め立てた。それも卑怯なやり方で。
「責任、とってよ」
責任感の強い彼にこんな言い方をするなんて、ずるいと自分でも分かっていた。彼をこれ以上苦しめたくない、そう思っていたはずなのに、彼が断れないことを分かっていながら告げてしまったのだ。
「……分かった」
司くんは僕を抱き締めてくれた。司くんは小さな声で何か言っていたけれど、それは聞こえなかったふりをした。
それから僕と司くんとの歪な関係が始まった。僕と司くんはデートや性的な触れ合いをするようになった。とは言っても司くんからそれをすることはない。だって司くんは僕に付き合ってくれているだけなのだから。一見恋人に近しく思える関係なのだが、僕には一番恋人には遠い関係に思えてしまう。司くんは僕のことが好きだ。しかしそれは、恋愛的な意味ではない。だからこの関係は一方的なものであって、とても恋人のようには思えないのである。
「……類、」
「なんだい?司くん」
「類、は…その、キスはしたくないのか…?」
それは突然のことだった。基本、司くんからそういった会話を振ることはなかったから、数秒フリーズしてしまった。
「えー…と、それは、してもいいってこと?」
僕は司くんとの関係で決めていることがあった。半ば強制した関係なので司くんに対してキスや本番を求めないというものである。ただ前述の通り僕は堪え性のない男なので、抜き合いや素股はさせてもらっている。
「あっ別にそういう意図ではなかったんだが!!」
司くんが焦って顔をぶんぶんと横に振る。そこまで全力で否定しなくても…ちょっとだけ傷付いた。それに今までしたことに比べればキスで恥ずかしがるような関係でもない気がする、そういう初心なところ、かわいいな。
「そう、残念だな」
多分こんなことを言っても誰も信じてはくれないと思うが、司くんがこの関係をやめようとするならば、僕はそれを承諾するつもりだ。司くんのため、と言い切りたい気持ちもあるのだが、内心では今でも司くんは嫌がっている可能性は十分にあるのに、司くんの優しさに甘んじて特に何も言わずこの関係を続けている自分を見ているとそうは思えない。それに実際にそんな提案を受けたらどうなるかも分からなかった。
「……構わん」
「え?」
「どうしてもと言うなら構わんと言っている!」
ああ。今日こそは司くんを逃そうと思っていたのに。
「…司くんには全く敵わないなあ」
「そんなの当たり前——んっ」
どうしよう、嬉しい。司くんの口内を舌で蹂躙しながら暢気に喜びを噛み締めていた。奥で縮こまる司くんの舌を捕まえて絡める。舌を絡め取って上顎を擦るたび、司くんの体がびくびくと跳ねていじらしかった。思わず夢中になっていると不意に弱い力で胸を押された。
「ぷはっ、おま、いきなり舌を入れる奴があるか!!」
「か、」
「か?」
「かわいい…っ」
名残惜しくも口を離すと司くんがかわいいことになっていたことに気が付いた。酸欠なのか顔を真っ赤にさせて涙の溜まった目で僕のことを睨んでいる。本人はその顔が逆効果だと気付いていなさそうだ。我慢できずに司くんの脱力した体を抱き締めた。
「…なぁ、類」
「ん?」
「お前は、諦めてるのか」
「え」
シンプルな問いだった。僕は一瞬何のことか分からなかったが、司くんの表情を見てすぐに察してしまった。
"ごめんな、類"
あのとき言わせてしまった言葉を不意に思い出す。一番言われたくなかった言葉を、告げられたときと同じ表情をしていた。酷く苦しげな、顔。
「諦めてる、かな」
言ってしまった。
それを言ってしまえばきっと司くんは僕から離れてしまうのかもしれないというのに。
「だったら!」
「!?」
突然大声を上げられ、司くんの顔を思わず見てしまった。その表情は、先程の表情とは大違いで。
「もっと潔く諦めろ!それが諦めた男の顔か!?今でさえ未練がましくこちらを見てくるというのに!」
「——っ」
「そんな顔をするくらいなら、オレをとっとと落とすくらいの気概を見せてみろ!神代類!!」
「……そんなこと言ってもいいのかい?後悔するかもしれないよ」
「お前こそ後悔しないようにするんだな」
「!…フフ、じゃあ覚悟しておいてもらわないとね」
そう言うと彼は見惚れるような笑みを浮かべた。
僕が司くんへの想いを自覚したのはなんてことない日常がきっかけであった。なんとなく、触れたくなって。でもそれが一体なんの感情なのか、僕にはどうしても分からなくて、その感情について悩んでいる時期だった。
「はっ!熱か!?とんでもない高熱があるんだな!?」
「熱なんてないよ。当然のことをしているだけじゃないか」
花壇で雑草を抜いているとき、偶然司くんが来たのだ。あのときの司くんはどうやら僕が花に優しくしていることがとても意外だったみたいで、僕に高熱があるんじゃないかと思ったらしい。
体温を測るためとはいえ、急に距離を詰められて驚いた。しかしもっと驚いたことがあった。
額に添えられた手はやはり男の手で、やや硬く骨張っていた。
それでも心臓の動悸がトクトクと速くなった。司くんは男、それは変えようもない事実で、それを突きつけられてもなお、自分の心臓は速まっていることに気が付いてしまった。
——僕は司くんが好き、だったのか。
内心動揺しながらも平常心を装ったので特に怪しまれることもなかった。だから、油断してしまった。
決してこの想いは悟られることがないのだと。隠し切ることができるのだと。
(今思えば、それはとんだ計算違いだったね)
チラリと横目に見れば、そこには司くんが居て、目が合った。司くんは僕の表情が気になったようで。
「…一体何を企んでいる…?」
「やだなあ、僕は司くんを見ていただけだよ?」
「だから、オレを見て何か、」
「好きな人を見るのに理由がいるかい?」
「だあああッ!!そんなこと恥ずかしげもなく言うな!!」
「手を繋ぎたいな」
「話聞いてたか!?」
そう言いながらも司くんは手をおずおずと差し出してくれた。お互い、口には出せないような場所を触り合った仲のはずなのに今更気にするのかと思うとふ、と笑みが溢れた。
「あったかいなあ」
司くんの手を握ると温かい体温が返された。彼は平均体温が高い方なのかそれとも恥ずかしくて手まで熱くなっているのかは分からなかったが、表情を見れば顔を真っ赤にさせていたので後者だといいな、と思うことにした。指を交差させて絡めると彼の指先がぴくりと震える。
「お前、これ…」
「恋人繋ぎ。嫌だった?」
「…いや、じゃない、が」
歯切れの悪い言い方はきっと照れ隠しだ。そういうところがなんというか、司くんの狡いところだと思う。
「司くん、もう僕のこと好きなんじゃない?」
「は!?」
だって勘違いするのも仕方ないじゃないか。期待させるような言動をするのが悪い。
「この前、もしかしてキスしてほしかったから——」
話題を出した、とか。そう続ける前に司くんに口を抑えられた。彼は俯いていたので顔は見えなかったが耳まで赤く染まっていた。
「……むぐむぐ」
「言うなっ…違う、こんなはずでは…」
司くんが何を悩んでいるのかは分からないが多分図星ということだけは分かった。
「最初は類が苦しくなくなるようにって…それだけのつもりで、」
「……」
「でも何か確実におかしくなっていった。お前がオレを優しく見てくるたび、応えたいって、思ってしまうようになった」
「やはり、これは恋だろうか…?」
気恥ずかしそうに顔を上げる司くんはかわいらしかった。僕は言葉を咄嗟に返すことができずにそんな司くんを見てばかりだった。
「もし、これが恋だというなら、オレに恋を教えてくれないか」
あまりに都合の良い提案に僕は頷くほかなかった。